(3)
・・・ここは、天上界。
かぐわしい香りが辺り一面に満ち、光あふれる世界。
そして、選ばれた者のみがたどり着くことの出来る楽園。
そこに住む者達は、皆この世界のようにおだやかで物静かに暮らしている・・・
だが。
「おい! これはどういうことなんだよ!!説明しろよ!!」
最近ここにたどりついた一人の元気な若者がいた。
彼は大変憤慨した様子で周りの者にかみついている。
「おれはこんな所に来るはずじゃないだろう!?元に戻せよ!!」
それは、彼にとって大変に不本意なことだったらしい。
・・・真壁俊。
そう、俊は冥王との決戦の場で、何故かダーク=カルロと身体が
入れ替わってしまったのである。
天に召されるはずだったカルロの魂は真壁俊の所有していた身体に留まり、
代わりに俊がこの楽園へと導かれたのであった。
そこは天上界の森の片隅にある、下界を映す水鏡のそばであった。
俊を天上界へ導いたジャン=カルロとランジェは困りはてた顔である。
それでも、いかっている俊を必死になだめていた。
「でもね、私たちもダークを迎えに行ったのですよ。でも彼の身体から
出てきたのは貴方の魂だったのです」
「おかしいと思ったら何で連れていくのをやめるとか元に戻すとか
考えなかったんだよ!」
ランジェに詰め寄ろうとするところを、ジャンが間に割って入りランジェを庇う。
「我々には自分から抜け出した魂を元に戻すことはできないんだ。
それに、君をそのまま放置したら冥界で地縛霊になったいたところだぞ」
「・・・」
「まずは君をここへ連れてきて、生命の神に指示を仰ごうと思っていたんだ」
「じゃあ、生命の神に会わせてくれ!」
「それが・・・」
ジャンの返答は歯切れが悪い。
「なんだよ!」
「今は元に戻すことが出来ない、と仰られているの・・・」
ジャンが言いにくそうにしているのを見て、ランジェが代わりに答えた。
「どういうことだよ!!」
「ごめんなさいね。私たちも説明を求めたのだけど、何も仰らなくて。
ここも悪いところではないわ。すぐに慣れるから・・・仲良くしましょう」
「なんだよ・・!」
「私たちも君の気持ちはよくわかる。なんとか戻してやりたいとは思う。
だが我々にもどうしたらいいのか・・・さっぱりわからんのだ・・・」
だったら直接生命の神に俺を会わせろ!と俊は怒鳴ったが
会っても同じ事です、とただたしなめられるだけだった。
「ちくしょう・・・」
水鏡を覗き込むと、江藤家で・・・ベッドに突っ伏し泣いている蘭世の姿が映っている。
「まかべくん、まかべくん・・・!」
蘭世は自分がいなくなってしまったことを嘆き、しかもそれを誰にも言えず一人苦しんでいる。
(なんだよカルロ。俺として生きるとか言って、江藤には俺と入れ替わってることを
内緒にしろとか言ってさ・・・江藤にそんな重荷を背負わせてどうするつもりなんだよ。
・・理解できねえよ・・!!)
やっと、お互いに恋人と呼べるような関係になれそうな気がしていたのに。
そう思っていたのは蘭世だけではなく俊も想いは同じだった。
なのになぜこんな場違いな楽園に独り来なければならないのか・・・。
そして蘭世は人間界から自分の名前を泣きながら呼んでいるのだ。
「江藤!! 俺は・・俺は、ここだ!」
思わず俊は水面に手を伸ばした。
だが、次の瞬間、手は案外浅い水底へ到達するだけで、水しぶきと共にいくつもいくつも
波紋がうかびその画像はかき消されてしまうのだった。
温かくかぐわしい香りをのせた風が、無情に俊の前髪をゆらしていく・・・。
◇
再び江藤家。
俊になったカルロ・・・”シュン”は、蘭世が作ってくれたスパゲティに視線を移した。
(・・・)
蘭世は自分がカルロだと知り、泣いて自室にこもってしまった。
今自分が行ってなだめても逆効果だと判っている。
スパゲティを食べることを遠慮しようかとも考えたのだが・・・
(せっかく、ランゼがシュンに作ったのだから。)
蘭世がテーブルに寄せてきた椅子に座り、”シュン”はそれを食べ始めた。
できたてではなかったためか、少しのびて固い食感がする。おまけにくっついて
扱いづらい。・・・もちろんそれは蘭世のせいでは、ない。
食べる前に重大な告白を蘭世にしてしまったからだ。
(タイミング、か・・・どうあっても私はそれを外してはならなかったのだ)
今言わず、何時言えるだろう?
自分がシュンの姿をした、ダーク=カルロだと・・・。
一生だまし通すことなど、できるわけがないと彼は的確に判断していた。
この魂が元のさやに収まること・・・俊が元通り帰ってきて自分が昇天することなど
今の彼は微塵もその可能性を考えていない。いたってポジティブなのだ。
それならば後になればなるほど蘭世を裏切り苦しませることにしかならない。
言うなら今しかない。・・・二人だけの、秘密だ。
(ま・・・食べた後でも、よかったかな?)
カルロは黙々とそれを食べ、全て平らげた。
(・・・)
蘭世は自分の部屋でまだ涙を流していた。
ベッドの上でペンギンのぬいぐるみを抱え、座り込む。
(どうしてなの・・・?)
真壁君は生きて動いているのに、真壁君じゃ、ない・・・。
それ自体がもうショックで頭が一杯である。、
今の蘭世には何も・・・どうすればとかどう接したらなどそんな考えすら、浮かんでこなかった。
ふいに、部屋のドアをノックする音がした。
(だあれ・・・?)
でも、今の蘭世にはなにも返答をする気力がない。視線もぬいぐるみに落としたままである・・。
「ランゼ。」
どきっ。
蘭世の心臓がふいに早鐘を打つ。思わず蘭世は扉の方へ振り向いた。
(まっ、真壁君の声で・・・私の、名前を・・・!)
みるみる蘭世の顔が赤くなっていく。本物の俊だったらよっぽどのことがなければ
名前で呼んでくれないであろうに。
蘭世は当然扉は開けない。”シュン”も判っているし開けようとしない。
ドアの向こうで、”シュン”は蘭世に声をかける。
「ランゼ、私だ・・・スパゲティごちそうさま。おいしかったよ」
「はっ、はい・・・!」
声は魔法である。
黙っているつもりだったのに、俊の声に、蘭世はつい答えてしまった。
微妙に口調が違うのだが、それは確かに、”真壁俊”の声に間違いないのだ。
”惚れた弱み”とでもいえるのだろうか、蘭世はその声には従順になってしまう。
「使った食器を、キッチンへ運んでくる」
(・・・)
ドアの向こうで、”シュン”が扉の前を離れて階下へ降りていく足音がしていた。
・・・階下の応接間では、彼の腹心の部下が望里と椎羅に会いに来ている・・・
・・・つづく。
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