『パラレルトゥナイト第3章:第1話』



(2)記憶の森



ここは蘭世の意識の中。
ヨーロッパの森のような風景。
あるいは魔界の風景にも似ている。

人間界の季節はまだ夏の終わりであったが、ここは真冬のように冷たい空気で満たされている。
蘭世はその森の中にある暗く深い泉の底に横たわっていた。

水は、胎児を包む水のように蘭世を保護していたが、それは蘭世の心が滲みだしているのか氷のように冷たかった。
よく見ると水面に薄氷が張っている。

そして、泉は余りにも深く、蘭世のいるらしいところは 闇がかたまっているばかりで何も見えないのだった。

「ドウシテ?ナゼ・・?」
「アイタイ。アノヒトニ・・・」
「カナシイ・・・」

時々どこからかこだまのように声が響いてくる。
それは風にのってかすかに聞こえるようにも、空気全体が震えて音を出しているようにも思える。


最初にそこを訪れたのは金髪碧眼の少年だった。
「おねえちゃーん・・・・・!」
「おねえちゃん!どこにいるの!!」
蘭世の夢に入り込んだ少年は姉の姿を探して水辺をさまよう。
「なんでお姉ちゃんの夢なのに、お姉ちゃんがいないの?」
少年は1時間近くあたりを走り回ったが、ついにあきらめ姿を消した。

次は。
突然、寒々とした泉のそばに淡い光がゆらゆらと現れ、人の姿になった。
それは長身の男で、金色の髪と美しい碧翠の瞳をしていた。
悲しげなその瞳は、水底をじっと見つめる。
そして、彼女の名を呼んだ。
「ランゼ・・・」

その途端、あたりを突風が吹き荒れる。
水面はざわめき、木々の葉が散り散りに飛んでいく。
だが、しばらくすると元の静寂が戻ってきた。
「・・・。」
蘭世はまだ水底で眠っているらしい。
男は水辺に膝をつき、片手を凍った泉に差し出した。
パリパリ・・・・。
氷が音を立てて砕けた。
その男は立ち上がり身につけていたスーツの上着を脱ぐと、凍てついた泉に飛び込んだ。
いちど浮かび上がり、一つ息を吸うと躊躇無く水底へと潜っていく。

暗い暗い水の底。
男はようやく水底にたどり着き、うつぶせに横たわる蘭世を見つけた。

蘭世の体はぼうっと白い光を放っていた。
蘭世の長い黒髪は水中にゆらゆらとたゆたっている。
男は水底に降り立つと蘭世をすくい上げるように引き寄せ、
彼女を抱きかかえたまま水面へと泳ぎ浮上していった。

泉の水面へ浮かび上がった男は蘭世を膝に抱きかかえ岸辺に座った。
蘭世は面やつれし、紙のような白い顔に紫色の唇をしていた。
「・・・。」
男の体から淡い光がにじみ出るように現れすぐに消えた。
すると、何故か男の体と蘭世の着ていたネグリジェはすぐに乾いた。
そして、同じく乾いた蘭世の黒髪を愛おしそうに指で梳く。
「ランゼ・・・悲しい思いをさせてすまない・・・」
そうつぶやくと、蘭世の冷たい唇にその唇を重ねた。
人形のように動かない蘭世に、男はじっとそのまま唇を重ね続けている。

男の回した腕や唇から体温がつたわり、蘭世の体も暖まってきた頃。
男はふと長い長い接吻をやめ、彼女の顔をのぞき込んだ。
ゆっくり、ゆっくりと蘭世の瞼が開いていく。

蘭世の視界も初めは白くぼやけていたが、少しずつ周りの像を結び始める。
「だれ・・・ダーク!?」
蘭世は信じられないといった表情で思わず男の両頬に手をやる。
「ダークなの!?」
男は静かに微笑むと頷いた。
「ランゼ。悲しい思いをさせてすまない。」
「ダーク!!」
蘭世は思わず抱きつき、激しく泣き出した。
悲しさとうれしさの入り交じった涙。
蘭世はひたすら泣きじゃくる。
カルロはそんな蘭世を愛おしげにじっと抱きしめていた。

しばらくして少し落ち着いてくると、蘭世はカルロに問いかける。
「会いたかった!・・・もう会えないと思ったの!」
「私もそうだ。」
「でもどうして・・・?これは所詮夢なの?」
蘭世はそう言うと表情を微かに曇らせた。
「ここはお前の夢だが、私は本物だ。」
「?」

蘭世は事情が飲み込めず首を傾げ、さらに説明を請うようにじっとカルロを見つめた。
「私は、あれから天上界という所にいる。」
蘭世はそれを聞くと悲しげに俯いた。
「やっぱり、ダークは死んでしまったのね・・・」
カルロは寂しげな笑みをうかべ、そしてさらに言葉を続ける。

「天上界には生命の神という者がいる。
私は生前、予知夢でその神と話をした。」
「予知夢?時々ダークが見ると言っていた?」
「そうだ。その中で、神は私の命がもうあと数日であると告げた。
人間界で敵対する組織に暗殺されるか、
冥界で冥王を倒す時か、どちらかだと言ったのだ。」
「えっ!」

蘭世の目が大きく見開かれ、彼の顔を見上げる。
「私はどちらかを選べと言われた。
そして私はあの二人の子孫として、行く末を見守る義務があると考えた。」
「それで、真壁君と冥界へ行ったのね。
・・・でも、ダークはあのとき私に・・・」
蘭世の表情がここで硬くなる。声音はダークを責めるように強まる。
「あのとき、私の心配するようなことにはならないって言ったのに!
 どうして本当のことを言ってくれなかったの?!」
「ランゼ・・」
「どうして?心配させないため?私には返って辛いわ・・・!」
ランゼの目から再び冷たい涙がぽろぽろと零れる。
「貴男が死ぬのなら私も・・・」
「ランゼ!それはいけない。」
カルロは蘭世の両肩を掴み、蘭世の目を真摯なまなざしで見つめた。
「ランゼ。落ち着いて聞いて欲しい。ゾーンはまだ生きている。
 お前達はまだ戦わなくてはならない」
「!」

蘭世もはっとしてカルロの顔を見返す。
「ゾーンが、生きている ですって?だって確かにあのとき!」
「詳しいことはまた少しずつ話そう。
私はあれから、生命の神の言葉を お前に伝える役目を与えられたのだ。
私はこれからこうしてお前の夢の中へ来ることが出来る、
そして蘭世は私の話す神の言葉を皆に伝えて欲しい。」

「これからもまた会えるの?本当に?」
「私は今、生き返ることは出来ないが、お前が望む限りいつでも
 こうして夢に会いに来ることが出来る。」
「本当に・・・?!」

蘭世はなかなか信じられない、といった表情だ。
カルロは返事をする代わりに微笑んだ。
「ランゼ・・・」
カルロは愛おしそうにそっと蘭世の両頬に手をやり、その涙をぬぐう。
蘭世の表情が少し和らいできた。
夢の中に限られているとはいえ、またカルロ本人に会えるのである。
蘭世にとってこれほど嬉しいことはない。
もっとも、彼が生き返ってくれるのが一番嬉しいはずなのだが。

「あっ、あの・・・・その、毎日でも会えるのかな?」
蘭世はそう言ってちょっと顔を赤らめる。
そんな彼女にカルロはにっこり笑い返す。
「そうだな。毎晩夢に来ることが出来る。そして・・・」
カルロは蘭世に唇を重ねた。
今度は熱い熱い口づけだった。


つづく

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