3)
(先生が辞めることになったのは あのことのせいなんだろうか・・・)
先生を晩餐に招待したある夜。
一度寝室に入ったダークはなんとなく目を覚ました。
「・・・あれ」
部屋の外からなにやら話し声が聞こえる。
(父上の声・・?)
遠く、廊下の隅から話し声が聞こえていた。
(あれ?もう先生は 帰ったんじゃなかったっけ??)
父上の大きな背中が闇夜に白く浮かび上がり、その向こうで影になっているが
明らかにあのシルエットと か細かったが聞き覚えのあるその声は 大好きなあの先生だった。
ダークは急いで飾り柱の影へ身を潜め・・二人の様子を窺った。
声を低くして話し合っているようで、何を言っているかは解らなかった。
ただ、少し言い争うような声がして・・
「ジュリエット!」
父上は先生のファーストネームを呼ぶと、抱きすくめて・・彼女にキスをしていた・・・
「・・・!」
見てはいけない物を見てしまった気がして・・ダークはゆっくりと後ずさりをした。
そっとその場を離れようと思ったのだが。
(うわっ)
廊下の隅に置いてあった彫像に足を引っかけて転んでしまった。
「誰だ!」
その物音に・・父の鋭い声が飛んでくる。
「ダークです。失礼しました!」
そう言って子供に似つかわしくない気をつけと一礼を残し、ダークは逃げるようにして
その場を走り立ち去った。
飛び込むようにしてベッドに入り頭からブランケットを被ってうずくまる。
(・・・眠れない・・・)
自分らしくなく慌ててつまずき二人に見つかってしまった失態も
顔から火が出そうなほど悔やまれる。
だがそれ以上に、心を荒らす何かがダークを捕らえて離さない。
先生が母上になったらいいのに。
そう思っていたはずなのに。
父上が先生を抱きすくめてキスしているのを見た途端、
胸がきゅうきゅうと音を立てだしたのだ。
父上に母上を裏切って欲しくなかったから?
・・・それはよく解らない。
そう思ってみたけど、なにかが違う気がする。
ダークはベッドの中で丸くなりながら 眠ることも出来ずに
自分の胸が痛む原因をじっと探り続けている。
やがて、窓の外が白みだしても ダークは眠ることが出来ずに朝を迎えたのだった。
それから1週間、先生は急用でお休みということで屋敷に現れなかった。
それが、父上に対する先生の”(NOという)答え”なのだと、勘の良いダークは気づいていた。
父は次の日から長い出張に出てしまったため、顔を合わせることがなく、
親子間での気まずさは放置されてしまっていた。
先生の方にも会いたいような会いたくないような気持ちに苛まれていたので
先生がお休みだ、と言うことが寂しくもあるが、正直少しほっ、としていた。
しかし。
先生に4日も5日間も会っていないと、毎日が味気ないものだとダークは感じ始める。
(やっぱり先生の授業が受けたいな・・)
父上が先生にした無礼は僕からも謝って
これからも彼女には僕の先生をしていて欲しい・・・。
しかし、ひょっとしたらそれは叶わないのでは、という思いも胸をかすめる。
そして一週間後。
ダークが待ちに待っていた時間がやってきた。
いつものように向かい合わせに机に座ると
久しぶりに現れた先生の口から出たのは、先生を辞める という言葉だった。
辞めてそれからどうするのですかと訊くと
留学をするのだと 言うことであった。
・・・ダークの悪い予感が、当たってしまった。
「先生は父上のことがお嫌いですか」
「いいえ、そうではありません、ダーク」
10歳の子供から、いきなり核心をついた問いがくるとは思わなかったようで
彼女はあきらかに動揺していた。
ダークは思わず立ち上がり、身を乗り出して先生に訴える。
「僕は・・先生の授業・・が、好きなんです。途中で止めたくありません。
父上のことが気になるのならば僕が先生の家へ習いに通っても構いません。だから・・!」
「ダーク・・・」
「・・・僕のために 先生を続けてくれませんか」
それでも、先生の返事は頑なな物だった。
いつもの笑顔の隙間に、どこかぎこちなさが見え隠れしているのをダークは見逃さない。
「・・・」
ダークは表情を押し殺し、再び席へ腰を下ろした。
”先生は父上のことがお嫌いですか”
その台詞を口にしたとき、ダークは漸く自分の気持ちの在処に気がついた。
その言葉の次に”父上のことを気に入ってくれればいいのに”という台詞は到底つけられない。
”父上と仲良くして下さい”と 言おうとして ダークはその言葉を自分で拒んでいたのだった。
ああ、そうか。
あんなに胸が痛んだのは
父上に先生を取られたと思ったからだ・・・。
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