(1)
「今日は本当に楽しかったよ。ありがとう・・・ねえ、また会えないかな」
その言葉を聞くまでは 私の心はまだ平穏だったのに。
”また会えないかな・・・君ともっと話がしたいんだ”
私はただただ、一生懸命だった。
パリの街で迷っていた旅人を案内して 誰かの役に立っているんだと
その喜びの方が大きかったのに・・・
◇
もうすぐ蘭世の誕生日。
蘭世はカルロとフランスのパリへやってきていた。
今回の目的は蘭世の誕生日プレゼントを選ぶため・・
そして、カルロがパリで開催される会議に出席するためでもあった。
パリへは何度も来ており、蘭世ですら なんとなくだがパリ市街に土地勘のようなものが
生まれていた。
今日はフランスに来て4日目。
昨日はカルロの会議があり、蘭世は”ひとりで”ホテルで留守番をしていた。
そして今日は、カルロとふたりでパリ市街観光の予定だ。
朝。
スイートルームにしつらえてあるダイニングテーブルに 朝食が並べられる。
フランスの朝食はシンプルだ。クロワッサンとジュース(或いはワイン)のみ。
しかし食べ盛り育ち盛り?の蘭世としては それだけでは物足りない。
そこでカルロは英国形式の朝食を選び、ハムエッグ、サラダ、ソーセージなどが
いくつもの皿に並べられ テーブルの上は賑わいを見せていた。
・・・だが 今朝の蘭世にはそれが少し重荷だ。
昨日の事を思い出すたびに胸が締め付けられ 食欲が落ちていく
だがカルロには カルロにだけは気取られてはならない。
蘭世はカラ元気をみせ、自分の食欲のなさと 頑張れば食べられる量とを摺り合わせながら
少しずつ料理を取っていく。
向かいに座ったカルロも、蘭世にあわせて同じ内容の朝食をとっている。
すでにワイシャツ姿にネクタイをきちんと締め、きりりとした印象・・
それは旅先でも 家でも いつもの朝と変わらない風景。
「・・ランゼ、体調の方はどうだ?」
「うん!もう大丈夫。心配かけてごめんね」
「・・・無理はしないほうがいい。ここ(パリ)へはいつでも来られる」
「ほんとに大丈夫よ!せっかく遊びに来たんだもん・・
私ね、今日をとっても楽しみにしてたんだから」
蘭世の保護者の役割も果たしているカルロはなおも心配顔
彼の心配そうな顔を見るたびに蘭世はさらに良心が痛み 元気にならなくちゃ
普通に戻らなくちゃと躍起になる
昨日カルロは会議が長引き夜遅く帰ってきたのだが、いつもなら起きて待っている蘭世が
「ちょっとお腹が痛いので先に休みます」
そうメモ書きを残して ひとり簡易ベッドのほうで眠っていたのだった
(あの元気のかたまりみたいなランゼが 腹痛?)
カルロが心配になり様子を見に行くと、シングルベッドの上で それこそ丸くなって
そして頭まで毛布を被って眠る蘭世の姿があった。
蘭世は、”今日の出来事”を思うたびに後ろめたい気持ちになり
その夜はとてもカルロと同じベッドに入って眠る”勇気”がなかったのだ・・
その日の蘭世にあったのは、大いなる親切心と 少しの好奇心。
だけど その結果は こんなに蘭世の心へ重くのしかかる事になろうとは。
◇
フランス パリ3日目。
その日カルロは会議へ出かけ、蘭世はひとりホテルで留守番をしていた。
18世紀には宮殿だったというその建物は内装も華やかで、蘭世もいつ来てもうっとりする。
部屋も白系を基調としており華やかで、そこにいるだけで中世貴族の世界に迷い込んだようで
蘭世もうきうきするのだった。
だが、今日は3泊目。
おととい夜到着して、昨日は1日中お買い物。そして今日はカルロの会議。
蘭世としては そろそろ 観光したい・・という気持ちがむくむくと心の中に湧いてきていた。
明日にはカルロが近くにある美術館へ連れていってくれると言っている。
(美術館なんて 私に絵とか わかるかしら・・・)
美術の授業もあまり良い成績はとったことがない。
蘭世は”美術館へ行く”と決まったときから それが心配の種であった。
”美術館なんて退屈だから行かない!”
なんて言えばきっとカルロも予定を変えてくれただろうが
カルロは美術にも造詣が深い事を蘭世は知っている。
(だったら 私も美術鑑賞、やってみるしかないじゃない〜!)
カルロの興味有ることには、蘭世も挑戦してみたいと思っている。
近くにいても届かない人だから 少しでもその距離を縮めたいと思うのだ・・・
だが、今回はあまりにも急な話で 下準備もなにもしていない。
殆ど諦めていたのだが 今 意外と時間はたっぷりある
部屋に閉じこもりあまりにも暇を持て余していたせいもあるのだが
せめて美術館のガイドブックを手に入れて 悪あがきなんかしてみようと思い立つ
「部下に買いに行かせます」
そう 付き添いの部下に言われたが それを断って自分で本屋へ行くと言ってきかず
しぶしぶでも部下(代表)にokをとりつけて それでも車で本屋へと向かう
ところが。
「うわぁ おいしそう・・!」
市街地にある本屋の前に降り立ったものの 乙女な誘惑にはかなわない。
本屋の隣にあったアイスクリームショップの中へ吸い寄せられるように蘭世が消えるのと
外から連絡が入り部下の代表が蘭世から注意を逸らした瞬間とが上手に重なった
(そう言えば私 フランス語なんかわからない・・・)
しばらく色とりどりのアイスクリームに心奪われ 目を輝かせてショーケースの中を見ていたのだが
ふと現実の問題に気づき冷や汗をかく
(そういえば私 本屋でガイドブックっていったって フランス語のしか置いてないかも知れないじゃない)
実際は日本語版だって観光都市であるここでは置いてある可能性は十分にあるのだが
そんなことその場にいた蘭世には思いも寄らない。
そして
本屋であろうとアイスクリームショップの中でも 問題は同じ
ピンク色をしたアイスが 果たしてイチゴ味なのか それともラズベリーなのか
白いアイスがヨーグルトなのかバニラなのか
マーブル模様をしているのがコーヒーなのかキャラメルなのか
札は付いていても読めはしない
(ええい・・・ままよ)
蘭世は身振り手振りで味も判らないアイスを適当に3つ選んで指さし”日本語で”店員に伝える
そして支払いの段になって札を取り出し手渡そうとすると・・
何故か店員がしかめ面をして手を振り拒否してくる。
(え・・?)
・・・・確かにこの国でつかえる紙幣よね?なんで??
蘭世は何がなんだか判らず そしてどうリアクションをして良いかも判らずに凍り付く
そのとき。
「釣り銭切れだって言ってるよ。」
ふいに隣から声がした。・・・日本語だった。
蘭世が驚いて声のする方を見れば、背の高い若者が小銭を出して店員へ渡している。
「えっ・・あの・・」
「はいどうぞ。」
若者は店員から蘭世の選んだトリプルアイスを受け取ると 人なつこい笑顔で蘭世へ差し出した
そして続いて若者は バニラアイス・・glace vanille を頼んでいた。
彼はフランス語の勉強をしている大学生で 日本人だと言った
休みを利用してフランスでホームステイしているらしい。
目鼻立ちがはっきりして 整った印象。髪型も今時の若者風。
欧米人に負けないくらい体格も良いし なにか特別な存在感もあり。
笑顔も爽やかで 蘭世は(このあいだ見た日本映画の主人公みたい・・)とか
(愛想のいい真壁君・・・なんちゃって)などとぼんやり思っていた。
蘭世は事の次第=「釣り銭切れ」 をようやく理解すると若者に頭を下げ
財布から代金を支払おうとするが彼は笑顔でそれを押し返す
「ね、代わりにといったら失礼かも知れないけど」
”一緒に美術館へ行かないか”
一人きりよりもふたりで行く方が楽しいのだと・・・
蘭世は驚き、まず どうやんわりと断ろうかと 頭の中はそれで一杯になる
「美術のことはよくわからない」、と言ったけど それならなおのこと 楽しみ方とか
教えてあげられるよと それは爽やかに答える
・・・すこし 蘭世の興味がそれに傾いていく・・・
フランス語の壁にぶち当たって戸惑った直後に 懐かしい日本語で
蘭世の心の垣根が取り払われやすくなっていたのも確か
「どこの美術館へ行くの?」
「有名どころだよ・・ルーブル美術館! ここからだったらアイスを食べながら歩いても
食べ終わる頃に到着できるはずだよ」
それは明日 カルロと一緒に行く予定の場所。予習は・・・したかったが
本物を初めてみるのはダークと一緒がいいんだけどな・・・
「やっぱり・・・そこは明日行く予定があるし・・・」
「あの美術館は1日じゃまわりきらないよ!明日は今日見た奴以外にしたらいいよ」
「・・・」
躊躇っている蘭世に、なお若者は笑顔で誘う。
折角のフランス旅行、沢山楽しもうよ。
「ね、こっちが近い。行こう!」
蘭世が入った場所とは反対方向の扉を開け 若者は無邪気な笑顔で誘う
店の前で待っている部下達のことを一瞬で忘れ 蘭世は一歩踏み出した
・・・ところが なかなか到着できなかった。
意外と彼は方向音痴で 地図を片手に右往左往・・・
街行く人に何度か尋ねたずね行く。
あまりにも心配になった蘭世は、おそるおそる彼に尋ねてみた
「ね、目印とかないの・・?」
「うーん・・」
地図とにらめっこのままこちらも振り向かず 彼はうなる。
「建物の特徴とか 知らない?」
「それなら・・正面にピラミッドの形をしたガラスドームが有るんだ」
蘭世はそれを 車窓から何度も見たことがあった。
「・・・ならばあの建物ね! こっちこっち!!」
なんでもっと早くそれを彼に聞かなかったのかしら。
後から付き従っていた蘭世は一歩前に出て若者を案内する
そしてあっという間に ガラスのピラミッドが見えてきた
・・・ルーブル美術館の正面玄関である・・・
「やっぱり君と一緒に来て大正解だったよ・・助かった!」
照れくさそうな顔をして やはり若者は笑顔・・・
とても爽やかで 好青年そのものだった。
つづく
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