『もうひとつの・・・』:カウントゲット記念


1)

ルーマニアのある地方に、小さくて静かな街があった。
その街の奥にある丘の上には、白く大きな屋敷が街を見下ろすようにそびえている。
街の住人は滅多にその屋敷には近づかない。
なぜなら・・・その屋敷は地下組織、”マフィア”の持ち物だと噂されているからだ。
そして、その屋敷の主は代々冷酷非道な者ばかりであると、
そう、それはヴラド伯爵のように・・・今の主は特に情け容赦ないのだと
街の者は囁き合っている。



この街に住むある娘・・蘭世は自転車で狭い石畳の小道を下っていた。
中学校から帰った後、街へ買い物に出かけたのだった。
彼女は日本人というわけではないのだが、小説家である父親 
望里=エトゥールの趣味で日本名を名乗っている。
 軽快に回る車輪の音と共に彼女の美しく長い黒髪が揺れている。
膝丈の少し短めでタイトなスカートから白くてほっそりとした足が伸びている。
そして彼女は今日の買い物についてうきうきと考えており、
その大きくぱっちりとした黒い瞳はきらきらと輝いていた。
どこからみても普通の平穏な生活を送る女の子であった。
そう、その小道の角から大通りに出るまでは・・・。



彼女は少し浮わついていたのかも知れない。
近道をしようとしていつもと違う道を通っていたからかも知れない。

空気を引き裂くような鋭い自動車のブレーキ音が大通りを挟んで建て込む
家々の間に響く。
それと同時にガシャン、と自転車が横倒しになった音に車輪が空回りする
乾いた音が続いていった。


「イタタ・・・ッ!」
運転者のブレーキが間に合ったらしい。・・彼女は軽傷のようだ。
実際、蘭世も近づいてくる自動車に咄嗟に気づいて避けようとハンドルをぐいっ と
切った拍子に転倒し、本人は自動車にはぶつかっていないようだった。
蘭世は歩道の上でしりもちをついてしまい、片手で腰をさすっていた。
なかなかに頑丈な娘である。
しかし彼女の美しい黒髪はさすがに乱れ・・少し哀れな様子であった。
そしてスピードの出ていた自転車は転倒したときに滑って道路へ飛び出し
自動車の下敷きになってこちらは無惨な姿になっている。
だが、自動車には傷一つ付いていない・・・。
・・・彼女の自転車を踏みつぶした車は黒塗りで、相当に高級な仕様のものに見える。

高級車のドアが次々に開き、中からスーツ姿の男達が出てきた。
「ボスまでお出ましになる必要はございません、お戻り下さい」
「構うな。怪我をしているようではないか」
そんな言葉が蘭世の耳に入ってきたような気がした。
だが身体の痛みの方が強くてあまり外界に構っていられない。

しかし・・・。
言葉よりも先に ふっ、と降りてきた香りに蘭世は我に返った。
(いい香り・・)
そう感じた直後に蘭世の身体は宙に浮いていた。
「大丈夫か?」
そして言葉がその後から追いかけてくる・・蘭世のすぐ耳元で。
蘭世は、黒塗りの高級車から降りてきた男達の一人に抱き上げられたのだった。

「えっ・・あのっあの・・・」
蘭世の見ている目の前で黒塗り自動車はバックし、ぺしゃんこになった自転車は
てきぱきと高級車の後部トランクへ詰め込まれる。
詰め込まれたのを確認するかしないかの内に蘭世も高級車へ担ぎ込まれたのだった。
その間、数分もあったかどうか判らないほどの神業であった。
そして、抱き上げた男が自分を見て驚いたような顔をしていたことに、蘭世は
気づく余裕もなかった・・・。

男は蘭世を抱えたまま後部座席に乗り込むと、彼女を自分の隣へそっと座らせた。
男達のひとりが扉を閉め全員乗り込むと、滑るように車は動き出す。
「突然すまない。この街の中であまり騒ぎを起こしたくないものでね」
そう声を掛けられて、蘭世は隣にいる、自分を抱き上げ車へ連れ込んだ人物を
何気なく見上げた。
(!)
男は落ち着いた表情で前を向いていた。車が動き出すのを確認しているような
表情と視線であった。
蘭世はその男の横顔にハッとし・・次の瞬間、何故か胸が高鳴り始めていた。
(誰かに・・・似ている?・・・あっ!)
そう、その男は片思いの彼にとてもよく似ていたのだ。
(シュン君・・がもうすこし年を取ったらきっとこんな感じ・・!!)
男は金髪で翠の瞳。そして片思いの彼は黒目黒髪だった。しかし
確かに・・・おもざしがよく似ていたのだ。
そう思うだけでどきどきと心臓の鼓動が早くなっていく。
さっきまであんなに身体のあちこちが痛かったのに。
男がシュンに似ていると気づいた瞬間、痛みを忘れてしまっていたのだった。

それに加え、男がつけているきりりとした香りと・・
高級そうなスーツの襟元から覗く男らしい首筋や顎のラインを間近に見てつい、
ぽーっとなってしまう。
(素敵・・・)
年若い蘭世は”男の色気”というものがどのような物であるかを
生まれて初めて・・今、おぼろげながらも知ったようだ。
(私ってば・・何を考えてんのかしら!蘭世のバカバカ!!)
そう、私にはもう好きな人がいるんだから。
蘭世は慌てて頭をぶんぶん!と振って邪な思いを振り払おうとする。
そして、改めて我に返って色々言わなければならないことを思い出した。

蘭世が(ぽーっとして)しばらく黙り込んでいたことは、男には
(おそらく呆気にとられているのだろう)
位にしか思われていなかったようで、さほど不審がられているわけではないようだ。
「あのっ、私の方こそ突然飛び出してごめんなさい!
あのっ、もしお車に傷がいっていたら弁償しますっ、言って下さい!!」
まずそう言って蘭世はぺこりと頭を下げた。
が、その途端・・打った腰にズキン・・と痛みが走る。蘭世は余りの痛さに
声が出そうだったが、それを我慢をしてきゅ・・と唇を噛んだ。

「私の方はどうでもいい。車などよりも君の怪我の方が心配だ」
耳に心地よい声にふたたび蘭世はハッとする。
顔を上げると・・男の視線とぶつかった。
自分を心配してくれているような表情に、蘭世はまたどきどきしてしまう。
(それに・・綺麗な翠色・・・深い湖の色みたい)
そう思った瞬間。
・・蘭世はその視線から目が離せなくなってしまっていた。
「それに君の自転車も壊してしまった」
「いいんです、自分が悪いんです・・」
(イケナイよ。今日の私ヘンよ?!)
必死になって冷静な自分を引き戻し、蘭世は慌てて視線を下へ落とす。
「怪我も大したことないです。あの、今から私の家へ送ってくれますか?」
だが。当然ながらその答えはNoである。
「君の怪我を手当して、その後で送り届けよう。
 怪我が大したことがないかどうかは、医者が決めることだ」
結局、そうして蘭世はスミマセン、ありがとうございます と小さな声で礼を述べた。

石畳の道を走っていて普通は大いに揺れるはずなのに、
蘭世を乗せている高級車はそれと思わせない程の快適さであった。
だが、蘭世はひとつ気になることがあった。
(外が見えない・・・)
まず、運転席と後部座席の間に仕切りがあって前に誰が乗っているかも判らない。
そして座席横のウインドウも黒く塗られ、普通なら黒くても外が見えそうなのに
全く景色が見えないのだ。今車内にある光は外からの日の光ではなく、
自動車の天井から下がっているシンプルだが小洒落たシャンデリアの光のみであった。
つまり・・この車がどこを走っているのか皆目分からないのである。
(なんだか不安・・・)
でも、”医者に見せる”と言ったからにはきっと行き先は病院なのだろうと
蘭世はとりあえず見当をつけていた。
(こんなスゴイ車に乗っているからには、きっとお金持ちよね・・)
隣の人物のひととなりをもっと観察したかったのだが、あまりぶしつけになっても
失礼よね・・と思い蘭世は縮こまっている。
そして、隣の人物も物静かな方(ほう)なのだろう・・同じように黙っている。
ただ・・その男が身につけている香りが、ずっと蘭世の鼻をやさしくくすぐって
いたのだった。

どれくらい走っただろうか。
漸く自動車は何処かへ駐車したようで・・助手席のドアが開く音に続き、
男が座っている側のドアが開けられたのだった。
ドアを開けた男・・おそらく彼の部下であろう、が控えめに車内の男へ声を掛ける。
「私がそのお方を・・」
「構わない。私が運ぶ」
手短にそう返事をすると男は蘭世に向かって手を差し出す。
「私の首につかまりなさい」
「あっ・・は、はい!」
(えっ?きゃ・・)
そして軽々と自分を持ち上げる逞しい腕に、さらに”ときめき”を覚えてしまう。

周りを緑に囲まれた、見上げる程の大きな屋敷。
(立派なお屋敷・・・でも、これって・・・??)
とても病院には見えない。
そして、玄関の両サイドにはずらりと黒スーツの男達が並び頭を下げている。
蘭世を抱えた男はその男達が作る道を堂々と通っていくのだ。
「あのっ・・ここって病院じゃないです・・よね?!」
蘭世は慌てて男に尋ねる。
「私の屋敷には専属の医師がいる。施設も整っているし心配しなくていい」
何もかも驚くことばかりである。

蘭世を抱えた男が玄関を通ると、恭しくその扉が閉ざされた。
・・・その屋敷は 街の奥にある丘の上に建っている・・・。


つづく


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1)のあとがき。

萌様カウントgetプレゼント、第1話をお届けします。
まだまだこれからであります。
・・・長くなる予感が、あります(自爆)
最後までおつきあいいただけましたら幸いです・・・vv。

萌様の下さったお題は・・・
むふふ、今はまだ伏せておきますね。
萌様、まずは1)、お納めいただけたら・・・嬉しいです。 悠里
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