2003年 クリスマス企画
『イヴの夜に』

(前編)


・・・ここは中世フランス。
今日も貴族の館で園遊会が開かれている。
貴族達は平民の貧しい暮らしをかえりみることなく思うままに飲み、好きなように食べ、
気に入ったパートナーを見つけると二人で連れ立って別室へ行き、
思うままに痴態を繰り広げていた。
貴族達は結婚して伴侶が居ても、その相手と愛し合うことはしない。
園遊会などで出逢うゆきずりの恋を楽しむのが貴族らしいとされ、
伴侶と仲がよいと噂されると恥に思われるほどだった。

広間のあちこちで、美しく着飾った女達と男達が笑いあい、ひそひそと囁き合っている。
中にはもう寄り添い合っている男女もおり、それを遠巻きに眺めて何事かを扇子の向こうに
隠れて密談し合っている女達も見える。

広間の横にあるサロンで、四角いテーブルを囲みカードをしている男達がいた。
伯爵2人と、貿易商を営む異国人が一人。3人の中でもその異国の男は特に人目を引く。
「あら、今日もあの男が来ていますことよ」
「いつ見てもため息が出ますわねぇ・・・」
彼は美しい金髪をしておりその当時の貴族風に髪型を整えていた。
服装も平民のではなく貴族風なものを着こなしている。
そして深い碧翠の瞳をしており端正な顔立ちと、異国の者で平民なのに、
それと思わせない優雅なその風貌が貴族の女性達を惹きつけて止まないのであった。
その男は貴族相手に絹・宝石・ワインなど様々なものを売っていた。
本来なら平民なのだが、その商売の手腕と・・・美貌を買われ
こうして時折貴族のパーティに出席する事を許されていのだった。
「今日にでも声を掛けてみようかしら?」
貴族の女の一人が色めきだってその男に熱い視線を送る。
「あらあらご熱心ね。でも、あの男ったら高額な商品を買ってくれる
 上得意の奥方しか相手にしないのよ」
「まあ。平民のくせに生意気な男ね!」
「そうね、いちどこらしめてやりたいわね・・・」





異国の男は怒りながらずんずんと裏通りに面した狭い階段を駆け下りていた。
その端正な顔と碧翠の瞳にいらだちが浮かんでいる。
裏通りは建物と建物に挟まれ、薄暗い雰囲気だ。
石造りの階段の手すりは一昔前に火事でもあったらしく、黒く煤けている。
(・・・私としたことが。儲け話に油断したな)
怒りで強張っていた顔に、少し自嘲するような表情が浮かぶ。
いつぞやの園遊会で遊んだカードで大いに負かした伯爵達に
”大事な商談をするから来い”と言われ、騙されて娼館に連れ込まれたのだった。
男は商売を円滑に運ぶための手段として、貴族の女性方と多少はそれなりのつきあいはしていた。
ただ、それは仕事の上の話であって、自ら買ってまでも女遊びをする気はさらさらない。
貴族達の腐りきったお遊びにつきあうのはもうこれ以上ごめんだった。
表通りに馬車が寄せてある。
娼館に出入りしていると思われたら心外だ。早くこの場を立ち去ろう・・・

階段を下りきったところから昼なお暗いトンネルのような通路が続いている。
フランスのこの街の裏通りなど、どこもかしこもこんな雰囲気でその男には
慣れたものだったが、知らない者が迷い込むと亡霊でも出そうなその薄気味悪さに
震え上がるに違いない。
通路の入り口に蛇女ゴーゴンの顔のレリーフが彫られており・・・
その女神の顔も、その周りの壁一帯も黒いすすで汚れていた。
そこを足早に抜け、表通りにつながるこれまた薄暗い路地へと右に曲がった。
(・・・?)
異国の男は言い争うような声を耳にし、ふと立ち止まった。
表通りへ出る方向とは反対の、恐らく娼館の裏口らしい扉の前で、
男と娘がなにやらもめている。
「いやっ!離して!!」
「いい加減におとなしくしないか!」
少女が男に取り押さえられている。
そしてその娘は男から逃れようと必死にもがいているようだった。
ドアの中へと連れ込まれまいと、ドア前の黒い手すりにしがみついているその娘の腰を、
男は後ろから抱え込んで中へ引っ張り込もうとしている。
(・・・)
恐らく娼館の世話男と、そこへ売られた娘だろう。身売りなど日常茶飯事の昨今だった。
売られたにしては娘の身なりが少し貴族風で綺麗なことに引っかかったが、
男は見ない振りをして表通りへ歩き出した。
「いやっ!神様!!」
「うるさい!」
世話男が怒鳴り、次の瞬間頬を張り倒したようなバシッという音が通路に響いた。
「きゃああっ」
続いて、娘のすすり泣く声が聞こえ始める。
(・・・)
表通りまであと数歩、というところで男は立ち止まり・・・一呼吸考えてきびすを返した。
裏口の男と娘へと近づいていく。
「・・・いいかげんにしないか」
「おやさっきの旦那。」
声を掛けられ、世話男が振り向いた。
ひげ面ででっぷりと腹の出た、赤毛の、ぶ男だった。
さっき娼館の中で見た顔だった。
泣きじゃくる娘を肩に抱え上げてドアの向こうへと消えようとしていたところらしい。
娘をいちど どかっ、と荷物でも置くように地面に降ろし異国の男へと向き直った。

「先ほどはどうも・・気に入った娘がいなかったようで残念でしたね」
世話男はニッと笑って媚びを売ってくる。
異国の男は眉をひそめ、その言葉を無視した。
「女を叩くのは、私は気にいらん」
それを聞いて世話男はあっはっは!と大げさに声を立てて笑った。
「いやー旦那、参ったねぇ。それだけ男前で女に優しいときたら、
もててもてて娼館に来るまでもないよなぁ」
「・・・」
異国の男は黙ったまま無表情で、けらけらと笑う男を無視していた。
座り込み泣きじゃくっている娘の横顔へ視線を落とす。
色白に黒曜石のような黒い瞳。
そして結い上げている髪の毛も夜の闇を寄せて作ったような美しい黒髪だった。
俯いたうなじが白く美しい。
愛らしい横顔。そして伏せた長い睫毛に涙が光っている。
娘は口元を抑えひっくひっくと泣きじゃくり続けて、こちらに振り向きもしなかった。

「・・・この娘はいくらだ」
その言葉に、世話男はにんまりした。にやにやとへつらいながら答える。
「おっ、お気に入りがみつかりましたかい?・・こいつは生娘ですから他の女より
割高ですぜ。そうですねぇ、一回あたり・・・」
「そうではない、その娘を買い取るんだ」
思いも掛けないその台詞に、世話男はぴたっ と笑うのをやめた。
娘も驚き、大きな目で異国の男を見上げ・・・・次の瞬間、顔を赤らめ俯いてしまった。

娼館の世話男は値踏みするような目つきで異国の男を見返した。
「こいつは借金の肩にもらい受けたんでね。その分働いてもらうつもりだったんだ。
だから、その借金を旦那が肩代わりして払ってくれるというならねぇ」
世話男は再びにやにやしながらその金額を提示した。
まあ、無理でしょうねえと言いたげな表情だ。
それは、その当時大きな屋敷が土地ごと一軒そっくり買い取れるほどの金額だった。
娼婦一人買い取るには法外な値段だ。
「・・・よかろう・・・ペンを貸せ」
そう言って男は小切手を懐から取り出し、言われた値段を書き込みサインをすると
世話男につきつけた。
「えっ・・!?」
世話男は豆鉄砲をくらった鳩のようにポカンとした顔でその小切手を見つめている。
「何をしている、早く受け取れ」
「ああっ、し、失礼しましタッ」
男は震える手でその小切手を受け取ると、娘をドアの前に残したままいそいそと
建物の中へと消えていった。

「あ・・・あ・・・・」
娘は驚きの余り目を見開き、口を両手で覆ったままがたがたと小刻みに震えていた。
「神様・・・ああ、神様!!」
そんな言葉をぶつぶつとつぶやいている。
「・・・立てるか?」
そう言って男は上半身をかがめ、座り込んだ娘に右手を差し伸べた。
娘はおずおずと、その大きな手に華奢な手を乗せ立ち上がろうとした。
「・・・あっ」
立ち上がった途端、かくん、と娘の膝が落ちる。
男はサッ、と崩れ落ちる細い身体を片腕で支えた。
安心したのだろうか。娘は腰が抜けて立ち上がれなくなっていたのだ。
男はふっ、と優しい笑みを浮かべると、軽々と娘を抱き上げて表通りに歩いていった。
「・・・ご ごめんなさい・・・」
娘は抱き上げられたことの照れもあったが、男の端正な顔が間近になり、
一層その鼓動が高まることに拍車が掛かっていた。
・・娘は真っ赤な顔で、ひたすら、俯いていた・・・。

表通りに出ると豪奢な馬車が一つ停まっており、従者らしい男が側に立っていた。
こちらに気づくと一礼をして馬車のドアを開ける。
男は娘を抱いたままひょい、と馬車へ乗り込んだ。

娘を座席へと降ろすと、男はその向かい側の座席へと座った。
従者によってドアは閉められ、やがて馬車はしずしずと動き始める。
そして、次第に速度を上げていき、石畳にあわせてがたがたと揺れ始めていた。



つづく

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