(2)抗議
ルーマニアに戻ってきた初日の夜。
カルロのプライベートルーム。
俊はリビングのソファで、蘭世は寝室のベッドでそれぞれ横になっている。
蘭世はなかなか寝つけなかったのだが、それでもいつしか眠りに落ちていた。
・・・蘭世の夢の中である。
今夜は先日の池の畔ではなく、どこかの国の高級なホテルのロビーであった。
その一角にあるティーラウンジのようだ。
その場所も、いつかカルロと一緒に訪れたことがあるのだろう。
蘭世は独りテーブルについていた。
座り心地の良いソファだ。
ラウンジの奥に新聞を広げた老紳士が座っている。
そして、ロビーには数人の宿泊客であろう人影が見えた。
(・・・私、ここでダークを待ってるのかな・・・?)
テーブルには暖かい紅茶のカップが置かれている。
でもなんだか落ち着かなくて手を伸ばすことが出来ない。
ひたすら背筋を伸ばし、両手を膝の上でぎゅっと握り合わせていた。
ときどきワンピースの裾をちょっとつまんで居ずまいを正したりする。
(なんだかどきどきするわ・・・)
「いらっしゃいませ。」
どきっ。
店員の声に振り向くと。
「あ・・・!」
彼の人がコートを脱いで店員に預けていた。
(このホテルに行ったのは冬だったかしら・・・?)
落ち着いた色のスーツを身につけた人物が蘭世のテーブルの向かいに座った。
「待たせたようだね。」
「うっ、ううん!」
蘭世はいそいで頭を左右に振る。
ウエイターがシャンパンを二つ運んできた。
カルロがそれを口に運ぶのを見て、蘭世もやっとグラスを手に取る。
蘭世は思わず くいっ と飲み干してしまう。
「ふう。」
「・・・どうした?珍しいな」
カルロはクスクスと笑っている。
「あ、ごめんなさい・・・」
蘭世は顔を赤くしている。
それはシャンパンのせいでも、カルロに笑われたせいでもあるだろう。
「ん・・・だってね。今日ここでダークに会えるのか不安だったの。」
「?」
カルロは優しげに首をかしげている。
「こないだ会ったときは池の畔だったから、場所が違うでしょ?
違う夢を見たのかと思ったの。」
「そうか・・・。ここも一緒に来たことがあるかな?」
「うん。私も覚えているわ」
「以前来たときは待ち合わせではなく、一緒に来たはずだね」
「そうね・・・!」
蘭世は、やっと、ほっとした顔を見せた。
それから二人はとりとめのない会話をしていたが、蘭世があっ と思いだした。
「そう!あのね、ダーク!!」
「・・・」
雰囲気を察してカルロは真顔になる。
「あのっ。真壁君を身代わりに立てたのは、組織のため、って私も解るの。 でもね・・・
なんでお部屋まで一緒なのかしらっ」
「ベンがそこまで徹底するとは私も考えてなかったな。」
カルロは横を向き、そっと葉巻に火をつけた。
「なんとか別室にしてもらえないかしら。私、落ち着かなくて・・・」
「・・・」
カルロは少し黙って考えているようだった。
「それからっ!」
蘭世はさらに続ける。
「あのね・・ダークが死ぬこと、ベンさんは知ってた。」
声が少し悲しみで澱む。
「ベンさんには教えてたのに何故私には言ってくれなかったの・・・?」
カルロは少し視線を下に落とす。
「あの男はどんな事があっても冷静だ。」
「でも!」
「ランゼは私が死ぬと聞いたら心おだやかではいられないだろう?」
「う・・」
でも。それでも、もう夫婦なのに。・・・なぜ何でも話してはくれないの?
そんな言葉が蘭世の喉にひっかかる。
「もし先に聞いていたら、他に何か方法があったと思うのよ。
例えば魔界人になっておくとか・・・」
「私はいずれにせよ死ぬ運命だったのだ。
冥界へ行かなくても、人間でなくても死ぬ運命だった。決まっていたことだ」
「そんな・・・・。」
蘭世はついに涙をほろほろとこぼし始める。
手で顔を覆いもせず、じっと何かに耐えている。
「ランゼ・・・?」
カルロはハッとして立ち上がり、蘭世の隣へと座った。
夢の中だがウエイターもなんとなくこちらを気にしているようだ。
カルロは蘭世の小さく震える肩を抱いた。
どうあっても。
ダークは私のそばからいなくなってしまう運命だったというの?
そしてそれ以上になにか心までカルロに突き放された気分だ。
「短い間だったけど、夫婦なんだから、もっと何でも話してほしかったの・・・」
蘭世はそうやっと口にすると、瞳を閉じ俯いた。
瞳にあふれていた涙が堰を切ったように零れ出す。
「言葉が足りなかったようだな・・・すまない・・・」
「・・・っ」
蘭世はカルロの肩に頭をこつん、と当てて泣きじゃくり始める。
それを両腕で包み、カルロは すまない・・と何度も囁いていた。
カルロのスーツが涙で濡れるが、二人のどちらも気にしていなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
少し蘭世が落ち着きを取り戻したとき、カルロは切り出した。
「ランゼ、・・・警告だ。もうすぐシュンの命を狙って敵組織が動き出す。」
「え・・・?」
これには蘭世も驚き顔を上げた。
「もし私が冥界に行かなかった場合に私を襲うはずの奴らだ。それに冥王が絡む可能性がある」
「なんですって!」
「江藤家に応援を頼むといいだろう。屋敷へ招くといい」
蘭世の背筋が再びピン!と伸び、両手でごしごしと涙を拭いた。
「シュンが危ない。守ってやって欲しい」
「うん!!」
蘭世も望里や椎羅がいたら心強い。
「私は魔界人だもの。がんばらなくちゃ!」
そう言って気合いを入れる蘭世を、カルロはにっこりと笑って見つめていた。
しばらくすると二人は立ち上がり、ティーラウンジを後にした。
そして寄り添い歩き、ロビーにあるエレベーターへと乗り込む。
ドアが閉まる。
行き先は、最上階。
きっと部屋はいつかと同じロイヤルスイートであろう。
・・・蘭世の夢はまだまだ続くのだった。
つづく