『バレンタインケーキの午後』


冬の厳しい寒さが日々続く ここはルーマニア。
曇天の多い2月だが 今日は久々に青空がひろがっていた。
そして カルロ邸。
ここにも冬は訪れていて 数日前に降った雪が解け消えずに残っていて
まだ庭のあちこちに大きな塊を作っていていた。

昼下がり。
寒々しい外観の 白亜の屋敷から 今日は甘い香りが 仄かに漂ってくる・・
そのいつもは無機質の白い屋敷に住んでいる誰かが、香らせているのだろう。 
甘い香り・・・ケーキでも焼いているのだろうか。
 寒空の下で屋敷を警備する男達のもとへ届くその香りは 温度までは伝わってこないはずなのに
彼らを、ケーキを焼くオーブンのそばにいるような ほんのり温かい心地にさせる。
子供の頃に感じた、出来上がりを待つときのワクワクする気持ち 
そんなノスタルジー・・・

「(うへぇ 甘ったるい匂いだな)」と 辛党の一人は小声で呟くに違いないのだが。
ボスがそれを良しとするならば (そしてそのケーキを楽しみにしているのなら!)
それはそれで ファミリーのためには幸せなことなのだ。
そして 甘党の一人は、またご相伴に預かれるかも・・と こっそり心の隅で期待し
それは大抵 裏切られることはないのだった。

「こんなにしょっちゅう甘いにおいを屋敷にさせられちゃたまんねえな
士気に関わるぜ」
首をすくめて辛党の男はぼやく。
「そうか? いい匂いじゃないか・・懐かしいお袋の香りだ」
甘党の男はのんびりとそう答え・・ポケットに手を突っ込んで嬉しそうな顔だ。
それを見て辛党の男はあきれ顔でため息混じりに答える。
「おまえ 珍しい奴だよ」
「・・・そうかあ?」
そして、甘党の男は振り向いて香りの出所であろう部屋の窓を 目を細めて見やる。
「(今日のこの匂いは・・・・チョコレートケーキかな)」


ご名答。


「きゃーん 小麦粉足りるかなぁ〜」

バレンタインを間近に控え、蘭世はパウンドケーキを焼いている。
粉にココアを入れて振るいバターと卵と砂糖をよく混ぜた生地へ振り入れ 
さっくり混ぜるとブラウンの生地が出来上がる。

バレンタインの日にプレゼントを贈る風習はあるけれど
別にチョコと決まった訳じゃない。
でも
日本にいて ”バレンタインには好きな男性にチョコを!”
という広告を見て育った蘭世は やっぱりチョコにこだわっている。
(入れたのはチョコではなく 今回はココアだけど・・)

早朝からカルロ家のキッチンにある電動泡立て器はフル回転
オーブンの方もスタンバイok。

電動泡立て器はスタンド型で大ぶり、デロンギ製。
農場を経営しているカルロの知り合いから新鮮な卵を大量に分けて貰い
ココアパウダーも バターも小麦粉も 一流料理店にしか卸さない
高級食材店から直接買い付け

そんなところは江藤家にいたときよりも ずっとずっと恵まれている。
それでも譲れないパウンドケーキのレシピは 母親椎羅の直伝だ。

部下達や 知り合いの者にも配ろうとするものだから
いくら設備が整っているとはいえ 一度に作るのは到底無理な話。
それこそケーキ屋のように いくつもの型に 大量の生地をこしらえて
それでも数回に分けて作ることになる。
生地を作っては焼いて、焼き上げている間に次の生地をこしらえて。

「うーん いいにおい。」
焼き上がるときの甘い匂いにうっとりしながら 蘭世は次の生地の
材料を計っていた。
砂糖と、バターと そして薄力粉・・

「奥様」

キッチンの入り口から 部下の一人が蘭世に声をかけた。

「ボスがお戻りになります お出迎えを」

その声に 蘭世はどきん!と驚き慌てる。
「ええっ!?もうそんな時間??!」

小麦粉の大袋を両手で抱えたまま部下の方へ振り向く彼女。
フリルの付いた真白なエプロンが眩しくて。
だが 部下は低く頭を下げたまま 蘭世へは視線を向けない。
「皆玄関で出揃っております お早いご準備を」
部下の声は 極めてトーンが低い。
ボスの帰宅は家の者全員で出迎えるのがしきたり。
なのに。
カルロが間もなく帰ってくるというのにキッチンにいる蘭世に痺れを切らせ
ベンが蘭世の元へ部下の一人を差し向けたのだった。

「ごごごめんなさい!今すぐ支度しますっ」

その声を聞いて部下は姿を消し 一人蘭世は急いでエプロンを外す 
(どうしよう!つい夢中になってて・・)
予め聞いていた カルロの帰宅時間をすっかり忘れていたのだった。
(いやーん間に合わないかも!)
小麦粉の大袋を調理台の上に置いて、身体にうっすらと付いた
小麦を両手でぽんぽんとはたき落として。

窓をちらりと見れば 黒塗りの高級車・・・
「きゃーーーいけない!」

慌てて 駆け出そうとした その刹那。


「きゃあああ!!」


軽い金属が何個も崩れ落ちるときの大仰な音と
絹を裂くような 彼女の悲鳴。

「!?」

車から降りた途端にその声を聞きつけたカルロとその一同は・・・
さっ、と緊張を顔にみなぎらせ
当然、血相を変えてその場へ急行する。

「ランゼ!」

(賊でも入ったか?!)
一瞬のうちにそこへ辿り着いたカルロは胸元から取り出した短銃を構えながら 
キッチンの戸口へ飛び込む

そして そこには。


「ランゼ・・・?」


そこでカルロが目撃したものは
倒れた小さなワゴンと横倒しに転がる数個のステンレスボウル
キッチン中にばらまかれた白とココア色の粉
その中央でへたり込んでいる蘭世はそれを頭から被ったらしく
頭の先から粉だらけ。
ご丁寧にも頭や肩に 粉の小さな山ができていた。
そして 彼女はくすん、くすんと小さな肩を揺らして泣いている。

蘭世のほうはもうパニックで どうしようどうしよう・・と 
頭の中はそればかりで 動くことすら出来ない

ランゼ、ともういちど呼びかけられ 蘭世は我に返り
粉と涙混じりの汚れた顔をあげ おかえりなさい、と答えた。

「迎えに出られなくて ごめんなさぃ・・・」

賊が侵入したわけではないらしいと カルロは判断した
前にもこんな事があったような・・とデジャヴ(既視感)を感じながら
カルロはいつもと同じように やはり
なにはともあれ
銃を懐に納めながら蘭世にそっと(床の粉を巻き上げないようにして)駆け寄り
 自分の服が汚れるのもいとわず彼女の頭や肩に積もった小麦粉を払いのけてやる。

「あの・・・つまづいちゃって・・・」
「そのようだな」

怒られるかも・・と 蘭世はびくびくしているが、カルロは至っておだやかな表情。
「・・・立てるか」
「あのっ・・・はい・・」
手をさしのべるカルロにすがり 蘭世は立ち上がる。
カルロの手も その上等なスーツも うっすらと白くなっている事に気づき
蘭世は小さな声でごめんなさい とまた詫びる。
後から来た部下達は わらわらと掃除機や雑巾を準備しすでに現場復帰作業に取りかかっている。
どうやら 甘党の男が率先して動いているようだ。
「あのごめんなさい!私も」
掃除をしなくてはと 掃除道具を取りに飛び出していこうとする蘭世をカルロは引き留める。
「まずはその格好をきれいにした方がいい・・粉だらけだ」
「でも!」
蘭世は異議を唱えるが 部下達も口添えをする。
「ボスもランゼ様もお召し替えを 万一お客様が来られたときにその格好では困ります」
「ランゼはシャワーも浴びるといい 頭が真っ白だ」
だが 蘭世はまだ困った顔をしている。
「うう・・じゃあ、小麦粉を急いで買ってくる!みんな動いているのにわたしだけシャワーなんて」
粉だらけの出で立ちで 蘭世は なお小麦の調達をしに行くという
「あれかい?」
機械仕掛けのボウルの中で 卵とバターがぐるぐると ダンスを踊り続けているのと
床にどすん、と落ちている小麦粉の大袋を代わる代わる見やり
カルロは親指を立てて自分の肩越しにそれらを指さし口元でにっこり。
「そうなの! まだ途中だし 時間をおくとだめになっちゃう
 こぼした分急いで取り寄せないと・・ココアも・・」

部下たちとカルロに
「知り合いの店に行くのにその格好は笑い者になります」 
とか
「足りない分を部下に頼んで買いに行かせるから さあ!」 
とか
とかなんとか 説き伏せられて ランゼは ぽい と粉だらけのキッチンから追い出された。





みんなが自分の失敗を繕ってくれているのに・・と
気が気じゃないけど なんとか身繕いを終えて、再び蘭世はキッチンに向かう
やっぱり自分一人シャワーなんか浴びたのが申し訳なくて 足は自然に小走りになる。

「・・・あれ・・」

どこからともなく・・そう、きっとキッチンから・・甘く温かい香りが流れてきている。
キッチンの戸口に辿り着き中を見れば、すでにキレイに磨かれたキッチンの
奥にはカルロの後ろ姿が。
先程のスーツとは着替えてはいるが、三揃えの上着を脱いで 袖は腕まくりをして。
机に手をついて 台の上にしつらえたオーブンの中を覗いているようだ。

「ダーク?!」

驚いてぱたぱたと蘭世は駆けだし、カルロのそばに寄り添う。
一緒になってオーブンの中を覗けば、おいしそうに焼ける途中のケーキ達。

「部下の一人がレシピを教えてくれたよ 型1つにつき小麦粉は1パウンドだとかね」

カルロは蘭世が作りかけていたケーキを 引き継いで作り上げたのだ。
ボスにレシピを教えたのは おそらく甘党の彼。
「ダーク・・!ありがとう・・すごいわ・・・すごいわ!」
蘭世はもう 顔を紅揚させて カルロの腕に飛びついてぴょんぴょん飛び跳ねてしまう。
あのカルロが ケーキを作るのが凄いし
そして 自分を手伝ってくれたことが何よりも嬉しい。

そして 蘭世は甘い香りの中に どこかほろっと大人の香りが混じっていることに気づく。
「ん・・・なんだかいつもと香りが違う?」
それを受けてカルロはにっこり笑いながら 茶色の瓶を力でふわふわと引き寄せて蘭世に見せた。
「これを入れたんだ」
それは、ブランデー。
「・・・なるほどね!」

焼き上がったバターケーキは しっとり大人の味。

(なにをやらせても ダークは上手にやっちゃうのよねぇ・・・)
蘭世は一瞬いじけそうになるが そこはめげないのが 彼女の取り柄。
「ありがとう!」
感謝のしるしにと 背伸びしてカルロの頬にキスをすれば
「・・・お礼はあとで ゆっくりどうぞ」
”ベッドの上でね”。と テレパシーで囁けば
蘭世は食べたブランデーケーキの効果以上に紅くなり。


蘭世もそれ以来、バターケーキにはお酒を入れるようになり
あるときはラム酒 またあるときは ブランデー。
「うん・・・良いんじゃないのか今回のは」
甘党の部下も 辛党の部下も 酒の程良く(というよりカルロの好みで少しきつめに)
効いたケーキに舌鼓を打ったとか。

それから、カルロ家のバターケーキのレシピには 江藤家のそれに 
お酒のアレンジがついたのでした。


カルロ特製のブランデーケーキを沢山食べて真っ赤になった蘭世。
それが実は カルロにとっては最上の バレンタインケーキ ?



おわりv




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あとがき


「ケーキを作るカルロ様」

想像してみて下さい・・・・♪

それが、今回のテーマ だったりして????

                      悠里 拝



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