『イヴの夜に』

(中編)


馬車はかたことかたことと石畳の街を進んでいく。
「あの、助けて下さってありがとうございます・・・」
しばらくして、我に帰った娘はそう感謝の言葉を述べたが、男からは何も返答はなかった。
娘は身の上を話そうかと思ったが男は無表情のまま外の景色を眺めている。
居心地の悪さを感じながらも、身を小さくして娘も無言で馬車に揺られていた。

やがて、馬車は郊外に出る。
そして遠くに見えていた大きな屋敷が次第に近づいていき・・・
ついにその屋敷の門をくぐった。
「遠くから見えていたときまさかここ!?と思ってたけど・・大きなお屋敷・・・!!」
思わず娘は馬車の窓に身を乗り出しながら感嘆のため息をもらした。
「ここも私には仮住まいでね・・・私の祖国は別にあるのだ」
娘のそれを受けて、男も静かに答えていた。
「お国は・・どちらなのですか?」
「・・・ルーマニアだ」

「お帰りなさいませ」
娘が馬車を降りると、主と同じ金髪だがそれを短く整え、そして目つきの鋭い男が
従者の服を着て立っているのが見えた。
彼は玄関の扉を開け、実に見事に・・優雅な、そしてつつましやかな角度で頭を垂れていた。
「執事のベンだ。」
玄関から中にはいるときに、男はその従者を娘に紹介した。
「よろしくお願いします・・・」
「どうぞ、お入り下さい」

やがて、娘は夕食のテーブルに通される。
娘はあわてて手を振り席に着くのを拒んだ。
「あのっ。私、あなた様に買っていただいたんですし・・召使いの仕事をさせて下さい!」
すでにゆったりとした私服に着替え上座に着席していた男は笑顔に・・そう、
少し寂しさを混ぜたような表情で娘に右手で席を指し示し、座るように促していた。
「・・・今日はいい。私と食事をしてくれ」
「でも・・・!」
「ご主人様の仰るとおりになさって下さい」
「・・・」
横から先ほどの執事に声を掛けられ、娘はおずおずと席に着いた。
その執事の声は静かだが威厳があり、逆らう事ができそうもない雰囲気を
持ち合わせていたのだった。


「・・・部屋を用意させよう。そこで今夜は休みなさい。」
「ありがとうございます・・・」

それが、食事中に二人の間に交わされた言葉の全てだった。
娘もなにか話そうとしていたのだが、雰囲気に飲み込まれ言葉が見つからなかった。
食事も、美味しいものが並んでいたはずだが味がよくわからないほど娘は緊張していた。
そして、つい・・男の、実に優雅な食事をとる仕草に見とれてしまっていたのだった。

何事もなく夕食は終わりを迎えようとしていた。
しかし。

”あとで私の部屋に来なさい”
その男はダイニングから立ち去ろうと娘の横を通りすぎるとき、その言葉を
娘の耳に囁き残していったのだった。



娘はその男の部屋を訪れるつもりはなかった。
・・・それが何を示すかは、だいたい見当が付いていたからだ。

だが、先ほどの威厳のある執事が娘の部屋を訪れ、有無を言わさず
この屋敷の主がいる部屋へと誘導したのだった。
娼館の前で騒いだように抵抗できたはずなのに。
無抵抗で執事について行ってしまったのは、執事のほうがうわてだったからなのか、
娘自身の心に何かが芽生えていたからなのかは、娘本人にもよくわからなかった。

「・・・飲むか?」
部屋へ通され、ドアが閉められると男はワイングラスを片手に娘に声を掛けた。
だが、娘は俯き、赤い顔でふるふると首を横に振った。
「・・・そこへ座りなさい」
娘はおずおずと、指し示された長椅子の端へ座る。
すると、男もスッと横に座った。
娘の心臓の鼓動が倍に跳ね上がる。

その緊張した娘の顔を楽しそうに見ながら、男はスッとグラスを持った右手を空にかかげた。
すると・・・
突然、グラスが手を離れ宙に浮かんだのだ。
そして、キャビネットのドアがひとりでに開くと、中からボトルワインと、
もうひとつのグラスがふわふわとこちらへ近づいてくる。
そして、空中で勝手にグラスへワインが注がれていくのだ。
「きゃあ・・あ・・!」
娘は目をまんまるにして驚く。そして口に手を当てて固まっていた。
その様子を見て男は楽しそうな、いたずらっぽい表情だ。
「ちょっとした手品だよ・・不思議だろう?」
娘は大急ぎでこくこくこく・・・と頷いた。
やがてワイングラスは男と・・・娘の目の前に漂ってきた。
「どうぞ。」
そう促され、娘は思わず宙に浮いたグラスを手に取った。
グラスを合わせ、二人はそれを口にした。

男は飲み干したグラスをテーブルの上に置く。
そして、次に男が指をパチン、と鳴らすと・・・娘の結い上げていた黒髪がさらりとほどけた。
「きゃ!」
男のいたずらに娘は驚いてあいた手で髪を押さえる。
「やっぱり・・・綺麗な黒髪だ」
そう言いながら男は髪を一房手に取ると、そっとそれに口づけた。
娘はもう顔が真っ赤だ。
そして、娘はうわずったような震えた声で、答えた。
「あの・・・あなた様の方が、私なんかよりもずっと素敵です・・・
美しい金色の髪で、素敵な緑色の瞳で・・私はいつも黒くてカラスみたいって言われるのに」

・・その後は実に自然な動きだった。
男は娘の手からグラスをそっと受け取るとテーブルへ置く。
そして右腕に娘の細い肩を包むと小さな顎に人差し指を添えてそっとこちらを向かせ、
桜色の唇を塞いだ。
ここへ来る前は何かあれば抵抗するつもりだったのに、電撃に見舞われたように娘は動けなかった。
・・・しかし。
いつのまにか背中の紐が緩められ胸元が開かれると娘は我に帰り必死に抵抗を始めた。
「いやっ!」
細い腕で男を押し戻そうとするがその手首もあっけなく掴まれて左右に開かれてしまう。
「やめて下さい!!お願い・・・!!」
男はその懇願を無視し、小さな身体を長椅子へと押し倒した。
「やめて!!いや・・嫌っ・・・神様!!」
「・・・」
男は少しあきれた顔で抵抗し泣き始めた娘を見下ろした。
「お前は私が買ったのだ 私にたてつく権利など無いのは・・・判っているだろう?」
「すみません・・でも・・・でも!!」
娘は涙をポロぽろ・・とこぼし始める。
「お願いです・・・私の話を聞いて下さい・・・!」
「・・なんだ?」
「あなたは私を愛してもいないのにこんなことをしてはいけません!ご自分の身が穢れます!
あなた様みたいにご立派な方だったら・・・祖国に美しい方がお待ちではないのですか?!」
(この娘は・・私に、説教をする気か?!)
「下女でもなんでもします。力仕事も・・・がんばります。でも、
愛もないのに私を抱くことだけは・・・どうか、どうか勘弁して下さい・・・!」
(・・・)
男は驚いた顔で、泣く娘を見下ろしている。
「好きな男でも・・・いるのか?」
もしやと思い、男は娘にかまをかけてみた。
すると、娘は赤い顔で横を向き・・・静かに頷いたのだった。
・・・図星。
これにはさらに男は驚かされた。
「好きな男に操を立てるとは・・・おまえは貴族じゃないのか?」
”お前は、貴族の娘ではないのか?”
あの、傲慢で色事しか考えていない、頭が空っぽの連中。
服装からして、この娘はどう考えても貴族の一員としか思えない。
貴族だったら好きな男がいようがいまいが、別の男と寝ることなど全く平気な人種のはずだ。
それなのに・・それなのに・・・!?

「私の両親は、確かに貴族です・・・。私は・・・昨日、修道院から出てきたばかりです。」
娘は横を向き視線を逸らしたまま、ぽつぽつ語りだした。
「でも、親戚のおじさんが借金をつくっていて・・・
 そのおじから結婚話が固まったから修道院から出てきなさいって言われたんです。
 相手は昔から決まっていた許嫁だよって。でも、それは嘘で・・
 騙されて借金の肩に娼館へ売られたんです。」
涙の筋がさらにいくつもいくつも増えていく。
「私は今は両親が二人とも亡くなっていて・・・一生修道院で暮らす覚悟をしていました。
それでもやっぱり昔の許嫁が忘れられなくて・・・
せめて、好きな人のために清い身体でいたいのです」
「・・・!」
男は娘のその言葉にカルチャーショックを受けていた。
娘の肩を掴んだまま、それ以上触れることもできず愛らしい泣き顔を見つめていた。
男はフランス貴族と名が付く者達は、老いも若きも男も女もみんな同じていたらくだと
思いこんでいたのだ。

 実は、貴族の娘達は最初からあんな乱痴気騒ぎを起こす連中になるように
育てられているわけではなかった。
13〜14の、結婚する年までは修道院でつつましく暮らしているのだ。
そして、その後親の決めた貴族の男性と結婚し貴族の社交界へとデビューする。
その社交界こそが、夫を差し置いて男漁りが平然と出来る社会が・・・
まっすぐな娘達の心を歪めてしまっていたのだった。
(・・・)
男は娘から手を離した。
身を起こし長椅子から立ち上がり、娘に背を向け戸棚へと歩く。
そこから今度は自分の手でワインを取り出し、赤い液体をグラスへ注いだ。
「・・・執事に伝えておくから明日からここで働くがいい・・・」
そう言ってからグラスのワインをぐいと飲み干した。
「自分の部屋に、戻りなさい」


それからというもの、男は身の回りを全てその娘に任せていた。
食事を運ぶのも娘の担当で、違う者が運んできたりすると娘を呼びつけて運び直させたりすらした。
そして着替えを用意するのも、部屋の掃除もベッドメイキングさえも娘の仕事だ。
娘は修道院でも修道院長の身の回りの世話をしていたためかてきぱきと手際が良かった。
ただ、生来おっちょこちょいらしく、花瓶を壊したりと時々失敗をしていたが
それもかわいいものだった。
召使いとして働いてはいたが、この娘にはどこかしら育ちの良さ・・・高貴な雰囲気が漂っていた。
聞けば、生前に両親が教会に多額の寄付をしており、特別に上流階級向けの修道院へ
入れてもらっていたという。
立ち居振る舞いはこれでこそ貴族、と言うにふさわしいものだった。
”愛がなければ抱かないで・・・”
貴族だが平民と同じ愛情の感覚。
男もそれに納得し、逢ったとき以来娘に一度も触れることは無かった。

そして、クリスマスが近づいていた、ある日。
男は久しぶりに娘を連れて街へと馬車を走らせた。

「街を、人々を見てみなさい・・・」
娘は言われたとおり、外の風景をのぞき込んだ。
街には、行き交う人々。
だが、もう少しでクリスマスだというのにどこかうらさびしい雰囲気がしていた。
「あ、お店が、開いていないのね・・!」
娘がそれに気がついたことに、男は満足げに微笑んだ。
「皆、クリスマスが近いというのにご馳走どころかパンを買うことすら出来ないでいるのさ。」
「何故!?」
「貴族達が・・・それらをほとんど買い占めていると言ってもいいだろう」
そう言って男も娘から街の外へと視線を映した。
「こんなおかしな状態、国民が放って置くわけがない。」
吐き捨てるように男は言葉を続ける。
「この国には近く革命が起こるだろう。お前達の親がいた貴族社会の崩壊も近い」
「・・・」
娘はなんと答えて良いのか判らず、じっと男の横顔をみつめていた。
やがて、男は窓の外を眺めたまま再び口を開いた。
「おまえの婚約者は貴族か」
「はい・・・」
「その婚約者も、おそらく処刑されるような情勢が訪れる。・・・私には判るのだ」
「えっ・・・!」
「私は仕事柄、貴族の社会も、平民の社会も良く知っている。そして平民が何を考えているか、
何をしようとしているかも判っているのだ」
「処刑だなんて・・・そんな!」
娘はおろおろし、両頬に手を当てていた。
「処刑の対象は貴族だけではなく・・おそらく私のような資産家にも拡がるだろう
 ・・貧民を助けるというのが大義名分さ」
「旦那様が処刑だなんて・・・嫌よ!!」
”婚約者だけではなく・・・目の前にいる主人も・・・処刑されてしまうの?!”
泣き虫な娘の目から涙が零れ始めていた。
泣いている娘に気づき、微笑んでその涙に濡れた頬へそっと右手を添える。
「私も、みすみすやられるつもりは、ないさ」
「・・・」
涙に濡れた瞳を、じっと優しげに男は見つめ返した。
「初めは気まぐれでお前を助けたことは・・・認める。
 だが、今はあのときお前を助けて本当に良かったと思っている」
「旦那様・・・?」
「私は年明けにこの国から出ていく。商売は他の国でもいくらでもできる。
 ・・・私の妻として・・私と一緒に 祖国へ来てくれないか」
「!?」
「私は・・お前を、愛している」
男はそう言うと少し寂しそうな顔をし、スッとその娘の頬から手を引いた。

「だがお前に無理強いはしたくない。この国に残りたいのならば、それもよかろう。
 この先平民として生きれば命は助かるだろう。
 小さな家と・・新しい仕事も紹介しよう。修道院へ戻るというなら、それもいいだろう
 ・・・お前に、それを選んで欲しい。」
それを聞き、娘は慌てた。
「でも旦那様、私はあなた様に買われた身です。私に選ぶ権利などは・・・」
「お前はよく働いてくれた。それに、肩代わりした金額など私には大した額ではない。
もっと言えば、今居る屋敷と土地を売り払えばおつりがくるくらいさ」
そう言って男は娘に微笑んだ。
「・・・でも、あなた様には、祖国に奥様がおられるのでは・・?」
それを聞いた男はクスッ、と笑う。
「それはお前の思いこみだよ。私には伴侶も子供も両親も、兄弟すら居ない・・天涯孤独の身だ」
「・・・」
娘は驚いた様子で、赤い顔で黙り込んでいた。
「すぐに返事をしてくれとは言わない。クリスマスイヴまで返事を待とう」
再び二人の間に沈黙が帰ってきた。
がたがたと、馬車の揺れる音が再び二人の耳に響き始めていた・・・。



つづく




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