(3)デジャ・ヴ
ある日の放課後。
蘭世は図書委員会に出ていた。
くじ引きだったが日本でも図書委員になった自分に少し苦笑いする。
委員会が終わった後。
蘭世は書記を任され、黒板を拭いたりと後かたづけをしていたら、いつのまにか教室では
最後のひとりになっていた。
「あ!いたいた蘭世ちゃーん」
「あれ?アロン。」
アロンがひょっこり蘭世のいる教室に顔を出した。
屈託のないにこにこスマイルを蘭世に向けている。
「アロン、まだ部室に行ってなかったの?」
「まあね・・・蘭世ちゃんも残ってたんだね。」
蘭世が黒板についたチョークを掃除しようと黒板消しクリーナーの前に立ちアロンに背を向けた。
スイッチを入れるとウイイン・・・と騒がしい音を立てる。
そのとき、アロンの笑顔に少しの邪気が加わった。
スッと教室の中へ入り、後ろ手でするするとドアを閉める。
蘭世はクリーナーのモーター音で、そのことに気づかない。
「さて・・と。」
蘭世はクリーナーのスイッチを切り、再びアロンに笑顔を向ける。
「私たちも早く部室に行きましょう!真壁君達もうトレーニング始めてるわ」
そう言いながら蘭世は黒板消しを片づけ、机の上にあるカバンを取りに席へ戻ろうとした。
「待って蘭世ちゃん」
「?」
蘭世がまた振り向くと、アロンがすぐ側まで来ていた。
蘭世は少し胸騒ぎを覚え表情が固くなる。
「ねえ・・・蘭世ちゃん、カルロって奴さ、もう死んだんだろ?」
「・・・!」
蘭世の顔に少し怒ったようなニュアンスが加わる。
アロンはルーマニアにいたときから蘭世に言い寄っていた。
そのときからすでにアロンは蘭世にとって”問題外”なのだ。
真壁俊が神谷曜子を問題外視するのと全く同じレベルである。
蘭世はそのアロンの問いかけを無視してきびすを返し、黙って教室から出ようとした。
しかし。
「離して!」
アロンはその細い腕を掴んで引き戻したのだ。
「改めて言う・・・結婚してくれ」
蘭世は蒼白になった。
アロンは蘭世の両手首を掴み、華奢な蘭世の身体を壁に押しつける。
突然のことで茫然としている蘭世の耳に
アロンは口を寄せ囁くのだ。
「もう死んだ奴のことなんか考えないで・・・。僕が君の心の傷を癒してあげるよ」
『他の男と幸せになるならば・・・』
そう言ったカルロの言葉が一瞬頭をよぎり気が弱くなる。
(・・・でも!!)
蘭世はハッと我に帰り、顔を背けて逃れようと暴れだした。
「いやっ!!あなたにはフィラさんがいるでしょ!離して!!」
「あれは父上達が勝手に決めたことだ。関係ない」
蘭世が暴れたところでアロンだって男である。
力の差は歴然としており蘭世は逃れることが出来ない。
助けて!
いやだ!!
私の心は絶対に違う!!
俊達はもうトレーニングの真っ最中だろう。
あたりには誰もいない。
蘭世は手をふりほどこうともがき続け、アロンをにらみつける。
「かみつくわよ!これでも吸血鬼の娘・・」
「だめだよ。僕には効かない」
アロンが静かにそう言い放った途端、彼の双眸が怪しく光った。
(ウ・・・)
蘭世はその目がそらせなくなってしまった。
・・・身体が動かない。声も出ない。
アロンは眼力の魔法を使ったのだ。
「かみついて・・・みる?」
そう言ってアロンは蘭世の唇を奪おうとその唇を寄せていく。
目を閉じたくてもそれすら許されない。
涙をこぼすことだけが唯一の抵抗。
(いやあっ・・誰か・・・ダーク!助けて!!)
パアン!!
パリパリ!!!!
「うわっ!」
その激しい音は。
蘭世とアロンのいる教室の窓ガラスが一斉に割れたのだ。
一瞬教室の重力が無くなったかのように、ガラスの破片達が教室の空間をキラキラと舞っている。
「いてっ!!」
周りの怪音にアロンが振り向いた途端、ガラスの破片が一つ、その頬をかすめた。
一筋の傷跡ができ、血がにじむ。
それを合図にしたかのように、無数のガラスの破片たちは重力に従って床へと一斉に落下していった。
「なんだなんだ!」
ガラスの割れる音を聞きつけ、遠くにいた先生や学生達が教室へ寄ってきた。
「うわっ!!一体これはどういうことだあ?!」
「大丈夫かお前達!?」
「あ・・・」
アロンの魔法が解けた。
蘭世は目を見開いたまま、その場でずずず・・・と背で壁をずり降り、ぺたん、と座り込んでしまった。
床に、机に椅子に。
ガラスの破片は散らばっている。
でも、蘭世の周りだけは何故かバリアでも張られていたかのように破片は落ちていなかった。
(この光景、あのときとおなじだ・・・!!)
蘭世の脳裏に思い出されるのは、ルーマニアでの”あのとき”の場面。
(私がマフィアの男達にさらわれそうになったとき。
ダークは温室のガラスをみんな”力”で割って私を救ってくれたのよね・・・。)
目をこらし、あたりを見回しても”彼”の影は見えない。
でも。
蘭世は確信していた。
(ダーク・・・!ありがとう・・・)
蘭世は感激で一杯だ。
思わずほてった顔を両手で覆い俯き、うれしさで暖かい涙を流していた。
寄ってきた生徒の何人かが茫然と座り込む二人を放置して掃除を始めている。
カチャカチャいう、ほうきで集められたガラスのぶつかり合う音。
それが、蘭世には
”ランゼ、愛している 愛している・・・”
と囁いているように思えていた。
感動すると蘭世のときめきは止まらないのだ。
(そうよ、ダークはいつも私を護ってくれているもの。
離れてなんかいない。側にいてくれているわ・・・!)
「いってえ・・!!」
アロンは傷の出来た頬を押さえて同じく座り込んでいた。
すると、どこからか男の声がする。
その声は、風の中で舞うようにアロンの耳に響いてくる。
『私の願いは唯一ランゼの幸せだ。ランゼの心を無視して近づこうとする男は私が許さない』
「え?え?誰だ!?失礼な奴だな!!」
アロンは怒ってキョロキョロと辺りを見回す。
でも。
声の主の姿は何処にも見あたらなかった。
「あれっ!アロン様大丈夫?!」
「きゃあ、怪我をされてるわ!!」
アロンのファンの女生徒達がアロンに気づきかけ寄ってきた。
それぞれに心配そうな表情を浮かべている。
蘭世には女生徒達の誰も気が付いてないか
無視をしているかのどちらかだ。
アロンはコロッと表情を変え、笑顔を彼女たちに向ける。
「やあ、じゅんちゃんにゆきちゃんあやちゃん、大丈夫だよこのくらい。」
「いけませんわ! さあ保健室に行きましょ!!」
そうしてアロンは女の子達に囲まれ教室を出ていった。
「・・・」
ほっ。
それを眺めていた蘭世は思わず安堵のため息をついた。
「え・・・謹慎10日?」
「そうだ」
カルロは苦笑していた。
「明日からしばらく会いに来られない。」
カルロは蘭世を助けるためとはいえ
人間界を超能力で騒がせたことを生命の神に怒られたのだった。
蘭世は夜が来るとカルロに会いたい一心で早々とベッドに潜り込んでいた。
そして、夢の中へ・・・。
ここは初めて夢の中で会ったときの泉のほとり。
そこで謹慎のことをカルロから知らされたのだった。
二人は大きな泉のまわりを並んで散歩していた。
ゆっくり、ゆっくり。のんびりと。
お互いがお互いの歩調にさりげなくあわせて歩いていく。
ときどき蘭世が茶目っ気を出してぱたぱた・・・と駆けて数歩先へ。
そして振り返ってカルロを待つのだ。
蘭世はカルロの手に華奢な手をつなぎながらちょっと照れくさそうに俯いていた。
「ダーク・・・私のために怒られて・・・ご免なさい」
そう言ってチラと蘭世がカルロを見上げると
カルロはそんな蘭世に微笑みを返す。
蘭世はカルロが天上界に行ってから、その彼の笑みが一段とやわらかくなった気がしていた。
人間界にいたときもカルロは蘭世にその笑顔を向けていた。
ただ、カルロは他の人間には冷徹の無表情であったから
そんな笑みを知っているのは、実は蘭世だけかもしれない。
以前よりもっと、さらに温かい笑み・・・。
「ランゼは悪くない。私が勝手にしたことだ。
・・他にやりようがあっただろうに、ついカッとなってしまった」
「え!?」
蘭世は思わず歩みを止め赤面する。
いつも冷静なはずのダークが、自分のために怒りをぶつけたのだ。
目の前の笑みからは想像できない感情。
でも、確かにその”怒り(いかり)”で あのとき蘭世は救われたのだ。
(わたし・・・不謹慎だけど・・・幸せ!)
・・・蘭世は感動で目がもううるうるだ。
「こら。聞こえているぞ」
カルロはにこにこしながらこつん、と蘭世の額を軽くこづいた。
「えへへ。ごめん」
蘭世はとても嬉しそうだ。
そしてカルロに抱きつき目を閉じた。
「私、次に会えるの楽しみに待ってるね!謹慎解けたらすぐに来てね!」
「・・・もちろんだ。すぐに会いに来よう」
蘭世は体を離しカルロを見上げる。
「ダーク・・今日は本当にありがとう。とっても嬉しかったの」
その顔はいつもの明るい笑顔だ。
「私、ダークに守られてる、って思うだけで何処までも強くなれる気がする。
私も真壁君みたいに何か夢を見つけよう!!って思うんだ。」
カルロがそんな蘭世を抱きしめようとしたとき、
蘭世は腕からするりと抜けてそのあたりをスキップし始めた。
「アロンにはお礼を言わなくちゃいけないかしら!?」
いたずらっぽい顔でカルロへ振り向く。
「男の人と一緒になるだけが夢じゃないもん!!見ててねダーク!」
カルロはそんな無邪気な蘭世を透明な微笑みで見ていた。
その微笑みには、安堵と、少し残る寂しさが入り交じっていたのだった。
第3話 完
第4話 セントポーリア2 へつづく