(2)追跡
翌朝。
蘭世はなかなかベッドから起きてこなかった。
「蘭世?大丈夫?」
昨日の一件もあり、タティアナは心配そうだ。
「・・・タティアナ・・頭いたい」
蘭世は布団に潜ったままそうつぶやいていた。
「わかった。先生にいっとくから、今日は休みなさい」
「ごめんね・・・」
「朝食持ってきてあげるから、それは食べるのよ!!」
「うん・・・」
タティアナは結構世話を焼くのが好きな女の子である。
茶色い瞳で赤毛のくせ毛をショートにした、活発な印象だ。
しばらくしてタティアナは朝の集会のある校庭へと出ていった。
「・・・」
皆の足音が廊下から次第に消え、しいんとした空気が降りてくる。
遠く校庭からはがやがやと皆の声が聞こえてくる。
「よ・・・っと」
朝食を食べ終わった蘭世は、トレイを食堂に返しに行くために
立ち上がった。
「・・・」
外を出歩くのになんとなく自分がずる休みをしているような
気がして、私服では気が引けてやはり制服に着替える。
頭が痛いのは確かなのだが・・・。
「・・・」
蘭世はトレイを食堂に返した後、こっそりと校舎へ向かった。
皆まだ朝礼の最中だ。
「確かあそこに・・・」
1階の生物学教室。
その部屋の向こう側に、飼育小屋があるはずだ。
蘭世は慎重に周りを見渡しながらそこへ入っていった。
大きな鳥小屋。
緑色の小鳥に指を伸ばす。
「おいで・・・」
小鳥は手乗りに慣れており、すっと蘭世の白い指にとまった。
そのまま飼育小屋から出る。
(ことりさんごめんね・・・)
「かじっ!」
蘭世は小鳥に姿を変え、空へと舞い上がった。
今日はこの姿で、カルロの1日を見て回るつもりだ。
蘭世は羽ばたきながらカルロの屋敷へと向かった。
カルロの屋敷も、仕事場も警備が厳しい。
犬や猫の姿では番犬たちに吠えつかれるのは目に見えている。
だから、鳥の姿になり空から行くのが最適なのだ。
蘭世はカルロの屋敷にたどり着いた。窓からカルロの姿を探す。
(あっ、いたわ!)
腹心の部下ベン=ロウと、いつものように何か話を
しているようだ。
(やっぱり、カルロ様はステキよね・・・)
凛々しい横顔におもわず蘭世は見とれていた。
窓の外からは中の音は聞こえてこない。
(あらっ、お出かけ?)
やがてカルロはクローゼットから革のコートを取り出し
身に纏った。
蘭世もあわてて正面玄関へ廻る。
部下が自動車のドアを開きかしこまる。
その中へとカルロは身を滑り込ませた。
カルロを乗せた黒塗りの自動車が正面玄関から出ていく。
蘭世はそれを羽ばたき追いかけた。
やがて車は大きな門構えの屋敷の前に停まり、門前でいくつか
チェックを受けた後やがて門の向こうへと進んでいった。
同じ様な車が数台前後にある。
(カルロ様のお屋敷と同じくらい、ここも大きいわ・・・)
庭にはソテツなんだか椰子の木なんだかよくわからない南国系の
木が沢山植わっている。
その奥に大きな屋敷がでん と構えていた。
カルロを乗せた自動車はその屋敷の大きな入り口で停まった。
(あ・・・待って〜!)
入り口は背が高く取られており、鳥の蘭世でも
容易に入り込むことが出来た。
ちょん、ちょんと柱の上に止まりながらカルロの姿を追う。
やがてカルロは大広間に出た。
中にはすでに男女とりまぜて沢山の人がおり、にぎわいを見せていた。
(え?・・・これってパーティ??)
小鳥の蘭世はとりあえず中央の大きなシャンデリアの上にとまった。
下をじっと見下ろしている。
(あれ??カルロ様は・・・?)
一瞬見失ったがまたその姿を見つけた。
なんだか大柄で色黒な男と話をしている。
部屋の中なのに男性はカルロを含め皆サングラスをしていた。
そのうち、その色黒の男が笑いながら大きな声を出して
誰かを手招きしだした。
(あ・・・!)
やってきたのは。
数人の妖艶な美女達だった。
色黒の男と、カルロの両腕に彼女たちは笑顔でとりつき、
しなだれかかっていったのだ。
「はっはっは!」
あの色黒男の聞こえよがしの声が聞こえてくる。
「さあさあ!気に入った娘があったら持ち帰っても構わんよ!」
・・・ぐっ。
カルロの表情はサングラスで見えない。
でも、蘭世にはこの様子は相当こたえた。
昨日の一件の、イリナの言葉が追いかけてくる。
「ダーク=カルロは女に不自由していない」
(・・・なによ!あの色黒おやじに文句の一つや二つ言ってやるわ!
カルロ様には私がいるんだから!!)
蘭世は一瞬鳥の姿でいることを忘れた。
(きゃあっ!! おっとっと・・・!!!)
羽ばたきもせずに飛び降りようとしてシャンデリアから
落ちかけてしまったのだ。
蘭世はあわてて体勢を立て直した。
ふと、蘭世は我に帰った。
(みんな 綺麗な人ばかり・・・)
下でカルロを取り巻いている女性達。
冷静に見ると、どの女も皆とても美しく妖艶である。
(・・・それに比べて私は・・・)
どこをどうひっくり返しても、彼女たちには敵いそうもない。
女らしいとは言いにくいし。
もっと言えば勉強だってそんなに得意じゃない。
(・・・子供、だわ私。みんなの言うとおりだ)
蘭世の胸はきゅうきゅうと音を立て始めていた。
鳥の姿でがっくりと肩を落とす。
(・・・来るんじゃなかった。・・もう帰ろう・・・)
イリナ達の暴言を否定したい一心でここまで飛んできたはずなのに、
蘭世は更に自分へ追い打ちをかけてしまったようだ。
みそっかすの自分を思うと悪寒が走り、
蘭世は思わず翼をばさばさとはためかせた。
その瞬間。
(ふがっ・・・!)
シャンデリアに積もっていた埃を巻き上げてしまったらしい。
(しまった!!だっ、だめえー!!!)
こんな高い所で元の姿に戻ったら!?
蘭世は必死になって下に向かって羽ばたいた。
「はっ、はっくしょーん!」
ガシャガシャーン。
蘭世は大きな音と共に床に軟着陸した。
どうやらパーティに出されていた料理のワゴンを引っかけたらしい。
しかも、それはデザートのケーキが乗っていたワゴンのようだ。
蘭世の周りには銀色の皿がいくつも散らかっている。
そして、あっという間に体中が甘いクリームまみれになってしまっていた。
「なんだなんだおまえは!」
銃を持った男達が数人、蘭世を取り囲む。
当然パーティにいた客も集まり始め、
こちらを野次馬のようにのぞき込んでいた。
(どうしよう!!)
蘭世はワゴンの下敷きになっており身動きもできない。
もうどうすることもできず半泣きであった。
(私って、もうサイテー。)
こんなみっともない姿になって。
さらにがっくり来てしまう蘭世だった。
「・・・ランゼ!?ランゼなのか?!」
聞き覚えのある声が蘭世の耳に入ってきた。
「あ!・・・」
思わずほっとして声のする方向を振り向こうとしたが・・・
蘭世はそれをやめて身を固くした。
カルロに見つかってしまうのは当然のことだ。
これだけ派手に登場してしまったのだから。
この場所から助け出してくれるとしたら彼しかいない。
でも・・・一番彼にこんな姿を見られたくない・・・
(どうしようどうしよう・・・)
蘭世はもうどうすることもできず真っ赤になり
目をつむって下を向いていた。
カルロは自分の服が汚れるのもいとわず、蘭世の上にのしかかった
大きなワゴンをのけ、折り重なるケーキ皿の中から
クリームまみれの蘭世を救出した。
蘭世の両脇に手をかけ、立て抱きに抱き上げる。
「どこも怪我はないか?!」
「う・・・うん・・・」
(いったいどうしてこんな所に・・?!)
カルロはまだ自分の目が信じられないといった表情だった。
その彼に蘭世は目をあわせられない。
グレーのスーツを上品に着こなしたカルロ。
その彼が私の元へ来てくれたというのに。
自分はなんてみっともない格好か。
さらには自分のせいでそのカルロの綺麗なスーツに
クリームをつけてしまった。
「ごめんなさいごめんなさい・・・」
蘭世は真っ赤になってただそう小声で言うばかりだった。
「おやおや、これはすごいことになっているなあ」
色黒の大男が近づいてきた。
蘭世もその大きな声に思わずそちらを振り向く。
鳥の姿でシャンデリアの上から見下ろしていたときよりも
さらに威圧的な雰囲気がした。
大男が目配せをすると部下達と思われる数人が
銃をおさめて後かたづけを始めた。
やはりこの大男がこの屋敷の主らしい。
カルロは大男には振り向かず蘭世に問いかけた。
「ランゼ、今まで一体どこへ行っていたのだ?探したぞ」
「えっ?」
(しっ・・・私に合わせなさい)
カルロのテレパシーが聞こえてきた。
(迷子になっていたと言いなさい)
「ご、ごめんなさい・・・私、迷子になってしまったの」
蘭世はしどろもどろでやっとそう言った。
「このお嬢さんはカルロの知り合いかね?」
「これは私の・・」
「いっ・・いもうとですっっ!義理のっ!!!」
蘭世は咄嗟に口走ってしまった。
(婚約者とか恋人だなんて言われる資格なんかないわっ・・・)
(妹!?)
これにはさすがのカルロも驚き、蘭世の顔を見返してしまった。
「何を言っているのだランゼ。お前は私の・・」
「いっ、いいの!パーティのお邪魔をしてご免なさい私もう帰るわ!!」
蘭世は抱き上げるカルロの腕から降りようと必死だ。
「ランゼ落ち着きなさい。」
しかしカルロにがっちりと掴まれていて降りることは出来ない。
(・・・)
カルロは真っ赤になって腕の中で慌てている蘭世をじっと見上げている。
蘭世がここにいる真意を見定めているようだった。
・・・そしてぷっ と吹き出してしまう。
これには蘭世もぴたっ と暴れるのをやめて
むくれてしまった。
「・・・どうせみっともないわよぉ・・・」
「・・・すまない。」
それでもクスクスとカルロは笑っている。
カルロは蘭世を両腕にお姫様だっこのように抱きかえ、
顔をのぞき込んだ。
「せっかくのかわいい顔にクリームがついている」
そう言って。
「きゃっ・・!」
カルロは蘭世の右頬についたクリームを舐め取った。
そして茶目っ気たっぷりの顔をして蘭世の顔を見返す。
カルロがこれで終わるわけがない。
「ここもおいしそうだ・・・」
そう言いながらカルロは蘭世の唇を塞いだ。
当然周囲は騒然となる。
だが、この男は公衆の面前も全く気にしない。
と、いうよりはカルロは蘭世を守るため
念には念を入れ、わざとアピールして見せたのだった。
ここはマフィアの屋敷。
不法侵入者に寛大な場所ではないのだ。
やっと解放され蘭世は別の意味で赤くなっていた。
蘭世の口の中には甘いクリームの味が残っている。
カルロは例の大男に向き直った。
「騒がせて申し訳ない。これは私の婚約者です。
紹介しようと連れてきたのだが途中ではぐれてしまった」
「これはこれは・・何もかも突然で驚きましたなあ」
大男は蘭世を値踏みでもするような目つきで見ている。
蘭世は思わず目を伏せてしまった。
「料理を台無しにしてしまったのだが・・・」
「やあ、これはすぐ片づけて新しいのを持ってこさせる。別に構わんさ」
「埋め合わせはまた後に。・・・それと甘えついでに、
彼女をきれいにしてやりたいのだが・・・」
「ははは!そうだねぇ。うちのバスルームを使いなさい。服は・・」
「服は私が用意させるので心配無用だ」
そんなやりとりの後、カルロは蘭世を抱えたまま
パーティ会場を出ていった。
つづく