『新・魂のゆくえ〜the exchange soul〜』



(8)

(・・・)
蘭世が目覚めたとき、彼女はまだ犬の姿で・・・
見たこともない場所・・見回せば薄暗くだだっ広い倉庫の真ん中らしい・・に、いた。
シェパードの姿に変身した蘭世の耳に 微かな話し声が聞こえる
だが、それは どうやら異国の言葉で 彼女には全くわけがわからなかった

『本当に、確かなの?私をからかっているんじゃないでしょうね?』
『間違い有りません、お嬢様。イオがこの目で見たと申しておりました』
『お嬢様、はやめて。ナディアよ』
『はっ 申し訳ありません ナディア様』

蘭世がシェパードに噛みつき変身したとき 偶然にもそれを目撃した男が居たのだ。
さらにそれは運の悪いことにナディアの家に仕える者だった。男は仲間達にこの面妖な”犬”について
話すと、仲間のひとりがカルロ家の客人に不思議な一家・・日本から来たピストルの弾が効かないエスパー達、が
あったことを知っており、おそらくその一人ではないかと言うことになったのだ。
『カルロ家の客人を捕まえてもいいのか?』
『いや、今回は客じゃないな 物陰に隠れていたからおそらく不法侵入だ』
『カルロ家に不法侵入とは大した奴だな。そいつは男か?女か?』
『女の子だったぞ』
『はぁ?!』
”不思議なエスパーの女の子”
その話が ナディアの耳に入り・・興味を持った彼女がその犬を捕まえさせたのだった。

倉庫の外から足音が近づいてくる。
「!」
犬の耳をした蘭世にはそれがすぐ判り、自分をここへ連れてきたであろう人物たちがここへ入っていることに
緊張し 横たえていた体をさっ と起こし立ち上がった・・犬だから当然4本足である。
音が近づいてくるドアに向かって 蘭世は身構えた。

倉庫の奥 あの赤茶けたドアから 足音達は今からここへ入ってくる・・!


ギイッと 金属のこすれる耳障りな音を立ててゆっくりとその扉は開いた。
まず現れたのは、中年のスーツ姿をした男。そしてその男がうやうやしく頭を下げドアを開けると
ドア向こうの暗闇から にじみ出るように白くほっそりとした影が現れた。
(あ・・・あのひと・・何処かで見たことある・・ような・・?!)
数秒おいて、蘭世は思い出した。
(あっ あのとき まかべく・・じゃなかった カルロ様のそばにいた女だわ!)
カルロ家の屋敷 窓越しに見た風景。
”シュン”に色目を使っていた女だわ!

優雅な足取りで 上品なハイヒールがこちらへ近づいてくる。
見上げれば、それはハイソなワンピースに身を包み ウェイヴのかかった金髪を洗練された
ミディアムヘアにした女であった。 どこか誰かに似ているような瞳が好奇心一杯の光を湛えてこちらを見ている。
彼女は、ナディア。カルロの従妹(いとこ)だ。

『ふうん・・・どこからどう見たってこれは犬よね。』
ナディアは1メートルほど蘭世へ近づいたところで、緩く腕を組み 優雅な仕草でその白い指を小さな顎に添えて
考え事をするようなポーズをとった。
『これが・・本当は人間、なの?』

”どうして私をここへ連れてきたの?!元の場所へ返してよ!”
蘭世はナディアに向かってそう言ったが、犬の姿では それはただの吠える声となってしまった。
その吠え声に驚き ナディアはさっ と顔を引きつらせ2,3歩退いた。
『やあね ただの駄犬じゃないの?!』
『いえ、そんなはずでは・・確かに娘がこの犬に変身したと』
異国の言葉を話す女と男に、犬の蘭世は訳も分からず途方に暮れる。

『まぁいいわ・・・暇なんだしすこしお遊びにつきあってあげる』
気を取り直し、ナディアはちょっと今の状況を小馬鹿にしたように小首を傾げ その”犬”に話しかけた。

「そういえば あなたも日本人なのよね?私の日本語通じているのかしら?」
(わわっ 日本語!)
蘭世はその懐かしい言語に すかさず反応してしまう。
「あらぁ やっぱり通じているの?犬の表情がわかるなんてなんだか滑稽よね」
蘭世=犬は明らかに理解した!と明るい?表情になり、興味を持ったあまりに尻尾を振ってしまっていた。
ナディアが日本語を話してくれたことは蘭世にとって好印象だったのだが、それは長くは保たなかった。
彼女の声のトーンは変わらない。だが、ナディアは口元だけで笑みを作り 蘭世=犬を見下ろしている。
そして・・


「わるいけど私は犬の言葉がしゃべれないのよ ねえ貴方、元の姿に戻って下さらない?」

(えっ)
”私の、元の すがた?!”
それって私が変身しているっていうのを気づかれてるって事じゃあ・・・!?
のんびり屋の蘭世は、ここで漸く自分の正体が目の前にいる者達に知れていることに気づいたのだった。

蘭世の頭の中はパニックだ。
”どうしよう どうしたら・・・!?”

変身したところを見られたんだわ!迂闊だった・・
でも、だからといって また元に戻る姿を堂々と人間達の目の前にさらすなんて そんなことしたくない。
どうしよう、どうしよう。
・・・
そうだ、犬のふりを続けようか!

そこまで蘭世が頭の中で考えたところで ナディアが再び口を開いた。
「犬なのになんてわかりやすいのかしら・・・ふふ 困っているの?」
ナディアは意地の悪い視線を蘭世=犬に投げかけたあと 無言でさらりと部下らしい男へ目配せをした。
それに男は素早く反応し・・何やら銀色をした薄手で長方形の金属ケースをナディアの掌へと手渡す。
ナディアはそれを慣れた手つきで開き・・中から何やら見慣れない物をとりだした。
健康的に生活をしていれば 滅多に出逢うことのないそれは。
・・・・注射器・・・・
「これはね、致死量の毒なのよ・・・モルヒネというの」

ナディアは慣れた手つきでそれを宙にかざしてみせ ガラスの液体越しに向こうの景色を見るような
目つきをした。
「人間じゃないあなたに 効くのかしら・・・少なくとも犬にも効くはずよね」
(そんな危ない物を・・・どうするの?!)
「私はただの犬には用事がないの。わたしの言っていることが判らない犬はこの薬で天国へ送ってあげるわ 
・・もし私の言葉が通じているのならば すぐに元に戻りなさい そうすれば死なずに済むわよ」

(なんて 恐ろしい女(ひと)なの!)
その悪魔のような脅迫に 蘭世は全身の毛がよだつような感覚を覚える。
蘭世は魔界人だが、人間にとって毒物は、半人前蘭世にもおそらく相当な毒だ。
そんなことは蘭世本人には判らないが、本能で危険を感じ取っていた。

「・・ほんとに只の犬なの?あなたは」

その催促に蘭世はあわてて前足でヒゲをおさえ それで鼻をこそばせた。
「・・・っくしゅん!!」
 くしゃみをした途端 犬だった蘭世の身体は白い煙に包まれる。
もともとカルロ一族は 不思議な力を持った者達の血筋だ。
ナディアも怪奇な事象にはさほど驚きもしないし 度胸もすわっている。
自分の目の前で犬が本当に人間の姿に戻っても 悲鳴など上げるつもりもない。
良い子ね、と言って妖しく微笑んでナディアが注射器をケースへ戻し 再び顔を上げた そのとき。


『あなた・・・!』

冷静だったナディアの表情がみるみるうちに強張っていく。
煙の向こうから現れたのは つややかな長い黒髪を揺らした 黒い瞳の娘だった。
娘は、床の上にへたり込むように座っていた。
蘭世が犬の姿だったとき あとから繋いだ太い首輪が それまでその娘が犬の姿をしていたことを
はっきりと証拠づけていた。
その首輪には太い鎖がついており それが蘭世を太い柱へと繋いでいるのだった。


”もしかして”

不思議な犬は、娘の姿にその形を変えた。
ナディアはその娘を”人間が首輪と鎖に繋がれてなんとも滑稽な姿ね”、と娘を皮肉ってやりたかったのに 
その言葉も喉に張り付き出てこない。
その容姿を見るほどに ナディアの心臓がきゅううと締め付けられていく。

(この娘は もしかして私の恋敵・・・?!)
恋敵、といっても一方的にナディア(とその部下たち)がそう思っているだけかも知れないのだが・・・

あのとき。
 ナディアが一大決心をしてカルロの元へ行き 自分からプロポーズをしたというのに 
彼・・カルロは別の娘の名を口にした。

そして 今でも思い出されるのは あの 今まで見たこともなかった優しげな表情

ダークがあんな柔らかい表情をうかべるなんて 想像だにしなかった
そんな柔和な顔で紡ぐ彼の言葉は ナディアの心を深くえぐった
『私には 心に決めた人がいる 弱そうで 強い 長い黒髪 ひたむきな瞳・・』

”いとしいひと、ランゼ。”

「あなた・・名前は ランゼ、ね?」
ナディアが 震えそうになる声を抑えながら低い声で彼女へ尋ねる。
唐突に初対面の人間から名前を呼ばれ、蘭世は驚いた。
「ど・・うして 私を知っているの?」
(やっぱり・・・!この娘が・・・!?)
『ダークがエスパーの娘を愛していたのを私は知ってるわ』
「え?」
こんなところで 忘れ去りたい嫌な思い出を突きつけられることになろうとは。
ナディアは苛立ち、言葉を日本語に変換するのも忘れて吐き捨てるようにつぶやき 険しい表情で
腕を組んだまま ぷいと体ごと横を向いた。
「今・・なんて言ったの?」
蘭世がおそるおそるそう問いかけてもナディアは強張った横顔のまま押し黙り、答えは返ってこなかった。

この・・憎い娘を どうしてやろう?

だが、ふと冷静になれば ダークは既にこの世の人物ではないのだ。
勿論ナディアは今の真壁俊の体にはカルロの魂が宿っていることなど知る由もない。
(はん・・!この娘にはいい気味だわ そうよ ダークはもうこの世にいないじゃない。
 結局ダークの恋も実らなかったのよ)
ナディアは蘭世がカルロを振ったことを知らず、てっきり相思相愛なのだろうと思いこんでいた。
カルロが女性を振ることがあっても、カルロを振る女性などこの世には皆無だと信じて疑わなかったから 
そんなことなど想像すら出来なかっただろう。

ナディアはつい、と俯いていた顔をあげ、顔だけで蘭世の方へ振り向いた。
「ダークがこの世から居なくなって あなたもお気の毒ね。折角あんな素敵な男を射止めたのに」
「ええっ!?そんな」
ナディアの誤解発言に 蘭世はうろたえる。
「私が知らないとでも思ったの?馬鹿にしないでよね 私はダークのいとこなのよ。
 どうみてもあなた ただの小娘なのに一体どんな手管を使ってダークを誘惑したの?
・・・それとも やっぱりダークは あなたの血筋が欲しかっただけなのかしら」
「・・・・」
蘭世は返答に窮してしまう。
「わたしは・・誘惑なんか してません・・・!」
ただ、それだけは確かなこと。ナディアの責め立てる問いかけにすっかり怯えた蘭世だが、
それだけはようやく言葉を返したのだった。
「口答えしないで頂戴!」
カツン!とハイヒールの踵で床に蹴りつけ、ナディアはこちらへ向き直った。
「それに・・それに!」
再び怒りのウエィヴがナディアに押し寄せてくる。
ナディアはカルロの替え玉である”シュン”の台詞を思い出していたのだ。
”シュン”までもが、ナディアに向かって「ランゼ」を愛していると発言していたのだった。
それは勿論、シュンの中身がカルロであったから 彼は自分の意志を堂々と明快に述べたのに過ぎないのだが
ナディアにしてみれば 好意を持った男達からことごとく「ランゼが」と言われ振られたことになるのだ。 

「あなた!こともあろうに替え玉のダークにまで手を出したでしょう!なんてはしたない女なの」
「ええっ?!」

どう見たって 目の前にいるのは不思議な力・・それも気味の悪い能力・・を持っているだけで
ほんのたかが小娘、なのだ。
これほどナディアにとってプライドを深く傷つけられたことが過去にあっただろうか。

「どうしてあんたみたいな小娘がいいのか私には理解できないわ・・
 いいこと!もううちの一族に関わらないで頂戴」

感情に流されれば 懐に忍ばせた短銃を引き抜いて目の前の娘を撃ち殺してしまいそうだった。
蘭世はまだ半人前モンスター。撃たれれば全く無事というわけにはいかないだろう。
死ぬほどの苦しみを味わうことになってしまうかも知れない。
だがナディアのプライドが、すんでの所で冷静さを保持させていたのだった。

「あんたなんか私が殺してなどあげない。あとで部下達に片づけさせるわ。」
ナディアは悪魔の微笑を湛えていた。
「折角だから死ぬ前に少し説明してあげる。
カルロ家の血筋を途絶えさせるわけにはいかないのよ。今のダークにはね、カルロ家の者と婚姻を結んで
子孫をつくり育てる義務があるの。だからあなたの出る幕はないの、害虫はさっさと消えるのよ」

(私を片づける?・・・・婚・・姻・・!)
替え玉である”シュン”は、中身はともかく体には当然カルロ家の血は流れていない。
そこで 彼にボスをさせつつカルロ家の血を保とうとすれば、自然とカルロ一族の娘と結婚するのが
妥当ということになる。

だが、そんなことは蘭世にとっては一切関係ない事情だ。
蘭世の脳裏に、”シュン”にしなだれかかるナディアの姿が思い出された。
あの様子は周りの者、そして蘭世にも、たとえ中身はカルロであっても 
真壁俊にナディアが色目を使っているとしか見えない。
自分の進退よりも 真壁俊のほうに先に目がいくのが蘭世らしいといえばそうだった。
「じゃあ・・あなたが まか・・じゃなかった カルロ様、と結婚するっていうの?」
今度は蘭世の声が震えていた。
「そうよ。」
涼しい顔でナディアは言い放つ。
「そんなの・・だめ!!いやよ!!!」
蘭世は金切り声をあげていた。神谷曜子とのライバル争いも心に過ぎったが それ以上に
ナディアの行状には怒りがわきあがってくる。
「真壁君にも・・・カルロ様にもっ あなたみたいな意地悪なひとなんか絶対ダメ!!」
「なんですって!!」
蘭世の頬に、ナディアの平手打ちが飛んだ。ナディアの怒りが頂点に達したのだった。
「きゃああ!」
平手打ちの勢いで 蘭世は横へ飛ばされていた。鎖が傾く体に引かれ伸びきり、蘭世の首を締め付ける。
「・・・っ!」
「貴方には悪いけど消えて頂戴・・・これで死なないのなら 死ぬ苦しみを味わうといいわ!」
ナディアは怒りのあまり、自ら手を下すことを考えたのだった。
この娘の父親がピストルでは死ななかったことを思い出し、ナディアは再び先程の注射器を取り出していた。
「それともこの薬も水のようにあなたにはなんともないのかしら?・・口を塞いで抑えつけて!」
「いっ・・いや!!」
蘭世の強力な生存本能が あれは危険な物だと告げている。
暴れもがいて逃げようとする蘭世を無情にも部下の男が抑えつけ、噛みつかれぬようにと粘着テープで口を塞いだ。
どんなに暴れたって 小娘の力では鍛えた男にはかなわない。
袖をまくり上げられた腕に 注射器の光る針先が押し当てられる。

(イヤ・・・止めて・・・誰か・・・まか・・カルロ様っ!)



つづく

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