(後編)
静かな夜。
娘は自分の部屋でじっと座り込んでいる。
ベッドの端に座り、祈るように手を組んで物思いに沈んでいた。
”一緒に祖国へ来てくれるのならば、イヴの夜、私の部屋に来なさい”
今は自分を雇っている主であるその異国の男は、そう自分に言った。
それが、今夜だった。
男は宮殿で開かれていたクリスマスを祝うパーティに出席していたが、
夜が更ける前に早々と帰宅し、自室へ戻っていた。
自分が出迎えたわけではないが、窓辺からその帰ってくる様子を窺っていたのだ。
・・・きっと、私を待っているに違いないわ・・・
”修道院へ帰ることもできる”
”平民として生きれば命は助かる”
住み慣れた国を離れることには少し不安がある。
おそらくこの国の友人に会うことは二度と無くなるだろうし、
移り住む国は自分の話す言葉とも違うだろう・・・
(・・・)
・・・私の、本当に大事なものは 一体何かしら・・・
男は酒も飲まず、好きな葉巻すらも吸わずに娘を待っていた。
雪がしんしんと舞い落ちる窓辺によりかかり、腕を組んで立ちつくしていた。
どれくらいこうしていただろう・・・
目を閉じ、大きく息を吸い込んで・・・ふうっとため息をもらし天井を見上げる。
「この国に残りたいのならば、それもよかろう。」
男は確かにそう娘に約束した。
だが、それは身を切られるような想いで紡ぎだした言葉だった。
娘の新しい働き先も、小さな家も、確かに男は探して下準備してあった。
だが、願わくばそれらを使わなくてすめばいいと、思っていた。
・・・本当なら買い取った事を言い訳にして力ずくでも祖国へ連れ去りたい。
しかし。
それではいつまでたっても召使いと主人のままだ。
男は、娘の・・・心が、欲しかったのだ。
(心から、私について来たいと思ってくれればいいのに・・・)
だが。
一本気なところのあるあの娘のことだ。
ひょっとしたら昔の許嫁が忘れ難くこの国から離れたくないと、言い出すかも知れない・・・
そのときは・・?
思わず男は長い睫毛を伏せ、薄暗い部屋の床へと視線を落とした。
(そのときは、潔くあきらめよう・・・)
夜もしんしんと更け、柱の振り子時計が3時を告げた頃。
コンコン
男の部屋をノックする小さな音がした。
その音に、男は弾かれるように窓辺から数歩離れた。
だが、その場で立ち止まり、努めて冷静に・・・声を掛ける。
「・・・入りなさい」
おずおずと扉が開き・・・娘が、部屋の中へ入ってきた。
白いガウンを羽織り、結わずに流れている髪がとても美しいと思えた。
「・・・」
男は何も言わず、そして娘へと近づこうともしない。
娘の言葉を待っているようだった。
「私・・・私・・・。」
娘は、俯きながら、ゆっくりと・・・少しためらうように・・・歩みを進めていた。
そして、男の前まで来て立ち止まる。
まだ俯いたまま、小さな声で、でも、はっきりと・・・。
「私・・・色々考えました・・・。この国を離れると言うことは、どういうことかと・・・」
娘は、一度大きく息を吸いこんだ。
「昔の婚約者はもちろん、ここの友達とも、二度と会えなくなること、
悪く言えば、皆を見捨てて行ってしまうことになること・・・」
「・・・」
男は娘の言葉を、じっと聞いている。
「でも・・・旦那様はこの国に残っても良いと仰って下さって・・・
新しいおうちとお仕事まで用意して下さったって聞いて・・・
私のことをそこまで思って下さる方なんて、今までも、これからもきっと 旦那様だけです」
「・・・」
男はまだ、黙ってそれを聞いていた。二人の間にはまだ微妙な空間が開いていた。
「それに・・・それに・・」
娘は思い詰めたような表情で、ぱっ、と男の瞳を見上げた。
「私、この国に残ったら旦那様と二度と会えなくなるって気づいた途端、
心がつぶれてしまいそうになったの・・・!」
「!」
娘はそれだけ言い放つと、男の首へ細い腕で飛びつき抱きついた。
「私を、どうか一緒に連れていって下さい・・!」
「ありがとう・・・」
男は娘の細い身体をかき抱く。
(よかった・・・!)
「私も、お前と会えなくなると思うと、身を切られるような思いがした・・・」
男の顔には安堵とも言える表情が浮かんでいる。
娘の黒髪に頬を寄せ、指先でその美しく長い髪を梳いていく。
肩にのせられた娘の細い指先にも、想いがあふれてきゅっと力がこもっている。
やがて男は少し身を離し、娘の両頬を大きな手で包み込む。
お互いに熱い視線を絡めたあと・・・吸い寄せられるようにお互いの唇を合わせた。
男は軽々と娘を抱き上げ、寝室へと連れていく。
娘はそっと目を閉じたまま、男の肩に頭を預け広い胸に手を添えていた。
天蓋付きの大きなベッドへそっと娘を横たえると、娘は潤んだ瞳で男を見つめ返し
男の頬を小さな手で包んだ。
「・・・!」
胸に押さえつけていた熱い感情を解き放つように、男はその娘の
白い身体をかき抱いた。
お互いの愛を確かめ合うのに、下手な技巧や小細工はいらない。
ただ、熱い情熱に身を任せればいい・・・。
◇
やがて、窓の外の景色が、うっすらと青い光を含み始めた。
・・・夜明けが、来るのだ。
クリスマスの朝を告げる教会の鐘の音が、もうあちこちから響き始めている。
二人はあれから時が経つのも忘れて愛を交わし合っていた。
どちらからともなく眠りについたのは、つい半時前・・・。
(いつも行く教会の、鐘の音かしら・・・)
たまたま眠りが浅くなったところに高らかな鐘の音が響き、娘は目を覚ましていた。
娘の白く細い身体は、男の逞しい腕の中に収まっていた。
ふと見上げると、男の寝顔が視界に映る。
伏せた長い睫毛。すっきりととおった鼻筋、形の良い唇。ほつれた金色の髪。
(私の、神様・・)
美しい寝顔に、そんな言葉が娘の頭に浮かぶ。
そっと頬に触れると、男の瞳がゆっくりと開いた。
「おはよう・・・早いな」
「起こしてご免なさい・・・」
男の耳にも高らかな鐘の音が聞こえていた。
娘は窓の外へと視線を向ける。
「なんだか、この鐘の音・・私たちを祝福してくれているみたいなんて思ったら・・・傲慢かしら」
男はにっこりと微笑んで娘の頬にキスをした。
「今日のクリスマスミサは、一緒に行こう」
「・・・えっ!?よろしいんですか??」
「当たり前だ・・お前はもう、私の妻だ」
二人はベッドの上で、再び熱い口づけを交わす・・・。
新しい年が来たとき、男は娘を連れ立って祖国へ帰っていった。
パスティーユ監獄が襲撃され、フランス革命へのあゆみが始まったのは
その年の7月のことである・・・。
fin
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