「・・・話はそれだけか」
男はデスクの前に座り電話をしていた。受話器からかすかに怒った女の声が聞こえてくる。
「最大限の礼は尽くしてきた。もう言うことはない」
それだけ言うと受話器を置き、立ち上がった。
薄暗い部屋、窓の月明かりに長身の男の影が浮かび上がった。
その男は流れるような金髪と深い湖のような翠の瞳をしていた。
彼はついと右手をさしのべる。すると、ワイングラスがスウッと空中を飛び手の中に収まる。
続いてワインボトルが同じように空中をゆっくり移動し、自ら傾いてその男が捧げ持つグラスへ
赤い液体を注ぎこんだ。
それらは彼らにとって当たり前の事だった。
表向きは財閥だが、実はマフィアのカルロファミリー。
彼はその若きボス、ダーク=カルロである。
「ダーク様。」
腹心の部下ベン=ロウが声をかける。
「いかがいたしましょう?」
電話はカルロの妻からであった。もと妻というべきか。
「・・もう私に電話をつなぐな」
「はっ」
カルロは手にしたワインを一息に飲み干した。
「外の風に当たってくる」
ベンは一人になりたいらしい主の背を静かに頭を下げ見送った。
ただ、そのあとで何人かをひそかに護衛に出すことだけは忘れない。
表庭ではパーティをしているはずだが、大きな屋敷に広い広い敷地である。
風にのって話し声が時々聞こえてくる程度だった。
それでもこの屋敷もカルロファミリーの持ち物の一つにすぎない。
カルロはたまたま用事で立ち寄っただけだった。
ダーク=カルロは莫大な財産も地位も名声もなにもかも手にしている。
さらには超能力を持っていた。
カルロファミリーは代々そういった力を持った者が出現していた。
そしてその彼らがこのファミリーを支えてきたのだ。
カルロはその卓越した頭脳と整った容姿で周りの者を魅了する。
当然女もよりどりみどりだったが、カルロの心を動かせる者はいなかった。
勧められてした結婚も、1年の別居の末に離婚し、あとには金がらみのいざこざが残っただけだ。
”愛”だけは、お金では買えないのだ。
カルロは、恵まれながらも心のどこかに孤独を抱えていた。
だが彼はあくまで孤高なマフィアのボスであり、誰も付け入る隙のない強靱な精神をもっていた。
そんな孤独なカルロが、時折見る夢があった。
誰もいない真っ白な空間。
その向こうに誰か佇んでいる。
最初は霧がかかっているのかぼんやりとしてわからなかったのだが、
その夢を見るたびにだんだん霧が晴れているようなのだ。
最近は娘らしい、と気づいたのだが、現実の世界ではその人影に見覚えは無かった。
人影がこちらへ振り向く直前に夢はいつも終わってしまう。
しかし、カルロには何故かとても懐かしい人に思えるのだった。
(何かの予知夢だろうか・・・・)
カルロはまたその夢を思い出しながら、広いバルコニーを
一人歩いていた。
そして 裏庭につづく階段を降りていく。
月が明るい晩だが、時折風が吹いて雲を動かしその光を遮る。
階段を降りきると、カルロは噴水のあたりに人影を見つけた。
反射的に銃を手に持ちその影に近づいていく。
「?」
影は少女のようだった。しばらく観察するカルロ。
白いワンピースの少女は靴を脱ぎ、庭の中央にある大きな噴水の端によじ登り、
中にある石像の天使のひとつへ手を伸ばしていた。
結構な高さの所でバランスの悪い格好をしている。
(一体何をしているんだ??)
ダークはその影に近づきながら声をかけた。
「そこでなにをしている。」
『えっ?!あっ・・ごめんなさ・・・きゃあ!!』
ふいに声をかけられ少女はバランスを崩した。
そう、少女は蘭世である。
不審者が水の中へ落ちるのを見過ごすこともできたのだ。
だが、カルロは何かに突き動かされたように、咄嗟にその超能力を使っていた。
あわれ水の中へと思った刹那、何故か蘭世の体はふわりと浮き上がり、
カルロの腕の中へと落ちていった。
(・・??え??今のは私の能力??・・・まさか???)
半人前魔界人蘭世は一瞬そう思った。
でも実はカルロがやったことだ。銃はいつのまにか懐へしまっていた。
風が、雲を月から遠ざけた。ふいにあたりは月明かりで満たされる。
カルロは腕の中に落ちてきた少女を見てハッとした。
(あの夢の娘?・・・まさか・・・)
夜の闇を集めて造られたようなつややかな黒髪は少女の細い腰までも届く長さ。
大きな瞳にまだあどけなさが残る美しい少女である。異国の者らしい。
だが、それよりもこのたった今逢ったばかりの少女に、えもいわれぬ懐かしさともいえるような
暖かい想いがわいてくるのである。
(やっと逢えた・・・)そんな感じであろうか。
「良くここまで入り込めたな。・おまえはどこからきたのだ?名前は何というのだ?」
簡単なルーマニア語だが、気が動転している蘭世には理解ができなかった。
『かっ、勝手にお庭に入ってごめんなさいっ!
私リボンを探してこんな所へきてしまったの。』
と、思わず日本語でまくしたててしまう。当然カルロには判らない。
カルロは ふっ と微笑み、その腕から蘭世を下ろし、自分を指し示して
「DirK(ダーク)。」
と言った。それで蘭世はあっ、と思い答えた。
『名前ね! 私、蘭世。ラ・ン・ゼ。』
「ランゼ・・・・。」
カルロに名前を呼ばれて蘭世は急に自分の顔が赤くなるのを感じた。
胸はさらにドキドキと早鐘をうっている。今までに感じたことのない、なんだか不思議なぼうっとした気分である。
ただ、それが恋というのかはまだ本人にも誰にもわからないのだった。
そんな蘭世を見てカルロは、そっと自分へ引き寄せる。
ほのかに香るシャンプーの香り。
しかし蘭世はびっくりしてカルロを思わず突き放した。
(・・・怖い!)
「・・・行かないでくれ」
カルロの瞳がふいに曇る。
「少しの間だけでいい そばにいてほしい・・・」
口から出る意味はわからなかったが、カルロの哀愁漂う視線に心を打ち抜かれ
蘭世は動けなくなってしまった。
(この人は、なんて寂しそうな眼をするのだろう・・・)
それからふたりは向かい合い、噴水の横にある庭の芝生に腰掛けていた。
カルロはランゼを優しく見つめ、言葉を紡いでいた。
「・・・勝手気ままに生きてきたが、幸せだと思ったことはなかったな。」
「・・・何故だろう、おまえとは初めてあったばかりなのに
どうしてこんなに懐かしく思うのだろう。」
蘭世には意味がほとんど理解できなかったが、その声は水面にさざ波をたてる風のように
蘭世の耳に心地よく響いてくる。
(ああ、なんてこの人は懐かしそうな優しい目で私を見るのかしら。
私は、なぜこの人のところへ引き寄せられたのかしら・・・?)
「おまえは、どこからきたのだ・・・?」
カルロはそっと蘭世の頬に手をさしのべる。暖かいその手に思わずうっとりと目を閉じる。
そんな蘭世を見てカルロはその唇を重ねた。
「!」
我に返った蘭世はおもわずカルロから離れ立ち上がってしまった。
(・・・私ったら一体!?今日始めて会った人なのに何してんの?!おばか蘭世!!)
蘭世は初めてのことで動揺しているらしい。最初は蘭世のあわてぶりにちょっと驚いたが、
27歳のカルロには合点がいった。いろいろなことに経験豊富な男である。
「・・・驚かせてすまない。」
「・・・」
夜目でもわかる耳まで真っ赤の蘭世。
そんな様子を見てカルロはますます蘭世をいとおしく思えるのだった。
「・・・ランゼ、おまえは何かを探していたようだが?」
蘭世を落ち着かせようと、話題をさっと切り替えるカルロである。
「えっ?」
もういちどカルロがゆっくり同じ事を話すと、今度は蘭世も何とか理解できた。
「あっ、あの、私のリボンが噴水にひっかかっているの。 とても大事な物なんです」
懸命に蘭世も覚えたてのルーマニア語をつなぎ合わせて答える。
「少しはルーマニア語が判るのだな。リボンは明日部下にとらせよう。
・・・また明日もここで会えないかな?」
ここでまたちょっと淋しそうな表情を見せるカルロに、思わず はいっ と答える蘭世。
(本当は今リボン返して欲しいんだけど・・・。)
蘭世はつい言いそびれてしまった。
「では、今日は私の車で送ろう。家はどこにあるのか?」
「・・あ、えと、コンスタンツェ学園の東寄宿舎です。」
「・・・そこの学生なのだな?」
「はい。私、中学部の1年生なんです。でも本当は
15歳なの。日本からの留学生だから・・・」
「日本人なのか?」
「・・・ええと、あの、日本に住んで、いるの。」
蘭世はしどろもどろである。
(日本人ではないけど、魔界人なんて言ったって笑われるだけだわ・・・)
やはりパーティーの客人だったか。
蘭世が15歳という若さと知り少し驚く。
しかしそんなことはカルロの想いには何の障害にもならないのであった。
屋敷から乗った自動車は黒塗りの高級車だった。もちろん隣にはカルロが座っている。
(自動車なんて私始めて乗ったわ!しかもこんなスゴイ車!!)
思わず車内をきょろきょろしてしまう。
運転手付きの高級車。
屋敷の玄関から出たとき黒いスーツの男達が何人もおり、皆カルロに頭を下げていた。
(こんな立派な車で、たくさん部下がいて、 この人、一体何者かしら・・・?)
そう思いながらそっと隣に座っているカルロを見やると、
先刻の噴水のほとりでみたのとは違ってまるで無表情であった。
蘭世はなんとなく身を固くしてしまう。
ほどなく寄宿舎の前に車は到着した。車から出た蘭世はペコッと挨拶をする。
「・・・あのっ、送って下さってありがとうございました。おやすみなさい。」
「・・・お休み。」
そう言ってカルロは蘭世の頬に軽くキスをした。
ちょっと、いやとても焦る蘭世。
(きゃ〜〜 おさまれ心臓!)
蘭世は走り去る車を姿が小さくなるまで見送りながら、立ちつくしていた。
初めての人間界。いきなりの大事件であった。
つづく