1)
屋敷の長い廊下をカルロはひとり、きびきびとした足取りで歩んでいく。
・・だが物音一つ立てずに気を遣っている。
カルロは屋敷に数多くある部屋の一つへ姿を消す。
そして、その部屋の奥にあるもうひとつの扉へとまっすぐに向かっていく。
『ですから!それは・・』
その扉の側へ近づくに連れ、扉の向こうの話し声が聞こえ始めてくる。
扉の向こうは、応接室。
カルロはドアの前で立ち止まり、その横にある隠し窓の蓋を そっ・・と開く。
彼が身を潜めているその扉は、応接間の裏口に当たるものだった。
それは招かれざる客を見張るのに丁度良い場所・・
郵便受けのように細長い隠し窓からは ベン=ロウの背中と
テーブル越しに 若い金髪の男・・とが 確認できた。
もう少し壁際には、部下が2人は立ったまま控えているはずだ。
(あの男・・・)
昨夕、モナコのパーティで見た男。
ウエーブのかかった金髪を短めに整えた 若い男は緊張した面もちで
背をぴん・・と伸ばし腕まで伸びきって 両手の拳を膝の上に置いて座っていた。
まるで集合写真を撮るときの格好である。
カルロは じっと その細窓の向こうで繰り広げられている問答に
耳を傾けていた。
◇
由緒正しき?家柄のマフィアであるカルロファミリーの屋敷に、
招かれざる客がひとり・・・
それが自分であると、部下Zは痛いほど自覚していた。
部下「Z」は緩いウエーブのかかる金髪を短めに整えた、碧眼の、どちらかというと
ハンサムな青年だ。
無論「Z」というのは本名ではなく、ドイツにあるNATO情報部に勤務する
彼の通称名であった。
彼の上司はクラウス・フォン・エーベルバッハ少佐と言い、
「鉄のクラウス」と呼ばれる程の厳しい上司だ。
そして彼の部下はA(アー)からZ(ツェット)までの26人で、
Aが最古参、彼はZ、だから部下の中でも一番新人のぺーぺーと言うことになる。
本来こういった交渉に当たるはずのエーベルバッハ少佐は
昨夕の事件で早々に上層部から査問へ呼ばれており ここへ来られるはずもない。
だが、一刻も早く
カルロ夫妻から昨夕の件について事情聴取をして
イミテーションのブレスレットについていたQ国のマイクロフィルムを回収して
本部へ帰らなければならないのである。
元々、ブレスレットをカルロ夫人のとQ国スパイの用意した物とを取り違えてしまったのは
部下Z本人である。責任をとるためにも
今日の”仕事”は、部下Zひとりでこなさなければならない。
元々部下A〜Zは 身元を明かして仕事をすることはない。
今日部下Zは「ライナー・ホッペ」という名前を名乗ってこの屋敷へやってきていた。
下手に出るだけではだめで、2、3もの申すようにも
周りからアドバイスを受けてきた。マフィアになめられないために・・・
そして それはあの場では至極当然の苦言・・・
「どうして現場に残っていてくれなかったのでしょうか
通常は事情聴取などをその場か もしくは署まで同行いただいて
お聞きする事になっているのですが あんなに早々に帰られてしまうと
時には逃亡したとして容疑者にと誤解される場合も出てきます」
部下Zは応接セットのソファに座るよう促され言われるままに座っていたが
応対をしているベン=ロウと名乗る男は、向かい側へは座らず
後ろ手に手を組んで 部下Zから少し横向きに立ち、
上を見上げたまま彼の言葉を聞いていた。
彼は、このマフィアの中では上層部に位置する男らしい。
やがて彼はその姿勢のまま、やや首を俯かせて言葉を紡ぎ始める。
「ダーク様は奥様のご様子を案じられてすぐにとこちらへ戻ってこられたのです
それ以外の理由はありません
奥様が窮地に立たれたのはそちらのエーベルバッハ少佐殿が原因だと
伺っております。昨夜も申し上げましたが責任はそちらにあるはずです
この件で我がファミリーはそちらを訴えることも検討しております」
”訴える”
その言葉に部下Zは敏感に反応してしまった。
「確かにそれについてはお詫びしなければならない事です しかし・・!」
(僕はもう 一人で 少佐に出張って貰わなくても自分の任務を
遂行できなくてはならないのに・・)
今日はやけに心細くなる。
元々、昨夕の事件に関する交渉は完全にこちらが不利だ。
こちらの不祥事にマフィアのボス夫妻を巻き込んだ形なのだから。
もっとも 交渉に関してはカルロと共に百戦錬磨のベン=ロウに
この若者が勝てるはずもないのだが・・・
「しかし、そちらの当事者としての義務も果たしていただきたいのです。
これからの再発防止のためにも、カルロご夫妻のお話を伺って記録をとる必要が・・」
「ダーク様はお前にはお会いにならない」
にべもない言葉。
部下Zはどう言い返せばよいのか ほとほと弱り切ってしまっていた。
(今日は事情聴取すら させてもらえないかもしれない・・・)
部下Zの心に雨が降り出す。
それでも、部下Zは例のマイクロフィルムの件へ なんとか話の流れを持っていく。
ランゼ=カルロが身につけていた方のブレスレットを部下Zは取り出し机の上に横たえ、
恥を忍んでQ国スパイの用意した物と取り違えたことの経緯を説明した。
「ああ あれのことか」
ベン=ロウはしれっとした声で返事をする。
やはり、彼らにマイクロフィルムの存在を知られてしまっていた。
「あれには 国家レベルの問題で意味のある内容が書かれているはずです
今、それをこちらへ引き渡していただけないでしょうか」
「・・その件については貴殿ではなくもう少し話の分かる人物と折衝がしたい
そちらにとってはそれは重要な物ではないのかね?
いちいち貴殿を通して連絡を取っていたのでは時間と労力のロスだと
この私でもそう思うのだが?」
すなわち ベン=ロウと名乗る男は
”タダでこのマイクロフィルムを返す気はない”
そして
”おまえでは話にならん、もっと偉い奴を呼んでこい”と言っているのだった。
カルロは戸口に立ったまま口元だけで薄く笑っていた。
(私の出る幕はなさそうだ・・・)
ベンにこの件は任せようとその場を離れるべく、持ち上げていた隠し窓の蓋を降ろした
そのときだった。
(・・・・!!・・・)
カルロの心に 胸騒ぎが走る。
(敷地内に複数の侵入者・・・!?)
しかも、彼らは。
彼の脳裏に 物陰から塀越しに庭にいる蘭世の様子を窺う数人の男の黒い背中が見えてくる。
(ランゼを狙っている・・・バラ園か?!)
”その男を見張っていろ その場を離れるな!”
テレパシーでベンへ指示を投げかけると、カルロは素早く瞬間移動をする。
・・・彼、ダークカルロは 人間界へ甦って来てからは、
本物の魔界人となっていたのだった。しかも 王族レベルの能力を保有しており
その力は強大なもので 人間であったときよりもさらに強固にマフィアのファミリーを
守っている。
テレパシーを受けた方のベンは、顔色一つ変えずにその指示を聞いていた。
「ホッペ殿。コーヒーが冷めたようだね 入れ替えさせよう」
「いえ、お気遣いなく・・」
そんなやりとりをしたその直後だった。
腹に響くような振動を伴った爆音が 部屋全体を震わせた。
(なんなんだ!?)
どうやらこの屋敷がやられたわけではないが、至近距離で
爆発が起きたらしい。
部下Zは反射的に立ち上がると窓の外を見やる。
そこには 庭の木々の向こうで灰色の煙がもくもくとわき上がる光景が・・
「大変だ!」
Zはもう無意識のうちに現場へ向かおうときびすを返し ドアへと駆け寄っていく。
だが、ドアと部下Zの間に両手を拡げて立ちふさがる男が居た。ベン=ロウだ。
「待ちなさい」
「どうして!非常事態じゃないか!」
「落ち着きなさい。我らの敷地内で起きたことは 自分たちで解決する。当局の出る幕はない」
熱くなっていくZとは反対に、ベンの方は不気味なくらい冷静だ。
「Q国の差し金かも知れないでしょう?!」
「そんなに早く動きがあるとは思えません」
「しかし・・!」
ドアの前で二人はにらみ合う。
手は出さないが鼻先5センチほどで文句を言い合う。
そのとき。先程部下Zが見た窓の外枠に 足をかけている黒い人影がベン=ロウの視界の端に映った。
「何者だ!!」
ベンが叫んで発砲したのと、部屋の中が真っ白な煙で充満したのとはほぼ同時であった。
(ウ・・・!?)
途端に体中が痺れだし、バタバタと部屋の中にいた者達が倒れていく。
部下Zも例外ではなかったが・・
(眠りガスではなく 痺れガス・・!)
彼の意識だけは やけにはっきりしていた。
ベンの撃った弾は侵入者には当たらなかったようだ。
煙の向こうから、聞き覚えのある声がする。
防毒マスク越しのくぐもった声だったが、間違いない。
「やっぱりこの仕事 引き受けたの間違いだったかな・・・
君の仕事を邪魔することになるなんて。ジェイムズ君の甘言に乗った僕がばかだった
だから一言二言ですぐに仕事を引き受けちゃダメなんだよ 帰って文句を言ってやらなくちゃ」
そう言いながらも、彼はその仕事を止めないで居るらしい。
(これは・・・この声は・・・・!?)
「こんなにデリバリーな仕事は私の趣味じゃないのに。どちらかといえば緻密に計画を練って
予告状なんか出して華麗にやりたかったな」
痺れガス以上に、その姿の見えない男の声は部下Zに衝撃を与えた。
「金庫は開いたかい?・・やっぱり君が居てくれて助かるよ」
無線で誰かと話しているらしい。
「よし、こちらもお宝を手に入れたよ。幸いなことにテーブルの上に落ちてた。退却だ」
(なんてことだ・・・!)
伯爵だ・・・なぜなんだ・・・!!
部下Zは自分の目の前で伯爵達に、夫人のブレスレットと・・おそらくマイクロフィルムを奪われたらしい。
ブレスレットはどうせイミテーションである。だが・・・!!
外で起きた爆発は 囮だったんだろうか・・・
ふいに、この屋敷にいるはずの夫妻の安否が気にかかる。
なのに・・身体は一向に言うことを聞かない。
いっそこのまま気絶してしまいたい。
動かない身体を呪いつつ、部下Zはさらなる失意のどん底へと
突き落とされるのを感じていた・・・
つづく
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