(前編)
カルロと蘭世が結婚して 3度目の冬。
クリスマスを目前に控え、ルーマニアは深い雪に覆われていた。
「あ また降ってきたわ・・・」
洋館の窓から 蘭世は外の景色をぼんやりとながめている
庭の外にある大きな杉の木から ばさり と大きな雪の塊が地面へ落ちた
「ふう・・・」
まるでそれは その冷たい塊は私の心に落ちてきてるような気がして
俯いた蘭世から 何度目かのため息がこぼれる
そりゃ、部下の人たちは心から待ちこがれているんだろうけど
私は どうすればいいの
ひとりでいると ついつい思いだしてしまう
蘭世は少し暗い表情で窓から離れると その部屋の中央にあるソファに歩み寄り
すとん、と腰を下ろした
コンコン、とドアをノックする音がし、蘭世はあわてて立ち上がる
「はっ はい!」
カチャリ、と軽い音を立てて部屋奥の木製ドアが開く。
その途端、開けた主よりも早く 足元をすり抜けて 小さくて茶色くて
そしてムクムクしたもの達が我先にと部屋へ走り込み 蘭世の元へと殺到する
「わあ・・かわいい!・・きゃっ」
「あらあら ごめんなさいね・・歓迎しているつもりなんだけど・・
こらやめなさい、シータ とびついたらびっくりしちゃうでしょ」
犬たちをたしなめはするけど その表情は穏和でニコニコしていて。
彼女は常日頃から犬たちを心から可愛がっている様子。
「ひゃー」
なめたり、とびついたり。
犬達に熱烈な歓迎を受ける蘭世を見ながら その女性は手に持っていたトレイから
温かい紅茶の入ったポットと 白いティーカップと ケーキをテーブルの上に並べていった
女主人が蘭世の向かい側へ腰掛けると 蘭世へ殺到していた犬達のうち何頭かが
そこをはなれ彼女の元へと侍っていく。
「ほら、シータ、パズーも離れなさい。あらあらソフィーも戻っちゃダメ。
お客様がケーキ食べられないでしょう」
ほっそりとした手で優雅に女主人はお茶を入れる。
ブラウンの髪を綺麗にまとめ上げた彼女は蘭世よりも10は年上だ
厳寒のルーマニアだが、空調が整えられたこの部屋は春のようで 彼女は
ベージュでドレープの沢山とられたレトロモダンな絹の服をまとっており
まるでアルフォンス・ミュシャの女性画から抜け出してきた女神のようだ。
そして年齢に相応しい美しさと落ち着きを持っていて 蘭世はいつも
こんな女性になれたらなあなんて 会うたびに思っていた。
彼女とは蘭世が仲良くして貰っている ファミリーの奥様達が集うサロンで知り合った。
ファミリーのサロンに出入りはしているが、夫はイタリアの商社を経営している人物で
彼女の叔父がこちらの世界の人間であった。
日頃蘭世は彼女とあまり話す機会が無かったのだが・・・
「こんな寒い日におひとりで歩かれてたから 驚きましたわ」
「いえっあの・・」
サロンの奥様方は、大抵は自動車で移動し 出歩くときも付き人を2,3人従えている。
ただ蘭世の場合はまだ学生だし、学校の友人とも仲良くしたい、という思いから
街へクラスメートと出かけたりするときは そっと(危なくない程度に)
離れたところから部下達が護衛するというスタイルをとっていた。
だから普段、見た目には誰も(部下を)連れずに街を歩くことは
蘭世にとっては珍しくはない。
それでも 今日、彼女に呼び止めてもらえたことは嬉しかった。
「しかもコートも羽織らずに。ただごとではないと思いましたの」
「あ・・・」
そういえばそうだっけ。そういえば・・寒かったなあ
「私で宜しかったら お話しして下さいな 一体どうなさったの?」
「う・・えと」
その事を話そうかどうしようか 蘭世は少し迷った。
「・・・あの マダム・グレース・・・ お子さんは いらっしゃいますか?」
「え?」
蘭世の脳裏にまた 今日の午後に部下達が話していた会話が甦ってくる。
・・・蘭世はカルロと結婚して3年目。
とても とても幸せで
学校の友達も、結婚してから知り合った奥様方もいいひとたちで
カルロの部下達も親切で その気配りは勉強になることしきり
そして何よりも
カルロというすばらしい人がこの上なく溢れる愛情で包み込んでくれる
この幸せを これ以上はない幸せを どう表現したらいいの
そう思っていたけど
「そろそろ じゃないのかなあ」「ああ、なんか遅いと思わないか」
そんな言葉がふとした偶然で 耳に飛び込んできた
最初は何を話しているのか よくわからなかった
「・・・」
「ああそうだな、でもやっぱり世間体もあるし 時が流れれば
跡継ぎ問題ってのも起きるだろ?」
「血を分けたお子さんができれば万事丸く収まるが、それがないとなぁ・・」
「ん?」
「だからさ、ボスに跡継ぎとなる息子が出来なかったらの話しさ」
”息子が出来なかったら”
その言葉に どきん と蘭世の胸が音を立てた
「出来なかったら どうなるっていうと・・俺達の誰かが?」
「そうだなぁ・・・ベン殿か?」
「ベン殿はそんときゃ引退だろ。もう2,3人なれそうなのがいるだろ?ほれ 」
「ああそうだな。ナディア殿のお兄上達か。それが厄介だよな」
「争いの種だな」
どき どき どきと 蘭世の胸が鼓動を続け 耳はますます鋭敏になる
「争ってるときに他のファミリーとかがかぎつけてきたら 余計厄介だよな」
「!」
部下の人たちは ”もし 私に子供が出来なかったら” ってことを心配しているんだ。
そんなこと 今まで考えもしていたかった。
そんなに 大変なことになるなんて・・・
「ああ 早く安心したいな」
「まったくだ。 にしても遅いよな」
「おいおい、まあ焦らなくても」
「奥様も永遠の命なんだろ? 魔界人とか・・・」
「なにが言いたい?」
「いや、寿命が長いぶん、子供もできにくいとか あるんじゃなかろうかと
ほれ、例えば もしかしてまだ身体が未発達で大人になってないとかさ」
「はあ?まさか」
ガタン
思わず蘭世はここで立ち上がってしまった。
話をこっそり聞いていたが いたたまれなくなって すぐにその場から
逃げ出したくなったのだ
「誰だっ・・・あ!」
しまった、とひそひそ話をしていた部下のどちらもが顔を青くした
だが、そんな顔を確認することもなく、蘭世は駈けだしていた
それから、どこをどう走ったのかも覚えていない
途中でまた鳥に噛みついて変身して 空高く舞い上がった
遠く、できるだけ遠くへと逃れたかった・・・
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