パラレルトゥナイト零れ話 『Z(ツェット)』



(4)




「しまった!」

男たちがそう叫んだ。
そう、蘭世はがけの向こうの海へと身を躍らせたのだ。


だが。
しまった、と叫んだのはツェット以外の男どもだった。

ツェットはすかさず銀色の太いワイヤーのような物を手から放ち、
落ちていこうとする蘭世へと絡めていったのだ。
ワイヤーはまるで意志があるかのように自在に動き
蘭世を自由の身へと落ちていくことから確実に引き剥がしていった。
「きゃあああっ!」
締め付けるワイヤーは重力も手伝って、蘭世の背中をこすり
その傷をいためつける。
ふさぎかけていた傷はまた開き、白いガウンを真っ赤に染めていく。

そうして蘭世はまた銀髪の男の腕の中に戻された。
ワイヤーは再びまるで生き物のように動き男の手元に戻っていった。
代わりに手錠と縄がすかさず掛けられる。
蘭世を抱きかかえたまま立ち上がり、男はいずこかへ歩いていく。
「お嬢さん、無茶をしてはいかん。命は大切にしないと」
「う・・・」
蘭世は背中の傷が痛むあまり声が出ない。
「そして、俺を見くびってはいけない。
 逃げようとはもう思わないことだ・・傷が開きいたむだけだぞ」
その声もだんだんと遠くなっていく。
そしてその耳に空を切る甲高い羽根の音とモーターの轟音が聞こえ始めていた。





カルロ達が海岸の廃墟にたどり着いたのは蘭世がヘリで連れ去られた
10分後のことだった。

情報がうまく攪乱されており、正解を見つけることが非常に困難だったのだ。
ツェットという男は、こういった基本事項はぬかりなくおさえておく人物だった。
それでも正しい場所を見つけだした部下をカルロはほめるべきか。

「ボス、これを・・・!」
蘭世のコートが空しく廃墟に取り残されていた。
「申し訳有りません・・・!!」
部下達が一斉にカルロに頭を下げる。
「・・・・っ!!」
カルロは思わず壁を殴りつけていた。
殴ったこぶしに血がにじんでいる。
ボスに似つかわしくない行動で一同に緊張が走る。
カルロは姿勢を戻すと冷たく言い放った。
「・・・次の失敗は許さん」
「はっ!」

部下達は一斉に次の行動へ移るべく散開していった。
カルロは唇をかみしめ、その部下達の様子を見送った。
(ランゼ・・・!)
無事でいるだろうか。危害は加えられていないだろうか・・・
カルロを悪い予感が取り巻く。
悪寒で吐き気がする程だった。
廃墟に残された蘭世の白いコートを握りしめる。
立ちつくすカルロを、ベンは静かに見守っている。
「ボス・・・」
「わかっている」
怒りのオーラを身に纏い、カルロは廃墟を後にした。





(わたし、逃げられなかった 逃げられなかったわ・・・)
・・・くやしいよ、カルロ様・・・

蘭世はヘリからいつの間にか小型飛行機へと乗り換えられていた。
傷を負った身で走り回ったせいか高熱が出始めていた。
そのせいか意識が所々途絶えるのだ。
なにやら毛布で包まれているらしいのだが、
身体はがくがくと震え、寒気に襲われている。
朦朧とし、眠っているのか起きているのかも
自分でよくわからない。
そして次第に意識は深く暗い淵へと沈んでいく。


夢、のようだった。
それはいつかの想い出。


やはり小型飛行機に乗っていたが、カルロと二人だった。
どこまでも青い青い海。その上空を飛んでいく。
ある組織のボスに屋敷へ招待された時の帰りだった。
「きれい・・・!!」
蘭世は一生懸命窓を覗き込み海の色に魅入っている。
その隣でカルロは足を組み、新聞を読んでいた。
そしてそんな無邪気な蘭世を時々楽しそうに見やっている。

蘭世はふと昨晩の晩餐会での事を思いだした。
ガラス窓にくっつきそうに寄せていたおでこが10センチほど離れた。

「素敵な奥様だったわね・・・」
「あの二人に会うのは久しぶりだったが、
 相変わらず奥方も仕事してるようだな」
(・・・)
二人を招待した男の隣に並んでいた女性は、
とても美しく聡明な雰囲気だった。
実際にボスである夫の片腕として仕事を切り盛りしているらしい。
「私も、あんなふうになれるのかなあ・・・」
蘭世は窓の外を見やったまま、つぶやいた。
その声はちょっと心細げだった。
それに気づき、カルロは掲げて読んでいた新聞を膝に下ろした。
「どうしてそう思う?」
「ん・・その、ね。」
蘭世はちょっと照れ、ためらいがちに続ける。
「カルロ様の、妻になったら、やっぱりファミリーの役に立つように
なるべきよね・・・」
「ランゼ。」
カルロは新聞をたたみ、横に置く。
蘭世はまだ窓の外を眺めて背中を向けている。
「きゃっ」
後ろから細い腰に手をかけ、抱き上げて蘭世を膝の上に乗せた。
「お前がそう考えてくれるのは嬉しい。」
「そう・・・」
でも蘭世は少し悲しそうだ。
「でも、自信ないなあ・・・全然。」
(そうなれなかったら、やっぱりカルロ様の妻になる資格なんかないかも・・・)
蘭世は黙っていたが、そんな考えは蘭世の顔にはっきり書いてある。
カルロはふっ と笑い、蘭世の額にキスをした。
「ランゼ。夫婦の形は人それぞれだ。
 それはファミリーであろうとなかろうと変わらない」
「?」
蘭世はまだカルロの言うところがよく飲み込めない。
首を傾げてカルロの言葉を待っている。
「ランゼがそうなれないというのなら、それでも私は構わないし、
元々そんなことをお前に望んでもいない」
「でも・・・!」
蘭世は不服そうだ。
「それって、私を甘やかしているだけとか、思わないの?」
「違う。・・・ランゼ。人にはそれぞれ神から与えられた
 ”役割”というものがある。それに、
 人それぞれが欲する愛の形も千差万別だ」
カルロは右手で蘭世の頬にそっと触れる。
「私が必要とする女があの男の妻のような者であれば、
 私は離婚などする必要はなかった」
蘭世はその言葉にドキッ、とする。
カルロの口から、始めて語られる前妻の話・・・。
無意識に蘭世の背筋が伸びる。
「前の奥様も、仕事のできる方、だったの・・・?」
聞きたいような聞きたくないような。
蘭世はそうカルロに聞く自分の舌がこわばっているような気がした。
「そうだな・・・私と同じ種類の人間だ」
「・・・」
前の妻の話題が出たことにやきもちを焼いている自分がいる。
蘭世は思わずカルロから視線を外していた。
無論、カルロにはそんな蘭世の気持ちの動きは
手に取るようにわかる。
カルロは膝の上にいる蘭世を見上げ、微笑んで
またそのやわらかな頬に手を触れる。
「ランゼ。お前は私のためにいるのだ。
 ファミリーのためにいるのではない」
「でも・・・」
そう言われても蘭世はまだ納得が出来ない。

「ランゼ。お前は不思議な娘だ・・・」
「えっ?」
どきっ。
その言葉に思わずカルロに視線を戻す。
「お前といると、私が忘れていたものを思い出させてくれる」
カルロは蘭世の背中に腕を廻していた。
「忘れていた・・もの?」
「そうだ」
蘭世の頬に口づける。
「それは、何・・・?」
それには答えずそのまま、カルロは蘭世の頬から耳まで唇を滑らせていく。
「カルロ様!まだ、おはなし、おわって・・ない・・・!」
(ランゼ。お前は私の”無条件で人を愛する心”そのものなのだ・・・)
(え・・・?)
(・・・)

フェイドアウトする想い出。確かその後は抱き合って・・・。


夢の中の飛行機の轟音が、現実の飛行機のそれとすり替わる。
痛み止めを打たれたのか、背の痛みは若干和らいでいる。
蘭世はぼおっとしばらく霞む視界を眺めた。
彼女が目を開けていることに誰も気づいていないようだ。
蘭世の視界には、誰もいない。
ただ座席の背中が見えているだけ。
そして、数分もしないうちに高熱がまたその意識をさらっていく。


またいつかの想い出・・・。

情景は浮かんでこない。
でも、その時の言葉は鮮明に浮かんでは消えていく。

「・・・だがランゼ。マフィアである以上お前のような弱い者を狙い
害をなしてくる者が現れることは避けられないだろう」

このときは・・・何処にいたのか思い出せない。
でも、カルロ様の腕の中だったわ・・・

「・・・私は全力でお前をそういったことから守る」
「カルロ様・・・!」
私はカルロ様に腕を廻して、そして答えたんだわ。
「ね、カルロ様。それでもきっと私に
 恐ろしいことが起きるかもしれないよね」
「ランゼ。私は・・・!」
「ごめん。信用はしてるの。でも、何が起きてもおかしくないでしょ?
 以前、お屋敷から拉致されそうになったもの私・・・」
「・・・」
「でも、私は大丈夫なのよ。どんな事をしてでも
 無事に貴男の側に戻ってくるからね」
「ランゼ・・・」
「私は、思ったよりスゴイ奴なのよ。」
そう言ったらカルロ様笑ってたっけ。
「そうだな・・・もしもその時は、私も世界中のどこに
 お前がいても必ず探し出してみせる」
「約束よ・・・!」
「約束だ。」
(・・・)
(・・・)

そう。
私は、必ず戻ってみせるのよ・・・!
だから。
貴男も私を見つけて・・・。



つづく


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