パラレルトゥナイト零れ話 『Z(ツェット)』



(3)


どのくらいたっただろうか。
目隠しをされてから夜も昼も判らない。

でも、あの男が出て行ってから随分時間が経つのに
自分の周りにあの男のコロンの残り香が細く長く漂う。
(・・・こわかった・・・あぶなかった・・・)
でも、その香りは。
なんだろう。妙にひっかかる・・・ 
蘭世は記憶の底に何かを見つけだしていたのだが
それの正体ははっきりとは認識できなかった。

こんなところにいたらいつあの男達が帰ってくるか判らない。
ツェットと名乗る男が帰ってきたらどうしよう。
醜い鞭男が入ってきたらもっと嫌だ。
どうしよう。
どうしたら・・・
出口のないこの状況。
牙なんかあっても今の状態ではなんの役にも立たない。
再び絶望が蘭世を覆いかける。

思い出すのはカルロの温かく大きな腕の中。
私だけに向けてくれる優しい瞳。
金色の髪の少しかたい感触。
私の名を呼んでくれる静かな声・・・。

でも。
『お嬢さんは決してカルロの元へは帰れない。』
ツェットという男の冷たい言葉が耳に残る。
涙が一粒零れた。

「もう、嫌!! 助けて、カルロ様・・・!!」

蘭世は思わず、そう大声でその言葉を口にした。
・・・その時。

カチャリ。

突然蘭世の手元で小さな音がした。
(え?え?)
まさか・・と思いながら手をそおっと引っ込める。
カシャンと音がして蘭世の手が自由になった。
「あっ!!」
奇跡のように手錠が外れたのだった。

蘭世の鼓動が跳ね上がる。
急いで起きあがり、すぐに自分の目隠しを外した。
何故手錠が外れたのかはすぐ判った。
例の指輪がわずかに光を放っていたのだ。

(カルロ様・・・!ありがとう!!)
蘭世はそっと指輪に頬ずりをする。
しかし感傷に浸っている場合ではない。
(何か着る物・・・!)
辺りを見回しても大した物は何もない。
蘭世は椅子に引っかけられていた血のにじむキャミソールを着、
自分に掛けられていた白いガウンをしっかり着て
ひもを結び前をあわせる。

(さて・・・!!)
こうなればこっちのものである。
どうやって。
ドアの外にいる見張りの男を中に入れよう?

「・・・すいませーん」
蘭世はおそるおそるベットの上からドアの外へ向かって声を掛けた。
「なんだよ」
ドアの外で声がする。ツェットではないらしい。
それでちょっと安心する。
ツェットだったら蘭世はだます自信がなかったのだ。
そろそろとベッドから降り立ち、ドアの真横へと足音をしのばせる。
「あの・・・おなかが痛いの。さすってほしいわ」
(我ながらクサイ〜)と蘭世は苦笑する。
「へへへ」
思った通り。にやけた小男がドアを開けた。

「!お前!手錠は!?」
小男が驚くのも一瞬。

「かじっ!!」

開いたところに横から小男に飛びかかり噛み付き、蘭世は変身した。
(うんしょ、うんしょ。)
ベッドに小男を上げ、毛布をかぶせたら蘭世は意を決す。
ぎくしゃくと言う感じは否めないが外に出た。
「ちょっと用足しに行ってくる。部屋の前をよろしくな」
なんて他の男に声を掛けて、内心ドキドキで
廊下を抜ける。そして。
(ふう。)
蘭世は見事建物の外へ出ることに成功した。

・・・外は漆黒の闇であった。
夜風にはかすかに、潮のにおいが混ざっていた。







「はあ、はあ、はあ・・・・」
蘭世は暗闇の中を走り続けていた。
一刻も早くあの気味悪い男達から逃れたい。
「探せー!」
「まだそのあたりにいるはずだ。良く探せ!」
夜風に当たり、逃げる途中でうっかりくしゃみをして
蘭世はせっかくの変身が解けてしまっていたのだった。

捕らえられていた建物とは反対の方向へひたすら逃げる。
暗闇を選んで駆け抜け、
遠くに、明かりのある方へ・・・
痛み止めはとっくに切れ、一足毎に背中の傷が痛む。
それでも必死にこらえながら蘭世は走り続けていた。

「あっ!」
茂みを抜けた途端、蘭世の視界が急に開けた。
目指していた明かりの正体は、灯台の灯火だった。
気が付くと黒海へせり出したがけの上まで来ていたのだ。
・・・潮のにおいが一層強く蘭世へ吹き付けてくる。
突端へ行き下を見ると、眩暈がするほどの断崖絶壁であった。

(いけない、逃げ場が無くなるわ。)

そう気づき別方向へ戻ろうとしたが、それは叶わなかった。

「いたぞ!」
蘭世を追いかけていた男達に取り囲まれてしまったのだ。
後ろは崖である。絶体絶命。
「さんざんてこずらせやがって・・・。」
「帰ったらこってりおしおきだな。」
下卑た男達の笑いが蘭世の周りにまとわりつく。
暗くて表情はよく見えないが、皆怒っているか
にやついているかのどちらかだろう。
戦慄を覚える蘭世。
顔は青ざめ、思わず2,3歩後ずさりをした。

「・・・見つかったか?」
ふと男達の後ろの方から声がした。
リーダーらしき人物が男達の後ろからこちらへ近づいてくるのが
蘭世の夜目にも見えた。
追ってきた男達とは違い、どちらかというと
カルロとトーンが同じ人物であった。
闇でなおサングラスをし、高級そうな白っぽいスーツを身に纏っている。
こちらに近づいてくるにつれ容姿がだんだんはっきりと見えてくる。
その男が部下達の列を割ってさらに蘭世に近づいてくる。
灯台の明かりに浮かび上がるその男はカルロより10歳は年上に見えた。
そして・・・聞き覚えがある声。
蘭世は即座に気づいた。
さっきの包帯を巻いてくれた男だ。
そして。この雰囲気は!
「あなたは、ひょっとして あのときの・・・!?」
蘭世の顔にさらに驚きの色が浮かぶ。

・・・いつかのパーティ会場で私にきつい酒を飲ませたあの男!

「・・・お嬢さん、覚えていてくれたようだね?光栄だな」
この人が”ツェット”だったなんて!。

スーツ姿の男は蘭世の方へさらに歩み寄りながらサングラスを外した。
再び巡ってくる灯台の光にその顔が映し出される。
端正な顔に今までくぐり抜けてきた修羅を思わせる貫禄が宿っている。
見事な長い銀髪を、うしろで一くくりにしていた。
そして右目が碧、左目が黒のオッドアイ。
死神か悪魔を連想させる。
そしてその悪魔は穏やかな口調で蘭世に声を掛けるのだ。

「さあ、お嬢さん。鬼ごっこはおしまいだ。」
「それ以上近寄らないでっ!」

蘭世が声を荒げると、一度男は立ち止まった。
「それにしてもよく我々相手にここまで逃げてきたものだ。
 感心する。・・・さあ、痛い目にあいたくなければ
 素直にこちらへ来なさい」
ツェットと呼ばれる男は蘭世へ右手を差し出す。
カルロの表情に似た、翳りのある視線を蘭世へ投げかけてくる。
「お嬢さん。その格好は冷えるだろう。
 こちらへ来なさい・・・悪いようにはしない」
だが。蘭世は反射的に後ろへ下がる。
「危ない!後ろは落ちれば命がないぞ」
男の鋭い声に真下を見れば。
黒々とした夜の海が白い波しぶきをたてていた。

「おい、そいつに顔を見せたって事は
 もう殺ってもいいってことだよな」
蘭世をむち打った男がにやにやしながらこちらへ横やりを入れた。
それにツェットは横目でにらみつけ、ムッとした声色で答えた。
「勘違いをするな。あと30分で迎えのヘリが来るのだ。
 早く確保しなければ」

(・・・)
もうこんな男達に死んだって近寄りたくない。
折角ここまで逃げてきたのに。
蘭世がぎゅっと両手を握りあわせると、細い指にはまった
カルロの指輪が指に触れた。
次の瞬間。
蘭世は決意した。

「しまった!」

蘭世の白い身体は翻ったかとおもうと崖から身を躍りださせていた。
そう。
崖から海へと飛び込んだのだ。


つづく


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