『パラレルトゥナイト第3章:第4話』



(2)閉じた空間の中で


蘭世は、夢の中にいた。
そこはいつかの夢で見た天蓋付きの大きな大きなベッドで、やはり薄く白い幕が周りにかけられている。
 そこに蘭世はぽつん、とひとりだった。
他に誰もいない。
でも、この場所ならば。
きっと”あの人”はやってくる。

それはどこか、昔話の中で一国の主人が持つ後宮の片隅のようで、
主人が渡り来るのを息を潜めて待つ妃のような心持ちにも思えてくる。
”後宮”と違うのは、あの人は私だけの人だけと確信できること。

・・・でも。
省みて私は一体どうしてしまったのだろう・・・。

一人きりで、蘭世は物思いにふけっていた。

練習試合の相手校の学生に右手を傷つけられた俊。
リングに上がる俊のために見つけた四つ葉のクローバー。
そして、俊のセコンドを勤め上げ、最後の勝利の瞬間の抱擁。

・・・私、自分の心が解らなくなってきたよ?

普通だったらこんな気持ちの時に夢でカルロに会えることはまずない。
”ダークに会いたい”としっかり願った夜だけ会えていたから。
・・じゃあ、今日はどうして私は”ここ”に来られたのだろう?
そこで蘭世はハッとする。
・・・ダークが、私に会いたいのかな・・・!?
それは見た目よりも脳天気で前向きな思考ではない。
蘭世は今、カルロに対して後ろめたい気持ちで一杯だからだ。


一体、どんな顔してダークに会えばいいんだろう。
真壁君と、あんなに一生懸命になってしまった私は・・・
そして、そんな私の様子を”あの人”は 高いところから一部始終見ていたに違いないのだ。

その背中に緊張が走る。
人影が幕の向こうに現れたからだ。

白い幕が割れてできた暗い空間に、カルロは現れた。
カルロは無表情である・・と蘭世には見えた。
蘭世は無意識のうちに緊張が高まってしまい、いつものように両手を差し出すことも抱きつくこともできない。

「・・・どうした?」
「・・・ごめん・・・」
「何故謝っている?」
「う、それは・・・」

カルロは無言でベッドに上がり、蘭世の正面に座った。
そして、膝立ちで同じく黙り込んだ蘭世の細い両肩に手を置く。
俯いた蘭世の長い睫毛が細く震えている。
(・・・)
カルロだって蘭世は最初、純粋に仲間を思う気持ちでボクシング部に、俊に加勢していたことは解っている。
だが、それから次第に蘭世の中で芽生えてきつつある感情もカルロは見逃してはいない。

わかっている。
わかっている。
それは、全て運命の輪が織りなす出来事なのだ。
元々狂っていた歯車が 正しい歯を見つけて動き出しただけ・・・。

(だが、私の感情はどうすればいい!?)
カルロは、半分は無意識であっただろう。
その手はあっという間に蘭世を押し倒し、のしかかりその自由を奪っていた。
・・・・両手が、その白い首にかかる。
マフィアの男そのものの機敏な、残酷な動きであった。
(私は、もうこれ以上 お前をシュンの側に置いておきたくない)
口から言葉は出ないが、はっきりと蘭世の思考にその心はつきささる。
(ましてや、これからおきる騒動の中にも・・・)
カルロの瞳は厳しい光を放っていた。
・・・
シュンから遠ざけるには?
私に出来ることは・・・!
思わず、わずかにカルロの指に力が入る。
まだ締め上げているわけではなかったが、その両手は蘭世を無事に解放するわけでもなかった。

蘭世ははじめ、自分に何が起こったか気が動転して解らなかった。
数秒してその状況が見えてくる。
(・・・)
蘭世は静かに瞳を閉じた。
そして、出来うる範囲で息を長く吸い込む。
「いいよ、ダークだったら構わない・・・」
そうつぶやくと、細い手を首に掛かったカルロの手にそっと触れさせた。

ごめんね、ダーク。
そうだよね。
怒って当たり前だよね・・・

(なんか、お話がしたいな・・・)
蘭世は妙に落ち着いていた。
今夜カルロに会うまで迷っていた心が、ひとつの道を見いだしたからだ。

ゆっくりと瞳を開け、カルロの顔をのぞき込む。
「牡丹灯籠、っていう日本の昔話知っている?」
「?」
「幽霊の女の人と逢瀬をした若者の話。」
蘭世の唐突な言葉に一瞬カルロはひるむ。
そして蘭世は何とも平気そうな、いつもと変わらない様子で・・
いや、それでもいつもよりは少し静かな口調で言葉を紡ぐ。
「若者はね、途中で女の人の正体に気づくの。そしてね、
 女の幽霊は若者を黄泉の国へ連れていこうとするのよ」
(・・・!)
(・・・それは、今の自分たちだというのか?)
カルロの心の問いかけも無視して蘭世は言葉を続ける。
「若者は必死に逃げるけど結局女の人に黄泉の国へと連れて行かれてしまうの。」
「ランゼ・・・!?」
「私は、違う。逃げないもん。」
蘭世は語気を強めていた。
「たとえ地獄に堕ちても・・・いいんだ。」
まっすぐにカルロの瞳を、見据える。
蘭世の瞳は一途で曇りがなかった。
「ダークに連れて行かれるんだったら、いいの。・・・連れてって」
カルロは驚きの表情を浮かべる。
「私とはもう会えないかも知れなくてもか?」
「あなたの手に掛かったと思えば本望よ・・・」
そこで蘭世は瞳を閉じた。


・・・蘭世は何の抵抗もしない。
カルロの次の動作をとてもおだやかな表情で静かに待ち受けている。
そんな姿であった。

もし抵抗し暴れでもしていたら。
いっそその方が楽だったのに。
楽に・・・この手に力を込められた・・・


静かに、蘭世の心の呼びかけがカルロに伝わる。

(怒ってくれて良かった・・・って、おかしいかな?
私が他の男のものになっても、ダークは”仕方ない”って言ってたよね。
だから、もっと冷静なままなのかなって思ってた。
でも。 やっぱり違うんだ。・・・なんだかそれが、私、うれしい。)

目の端から、涙がひとすじこぼれ落ちていく。


(ダークの心を測ろうとして真壁君を応援したとか、そんなつもりは全然なかった・・・と思う。
・・・でも、結果的にそうなっちゃったのかな。
ずるい私。
卑怯な私・・・!。)


「・・っ!!」
カルロは両手を蘭世の首から外した。
そして両手を拳にして蘭世の頭の両サイドのシーツの上に打ち付けていた。
ベッドのスプリングが跳ね、反動で蘭世とカルロの身体が上下に揺れる。
蘭世は思わずぎゅっと目を閉じて身を固くする。

長い沈黙が続く。

「ダーク?」
おそるおそる瞳を開け、心配そうな顔をする蘭世。
カルロは・・・
蘭世は、ハッとする。
かつてカルロのこんな表情は見たことがなかった。
今にも爆発しそうな、少年が拗ねたような・・・。
「きゃあっ!!」
布が切り裂かれる細く高い音と蘭世の悲鳴が重なる。
カルロは蘭世のネグリジェの襟を掴み一気に破り裂いていたのだ。

そうしてカルロは夢中で蘭世を抱く。
蘭世もやがてカルロの腕に溺れていく。

私たちは今、これでしかお互いをつなぎ止める方法を知らない。
そして、私たちは”ここ”でしか逢うことが出来ない。
ここには”私たち二人”しか存在せず、誰の邪魔も受けはしない。
でもそれは、誰の手助けも入らない、脆く危うい関係しか築くことが
できないということでもあるのだ・・・


(・・・)
蘭世は夜明けに目が覚めた。
気が付くと、涙がぐっしょりと枕を濡らしている。
身を起こすと、さらには。
(きゃ・・・!?)
夢の話であったはずが。
着ていたネグリジェは、夢の通りそのまま大きく裂けていたのだ。
慌てて蘭世は前を隠す。
そして、両手を胸にあてたままぎこちなくベッドから降りて着替えを探すべく
クローゼットに向かおうとしたが・・・。
おもわず ぺたん、と座り込んでしまった。

(ダーク・・・)

時折あなたの力はこうしてこの世に現れるから、
あなたの存在を確認できるのだけど・・・

いつまで、こんな風に夢の中で会えるんだろう?
そして、いつまでも夢の中でしか会えないの・・・・!?

その問いに、誰が答えを教えてくれるのだろう?
(きっと、誰もわかりはしない・・・)
蘭世は自分一人で抱えなければならない十字架に、あらためて気づかされたのだった。





つづく


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