古びた煉瓦造りの小さな店・・・
分厚い木の扉はギイッ と年期の入った音がする。
それを開ければ・・・
レトロな扇風機が天井に廻る、セピア色の風景。
静かに流れるジャズの音楽。
店の奥には寡黙なバーテンダー。
そして、カウンター席に・・・若い男がひとり。
この店で時折見かけるその男は、大抵一人でここへ座る。
長身に洗練されたスーツを纏い、金髪と整った顔に翠色の瞳が魅惑の色を添えている。
その男は、ダーク=カルロ。
マフィアの家に生まれた彼は、先日の抗争で亡くなった先代の父に代わり
ボスへ就任したばかりである。
ボスと呼ぶにはあまりも若すぎる年齢。
だがその立ち居振る舞い、カリスマ的統率力は先代に仕えていた古参の部下達でさえ
うならせ納得させられるほどの素質と手腕を持っていた。
凛としたいずまいに、彼のいる場所だけがどこか空気の色も違うように思われる。
それはどこか誰をも容易には近づけさせないような、高貴な雰囲気を醸し出していた。
「・・・」
そうして今日も彼は静かにブランデーの香りを愉しんでいる。
その店のドアが再び開いた。そこに現れたのは・・赤いドレスの女だった。
豊かでゆるいウェーブのかかった金髪を白い肩に遊ばせている。
開いたドレスの胸元からは、たわわな胸のふくらみが谷間を見せつけていた。
赤いルージュに・・美しい青い瞳はどこか勝ち気な印象が宿っていた。
彼女も若いのに、年齢に釣り合わないほどの妖艶さを持ち合わせていた。
それもそのはず・・彼女は、あるマフィアのボスの愛人なのだ。
そのボスは、カルロとも親交のある組織の男で、先々代からの古いつきあいである。
女はぐるりと狭い店内を見回す。
カウンターの方へ視線を移したとき・・彼女の顔に ぱっ、と明るい陽が灯った。
彼女は軽やかなステップでカウンターに座る男のそばへ近づいていく。
「よかった。今日は一緒に飲みたかったの」
「・・・ラルカはどうした」
「あぁ!今頃きっとパトリシアっていう赤毛女と一緒だわ。だから私は今夜フリーってとこ」
「・・・」
近隣ファミリーのボス、ラルカが複数の愛人を侍らせていることは、カルロの耳にも入っていた。
いそいそと座った華やかな女は、すぐに水割りをバーテンに頼む。
「ずいぶん窮屈な身分になったみたいね!おめでとうを言わなきゃ。
外にはアナタのとこの犬が沢山はべっていたわよ」
「2人から4人に増えただけだ」
「あらぁ ボスになる前はお忍びであなた一人きりのことも多かったじゃない」
ふたりは 小気味良い飲み友達。
自分を見ればどんな男も鼻を伸ばしへつらってくるのに
この隣にいる男はそういった素振りを一切しない。
それが返って女・・プリシラ の興味をそそる。
そして、カルロのほうも・・
自分に対して接触しようとする者は顔色を窺うような奴らばかりなのに
この女だけは臆せずまっすぐな瞳で、あっけらかんとして肩を並べてくる。
それが・・カルロがプリシラを拒否しない理由だった。
「ちょっとぉ、こないだラルカがぼやいてたわよ。あなたがボスになってから
お宅の部下達の動きが良くなって隙を窺うチャンスが減ったって」
「・・・内部のことを漏らすのは感心しない」
「やあね、言って良いことと悪いことくらい私にも分別は付いてるわ
あいつの愛人やって長いんだから」
越えそうで越えない一線。男と女の友情・・・
或る夜。
その日のカルロはどこか様子がおかしかった。
灰皿に積まれている葉巻は彼らしくなくどれも中途半端な・・まだまだ吸えそうな、吸い殻。
しかもその量がいつもより多い。
強い酒が次々と飲み干される。
その日、カルロは大事な部下をひとり亡くしていた。 ・・・初めての失敗である。
自分の采配ミスで 古参の部下の一人がカルロを庇う格好で亡くなったのだった。
カルロが幼い頃からよく知っている男で、じいやのような存在だった。
帝王学にどっぷり漬かって生きてきたカルロとてまだまだ若者である。
ふと、心の弱さがのぞく・・・
プリシラはその事件をラルカから聞いて知っていた。
「やっぱりここだったのね・・・」
例の店で一人飲むカルロに、プリシラはそっと声を掛ける。
だが・・カルロは前を向いたままこちらを振り向きもしない。
「今日は一人にしてくれ」
「だめよ。ダーク、こういうときは一人でいてはダメ。」
そっと肩に触れ、さりげなく顔をのぞき込む。
プリシラの表情は同情のそれでなく、”同士”の真摯な顔だった。
「店を変えましょう。私の知り合いがやってる店があるの。もっと落ち着けるわ」
プリシラが連れてきた店は・・・
小さいながらもテーブルがコンパートメントで仕切られ
プライバシーを守れる造りになっていた。
「ダーク、たまにはひとりの人間に戻りなさい・・
辛いことは辛いと思った方が早く楽になるわ。
私で良かったら手伝って上げる・・・」
最初は黙っていたカルロも・・酒が進むにつれ、ぽつぽつ語り始める。
「子供の頃・・・父の大事にしていた時計が何者かに壊されて・・
私は父に犯人だと疑われた事がある。あの男だけは・・私の、味方をしてくれた」
子供時代の話をすることに照れたのだろうか・・自嘲気味な笑みを浮かべている。
そうして長い睫毛を伏せて俯く。
「今回もそうだ・・・私のミスを 庇って・・逝ってしまった・・・」
「ダーク!」
プリシラは思わず両手を伸ばしカルロの肩を抱き包み込んでいた。
「私はまだあの男から学ぶべき事がたくさんあったはずなのに・・私は・・・
彼の家族にも 何とすまないことをしたのだろう・・」
俯いた表情は前髪の向こうに隠れよく見えない。
だが、彼の頬を一筋・・・涙が流れていた。
「ダーク・・・!」
慰めるための言葉がうまく見つからない。
だが・・・今夜だけは、悲しみに沈み溺れる彼の・・
一本の藁になろうと プリシラは心に決めていた。
そうしてプリシラはひたすらその胸にカルロを抱きしめていた。
やがて、彼の涙に口づけずにいられなくなった頃・・・
二人はただの”男”とただの”女”に なっていた。
それから後も、密やかな逢瀬が 幾度となく重ねられる。
若い二人は ふたり でいることに酔っているようだった。
そして 初めは彼を助けるつもりだったプリシラは・・・
あっという間にカルロの手に溺れていく。
だが、それに反し・・カルロは何故か次第に冷静になっていくのだった。
”ラルカがどんな女と寝ても全然平気なのに、
ダークが女と口を利いただけで胸が焼けるようなのよ・・・”
ある日、あの店の片隅で。
「愛してる。貴方のためだったらラルカの愛人なんかやめるわ」
心が苦しくなったプリシラはついに告白する。
「・・・」
だが、カルロの心にはそれは響いては来なかった。
ラルカとの親交篤いカルロは、その愛人を奪ってしまうのは
ファミリーにとって不利であるといういくばくかの打算が動いたのも
確かかもしれない。
だが、それを差し引いても、カルロの心に彼女を住まわせ続けることは
何故か出来なかった。
カルロは、ただ黙って横を向いている。
男と女の友情も、一線を越えてしまえば壊れるのも早い・・・
やがて、カルロは短く告げる。
「ラルカの元へ戻れ。」
「どうして!?」
「・・・」
「私はお前を・・・愛してはいない」
カルロはそして・・沈黙を守る。
プリシラはこれ以上彼に何を言っても無駄なことは・・
今までの彼とのつきあいで察しがついていた。
プリシラは、そして・・もうふたりが以前のような友人にも戻ることは
できないということに気づいていた。
それは、自分の心がすでに整理できないほど かの男に傾きすぎていたからだ。
自分さえ平静を保てば、カルロはきっとまた友人に戻ってくれるに違いない。
でも、プリシラの心は、すでにそんなふうに割り切ることが出来なくなっていた。
これ以上二人の関係は進むことがない、と 悟った、今。
「もう、ここへは来ないわ・・・」
そう言って彼女は、バーカウンターから、離れた。
しばらく経ってラルカから結婚式の招待状が届いた。
花嫁の名前は・・・プリシラ。
彼女は、ついに愛人のひとり、から正式な夫人の地位を手に入れたのだった。
カルロを思い切るために、彼女は密やかにそれへ踏み切ったのだろうか・・・
やはりカルロはいつもと同じように、あの店で酒を飲む・・・
ただ、その隣にはもう、かの女の姿を見ることはなかった。
ENDE
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あとがき
このお話はパラレルトゥナイト零れ話 にある「円舞曲ーロンドー」のエピソード話になっています。
「円舞曲ーロンドー」のプリシラとカルロのなれそめ話です。
これ、少し前に掲示板でリクエストを頂いていたテーマなんです。で、今回がんばってみました。
皆様のご協力で成り立っている当サイト・・・愉しんでいただけたら、幸いです。
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