(柚子書房様再録)
むかし、むかし。
とあるヨーロッパの村に機織り(はたおり)がたいそう上手な娘がおりました。
名前を蘭世といいました。
蘭世の織る絹はとても肌触りが良く、つややかでしたので
村での評判も良く、織ったそばから売れていくのでした。
蘭世には売れない小説家の父と料理の上手な母、そして
とてもかわいらしい弟がおりました。一家の家計は蘭世が
ひとりでまかなっているようなものです。蘭世は一家の
自慢の種でした。
そしてその評判は国中にもひろまり、大王様と王子アロンの耳にも
入るほどになりました。
ある日、いつものように蘭世が一人楽しく機織りをしていると、
突然家の外が騒がしくなりました。
「ここが機織り娘の蘭世が住む家か!!いるならば出てこい!!」
物々しい声にびっくりした蘭世はそおっと窓から外を覗いてみます。
すると、豪華な馬車が一台家の前に停まっているではありませんか。
そして、そのまわりを数人の家来と偉そうな家臣ひとりが囲んでいました。
それと一頭の白い馬に豪華な服を着た若者がまたがっておりました。
「アロン王子のお召しである。光栄に思え!!」
また偉そうな家臣ががなりたてます。
蘭世はあわてて身を隠そうとしましたが、結局
ずかずかと家に上がり込んだ家来に見つかってしまいました。
両親や弟の必死の抵抗も空しく、蘭世はお城へ連れて行かれました。
蘭世には俊という幼なじみがいましたが、彼はその日偶然にも不幸にも、
隣村へ土木作業のアルバイトで出かけており不在でした。
「ねえ!僕とっても蘭世ちゃんが気に入ったんだ!是非お妃にしたいよ!」
王子アロンは蘭世の噂を聞き、興味半分で訪れたのですが
かわいらしい彼女を見てひとめ惚れをしてしまいました。
もう頑として譲りません。
大王は蘭世が機織り上手なことは知っていましたが、
その身分が低いことが大変気に入りません。
そこで大王は考え、条件を出しました。
「よろしい。蘭世とやら、あと1ヶ月の間に絹を100本織るがいい。
もしそれができたらアロンの妃にしよう。
それができなかったらその首をはねてやる」
そう言って蘭世を城の中で一番高い塔の上に閉じこめてしまったのです。
狭くて天井がやたらと高いその部屋で与えられたのは、
機織りの道具一式と、沢山の絹糸だけでした。
蘭世は途方に暮れました。
1ヶ月に100本の絹を織ろうとすれば、
1日に3本以上織らなければなりません。
でも、蘭世はいつもならせいぜいがんばって1日2本が限界でした。
いきなり見ず知らずのアロンの妃になるのは嫌でしたが
首をはねられるのはもっとごめんです。
それから、なによりも自分の家族のことが心配でした。
蘭世がいなかったらどうやって生計を立てていくのでしょう。
・・・蘭世の目から涙がいくつもいくつもこぼれます。
蘭世が連れ去られた事を聞いた俊は怒りの形相で城へと駆けつけます。
でも、当然門前払いを食らってしまいます。
それでもあれやこれやと手を尽くして城へ入ろうとしますが
結局捕らえられ、城の中で一番深い地下牢へつながれてしまいました。
蘭世が塔に閉じこめられて3日目。
やはり蘭世は泣いておりました。
それでもなんとかがんばって絹を織りますが
なかなかすすみません。
涙がぽたりぽたりと絹の上に落ち、しみを作りました。
「よくそんなに泣く涙があるものだ」
ふいに蘭世の背後で声がしました。
誰もいないはずなのに。
蘭世はびっくりしてとびあがります。
振り返ると。
見たこともない長身の男性がそこに立っておりました。
金色の髪と深い森のような碧翠の瞳をしており、
黒いマントを羽織っておりました。
男は軽く腕を組み、妖しい微笑みを投げかけます。
蘭世はその男の瞳に釘付けになってしまいました。
自分でも顔が赤くなるのが判るのでした。
「あなたは・・・誰?どこから来たの?」
その男は自分が悪魔であると言いました。
「何故そんなに泣いているのだ?」
蘭世は今までのいきさつを話しました。
悪魔である、というのが引っかかりましたが
それでも誰かに自分の不幸な身の上を
聞いて欲しかったのです。
「・・・ふうむ。それはおもしろい」
「ちっともおもしろくなんかないわ!私は・・・!!」
蘭世はまた両手で顔を覆い泣き始めます。
「もう泣くのはやめなさい・・・それでは、こうしよう」
悪魔はある提案をしました。
「私の本当の名前を当ててみなさい。
もし見事私の名前を言い当てることが出来たなら
この場所からお前を連れ出してやろう。
それまでの間、私が機織りを手伝う。」
蘭世は半信半疑でしたが、藁にもすがる想いでYesと答えました。
「一日に3つまでこれだと思う名前を言う事を許そう。
夜になったらここへまた来る」
そう言って悪魔は消えました。
すこし心が軽くなった蘭世は機織りにいそしみます。
27日もあればきっと名前が言い当てられるにちがいありません。
何も可能性が残っていないよりずっとずっとましでした。
その夜、約束通り悪魔が現れました。
「では、私の名前を言ってみなさい」
「・・・トーマスかしら?」
「違う。」
「イワン?」
「・・・違うな」
「じゃあ・・・ジェームスかしら」
「残念だな。また明日だ」
そう言うと悪魔は消え去りました。
悪魔のいた場所には絹が2本残されていました。
蘭世が駆け寄りその絹を拾い上げますと、
蘭世の織る絹に引け目を取らないほど美しいものでした。
蘭世はますますがんばって機を織ります。
2本は確実に織ることが出来ました。
そして悪魔は毎夜のように現れ、名前を当てさせます。
「ジャン?」「アレン?」「レドルフ?」
「マック?」「デビッド?」「リューイ?」
「ペトレ?」「ラルカ?」「イオン?」
なかなか名前は当たりません。
悪魔が消え去った後には、蘭世がその日織ったのと同じ数だけの
絹が残されているのでした。
時に悪魔は名前を聞く前に、魔法で紅茶を入れてくれたりもしました。
悪魔の入れる紅茶はとてもかぐわしい香りがしました。
二人でティータイムを楽しみ、あれこれ楽しく話をします。
そんな夜の翌日は、機を織る手も軽く思える蘭世でした。
このまま順調にいけば1ヶ月たつ前に100本織れそうです。
でも、それだけではアロン王子の妃にされてしまいます。
日が経つに連れ、蘭世はすこしずつ焦りを感じ始めていました。
その頃、地下牢の俊は必死になって自分の牢の格子を外そうとしていました。
かりかり、かりかり。
偶然長靴にしのばせていたドライバーで格子の横を削ります。
後何日かしたら脱出できそうです。
「蘭世、待っていろよ。今助けるから・・・!」
約束の100本まであと1日、というその日。
まだ蘭世は悪魔の名前を当てられずにおりました。
蘭世はふたたび途方に暮れ、機を織る手が鈍ります。
突然、蘭世の閉じこめられている部屋の扉が開きました。
アロン王子が大王に無理を言って蘭世を晩餐会に
出席させることにしたのです。
蘭世は久しぶりに外の世界に出ました。
豪華な服を与えられ、大きな広間へ通されました。
今まで食べたこともない豪華な食事が並びます。
蘭世とアロン王子は向かい合って座りました。
「蘭世ちゃん。僕のためにがんばってくれてるみたいだね。
とってもうれしいな!」
蘭世は顔を引きつらせて愛想笑いをします。
確かに美味で豪華な食事のはずですが、蘭世はこれからのことを
思うと憂鬱になり食欲がわかず、味もあまりわかりません。
「・・・そういえばさ、蘭世ちゃん聞いてよ。
今日森でおもしろいものを見つけたんだよ!」
アロン王子は無邪気に蘭世に話しかけます。
「今日ね、森に狩りに行ったんだ。
その奥に大きな洞窟が有るんだけどさ、
そこで不思議なものを見たんだ。」
「・・・不思議なもの?」
蘭世は仕方なく相づちを打ちます。
アロンは喜んで話し出しました。
「そう!緑色のオウムたちがみんなで機織りをしているんだ。
まるで蘭世ちゃんの織る絹みたいに綺麗だったよ!
そしてね、なんか歌を歌っているんだ。
モルドヴェアーヌ山ノ 主(あるじ)ノ悪魔ハ 機織リ娘ニゾッコンサ
ソレデモ ムスメハ ムスメハ知ラナイ
悪魔ノ名前ハ ダーク=カルロ!!
・・・ってさ。おもしろいでしょ。」
蘭世は目を丸くし、小躍りしそうなのを必死にこらえました。
体中が喜びで思わず震えます。
それも必死に隠さなければなりません。
「・・・そ、そう。不思議なお話ね。」
やっとこらえてそう返事をしました。
その夜、やはり約束通り悪魔が現れました。
蘭世は平静を装うのに必死です。
晩餐会の時に与えられたドレスを着ていた蘭世は、
狭くて暗い部屋の中でもなお、どこのお姫様にも
引けを取らないほど綺麗でした。
「・・・よく似合う。」
それを見て悪魔は思わずつぶやきました。
蘭世はポッと顔を赤らめます。
それでも悪魔は冷静に切り出すのです。
「そろそろ最後の日だな。では、私の名前を言ってみなさい」
蘭世はつとめて落ち着いた声で答え始めます。
「・・・ルシファ?」
「違う。」
「ディアブロ?」
「・・・違うな。次で最後だぞ」
悪魔は顔色一つ変えず、そう言い放ちます。
蘭世は大きく息を吸い込み、そして、歌い出しました。
「
モルドヴェアーヌ山の 主(あるじ)の悪魔は 機織り娘にぞっこんさ
それでも むすめは むすめはしらない
悪魔の名前は ダーク=カルロ!!
」
突然、突風が部屋の中を吹き荒れます。
そして今まで開くことの無かった、高いところにある大窓が
バン!と音を立てて開きました。
悪魔はパッと蘭世を抱きかかえると大窓まで飛び上がりました。
ふわり、という形容がぴったりでした。
「きゃっ!!」
蘭世はびっくりして思わず悪魔の肩にしがみつきます。
「蘭世!!」
突然下の方から懐かしい声が聞こえてきます。
見ると部屋の扉が開かれ、そこにおさななじみが立っていました。
俊が牢を破って蘭世の所まで来たのです。
俊は自慢の腕っぷしで衛兵の一人を殴り倒し、
その武器を奪ったようで
右手には剣、左手には盾を持っています。
しかし、階下からはわらわらと俊を追って家来達が
上がってくる足音がしています。
もう家来達はすぐそこです。
どう考えても多勢に無勢。
このままでは俊は殺されてしまいます。
蘭世は思わずカルロの襟元を握りながら言いました。
「お願い!カルロ様。俊君を助けてあげて!!」
それでもカルロはいたって平然とした顔をしています。
蘭世はとても真剣にカルロの目を見据えます。
その真摯さに押されたのか、カルロはこう言いました。
「・・・では私の願いを一つききなさい。」
家来達の足音が一層大きくなります。
迷っている場合ではありません。
「・・・判ったわ!何でもきくから早くお願い!!」
蘭世は(もうだめ!)とぎゅっと目をつぶり答えました。
それを聞いてカルロはパチッ と指を鳴らします。
その途端、俊の姿が消えました。
なだれ込んだ家来達は部屋に誰もいないためおろおろしています。
「ありがとうカルロ様・・・!」
蘭世はほっとした顔でカルロを見上げました。
「でも、俊君はどこへ行ったの?」
「・・・何も心配することはない」
カルロはにっこり笑います。
そのころ、俊は隣村のアルバイト先に出現していました。
夜中だから誰もいません。
自分たちで掘っている、大きくあいた穴の中で、
何がなんだかわからずぼんやりと座り込んでいました。
場所は戻って塔の上です。
「99本目の絹だ。100本目はやらぬ」
そう言ってカルロは絹を1本、下の家来達へと投げ入れます。
皆びっくりして上を見上げます。
「蘭世はモルドヴェアーヌ山の主がもらっていく。そう大王に伝えておけ」
そう言い残し、カルロは蘭世を抱えたまま大窓から出ていきました。
城の屋根の上に銀色の馬車が控えています。
馬車を引く馬でさえ銀色をしておりました。
馬車は二人が乗り込むと、天高く舞い上がりました。
その国で一番高い山に向かって馬車は天空を駆けていくのでした。
馬車の中で二人は向かい合って座っていました。
蘭世はカルロに言います。
「あの・・・私を助けて下さってありがとう。」
ぺこりとお辞儀をしました。
「私は契約を守ったまでだ。」
カルロは外を眺めたまま、素っ気なく答えます。
そしてさらに続けます。
「お前も私との契約を守りなさい」
「あ・・・。」
蘭世は、さっき俊を助けてもらったときのことを思い出しました。
(なにを要求してくるのかしら・・・)
蘭世は緊張して身体が強張ります。
相手は悪魔です。
一体どんな恐ろしい事を言い出すのでしょうか。
(それでも、約束は約束だわ・・・)
蘭世は決心を固め、カルロの横顔をじっと見据えました。
「はい、なんでも聞きます。おっしゃって下さい。」
「よろしい。では・・・」
カルロは蘭世に向き直り、蘭世の頬にそっと右手を添えました。
そして蘭世の瞳を見つめます。
蘭世は美しい碧翠の瞳に吸い込まれそうです。
顔をほんのり赤くしてカルロを見つめ返します。
「わたしのものになりなさい」
「!!」
蘭世は突然の言葉で目を大きく見開きます。
頭の中が真っ白になってしまいました。
「・・・私の愛を受けなさい。いますぐ返事をするのだ」
返事をするもしないも、もうカルロは蘭世の両頬をその手で包み、
その唇まであと数センチまで近づいていました。
「はっ、はい・・・!」
そう蘭世が答えた刹那。
カルロは蘭世に唇を優しく重ね合わせました。
蘭世だって毎夜現れ、時には楽しく話をして
慰めてくれるカルロのことが
だんだんと好きになっていたのです。
そうして蘭世は悪魔の花嫁となりました。
蘭世は山の中腹にある大きなお屋敷にカルロと二人、
そして妖しい従者達にかしずかれながら
想像以上に楽しく幸せに暮らしました。
アロン王子は地団駄踏んで悔しがりました。
しかし、蘭世は99本しか絹を織らなかったのです。
誰が数えても100には1本足りません。
よって誰がどう考えても蘭世との婚約はお流れなのでした。
大王はその代わりにフィラ姫という貴族の婚約者を
アロンに与えるのでした。
俊は蘭世を連れ戻そうと山に入りますが、
どうやら結界が張ってあるようで
何度行っても同じ所を
ぐるぐる歩かされるだけでありました。
蘭世は残してきた家族が気になり、カルロにお願いをします。
すると、カルロは蘭世が織った絹を籠に入れリボンをかけ、
機織り上手で歌が好きなオウムたちに持たせ、蘭世の家まで
運ばせてくれるようになりました。
蘭世は絹の間に手紙をはさんで送ります。
それを見て蘭世の家族は彼女の無事を知ることが出来ました。
そして、その送られる絹で生計を再び
立て直すことが出来たのです。
家族で会えることはもうありませんでしたが、
手紙はやりとりできます。
そして皆、幸せに暮らしたと言うことです。
(・・・約一名を、除いて?)
おしまいv