『微笑みの在処-ルーマニアレポート・3-』:悠里 作:カルロ様聖誕祭2004


7)

思ったよりも広い広い敷地・・・
部下Zとランゼは、連れだってその場所から逃げ出そうとしている。
時折右で左で起きる爆発に恐れおののく。
「逃げたぞ!!」
「探せ!!!」
いつしか逃げ出したこともばれ、物陰に隠れながら二人は敷地の外を目指していた。
爆発は味方の援護かとも思ってみるのだが、一切その味方の姿が見えず 
また違う第3勢力の攻撃にあって居るのかも・・と思い
油断はなかなかできない。

(硝煙の匂いに 潮の匂いが混じる ここは 海に面しているのかな)
部下Zはそんなことを考えていた。
(!!)
その答えは、唐突に見つかった。
二人が向かった先に・・・いきなり海岸が現れたのだ。

二人はいつしか波を避ける防護壁らしい場所にたどりついたのだった。
足下に2階建ての建物くらいの高さはあるコンクリートの絶壁が、ゆるやかなアールを描いて海へと続いていた。
「あっ」
部下Zはランゼの目の前で躊躇無く先にその絶壁を滑り降りた。そして下から両手を拡げてこちらを見上げる。
「飛び降りて!・・早く!!」
(伯爵がつくってくれた絶好の逃げるチャンスを ふいにしてはいけない でも・・)
ランゼの足はすくむ。
「う・・・」
(怖い・・!)
「大丈夫。僕がちゃんと受け止めるから・・・」
ランゼは大きく息を吸い込み・・思い切って地を蹴った。

空から墜ちてくる・・白い影。

その小さな身体を両手で受け止めたとき。
(え・・・!?)
部下Zは目を見開いたまま 呆然とする。
そして雷に打たれたように 動けなくなる。
その脳裏に 一気に甦り来る映像の数々・・・・

(そうだ 僕は以前 こんなふうに 落ちてくるこの娘を抱き留めたことがある)

1年前、部下Zはカルロ家の内偵をして 偶然ランゼの変身を見てしまい
そのカルロ家に来た当時の記憶をカルロにごっそり消されていたのだ。

だが、それは消されたのではなく 封印されていただけのこと。
そして こんなきっかけで
部下Zの記憶の封印が 解けてしまったのだ・・・


逃げている途中で 感慨に耽っている場合ではないのに。
一気に脳内に溢れだした記憶の数々に 部下Zは感動さえ覚えていた

空白だらけだったジグソーパズルが つぎつぎと正しいピースで埋められていくような
心地よさ。

『探せ!!』

追っ手の言葉が頭上で響き、部下Zはハッと我に返り 防護壁の継ぎ目の狭い場所に
ランゼを抱き込んで隠れる。

(この腕の中の彼女は・・・)
不思議な能力の持ち主。”変身”という人智を越えたあやかしを操る娘・・・

モナコのパーティでランゼを見たときに感じた”何か”はこれ・・・
彼女に関する記憶、だったんだ。
そして
過去に遡れば 去年の今頃ルーマニアで自分をごまかして無理矢理納得した
”パソコンの中の見覚えのない報告書”のわけも 今なら判る。

別荘にいなかったはずのランゼがいつのまにか一緒に捕らえられていたことも
不思議な石を所有していることにも妙に納得がいく。

(きっと これらのことは 黙っているべきなんだ 彼女のためにも)
不思議の数々は、きっと公の目に晒されれば 格好のマスメディアの餌食になるだろう。
カルロ夫妻は 心静かに今の生活を送ることを常に願っているに違いないのだ。

「きみはいったい 何者なんだ」

あの日言った台詞を思い出す・・・

記憶を取り戻した途端・・・部下Zは同時に大いなる秘密を抱えたことに
気がついたのだった。






(僕は 僕はこの人を護らなければ・・)
ずぶ濡れの全身に吹き付ける風は あっという間にその体温を容赦なく奪っていく。
 逃げ行く途中で どうしても黒海へ身を沈めて敵をかわさねばならない場面に
直面し 二人は身体を濡らしてしまっていた。

そして、隠れ仰せそうな水路を見つけ・・氷のように冷たい水の中をそこまで泳ぎ着いたのだった。

足先、手の先から感覚などは もう とうの昔に失われている。
すでにランゼの方は意識がなくなっていた。
海から上がった彼は気合いだけで 彼女を半ば引きずるようにして小脇に抱え 地下水路の壁づたいに
気持ちだけは最大速度で しかしよろよろと精一杯の歩みを進めていく。
(まだ、倒れるわけにはいかない もうすこし もう少し奥へ隠れなければ・・・)
寒さによる頭痛に悩まされ 薄れそうになる意識と戦いながら 部下Zは
向かい風が吹き抜けていくトンネル状の暗い通路を 隠れ場所を探し求めて移動していく。
(ああ、少佐、早く来て下さい・・・)

追っ手は よもや自分たちが泳いでここまで逃げおおせたとは まだ気づいていないだろう。
だが、早く隠れなければ いずれ見つかってしまう。
迷路のような通路を幾度も曲がり 手探りで壁をつたっているうちに 
何か壁とは違う感触に出会った。
(ドア・・・!)
火事場の馬鹿力よろしく部下Zはその鋼のドアを力一杯蹴る。
幸いにもそのドアは鍵もかかっていないようで 素直に開き・・・
その向こうへと部下Zは転がり込んだ。

何か ポンプ室のような 細いパイプがいくつも取り巻いている大きな機械が
中央に据えられた空間だった。

ここならば、風だけはなんとかしのげる。
部下Zは両腕にランゼを抱えたまま壁際に座り込んだ。
「さむ・・・い・・・」
「気がついたかい?」
目覚めたランゼは・・濡れた衣服が肌にはりつき 寒さに震えている。
暗闇で良くは判らないが、おそらく彼女の顔色は蒼白で 唇も紫色になっているに違いない。

「大丈夫だ、ランゼ君。僕たちはきっと助かる」
「どうしよう・・疲れちゃったのかな・・なんだかまだねむいの・・」
「ダメだ!眠っちゃいけない」
(そうだ・・・)
部下Zは自分の濡れたシャツを脱ぎ始めた。
 感覚の無くなった指先を心の中で叱咤しながらボタンをぎこちなく外していく。
「濡れた衣服は 外した方が身体が冷えなくていいんだ だから その・・・」
部下Zは少し困った顔をしながら 頭を掻いたが・・
(身の安全を図る方が最優先だ)
心を決めた。
「君も・・その、びしょぬれのシャツだけでも脱いだ方がいい。」
「・・・」
ランゼは黙ってその言葉を聞いていたが・・やがてコクン、と頷いた。
そして目の前で 彼女がおずおずとシャツを脱ぎ始める気配がしていた。
真っ暗なことが幸いだった。お互いがよく見えないのであまり恥ずかしさは感じない・・
だがさすがに 部下Zは顔を横に向けて つとめて見ないようにしている。
「・・・」
(本当は 裸になって身を寄せ合っていた方が体温が保てるんだが・・)
若い娘に何と言えばいいんだろう。
非常事態なのに、やはり比較的年若い部下Zはどう説明しても自分が助平に見られるように思えて
困り果てていた。
ところが。
ふわり・・と 細く柔らかい身体が 素肌の自分にぴったりより添って来る感触。
「ブラは恥ずかしいから・・取らなくてご免なさい 冷たいですよね」
「・・・いや とんでもない・・・」
「こうしていた方が 体温でお互いを暖められるって ダークに聞いたことがあるの」

説明するまでもなく ランゼは生き延びるためのその術を知っていたのだった。
(やっぱり僕は 助平だ・・・変な気を回しすぎるなんて)

「なにか お話をして・・・やっぱり照れくさいから・・」
(なにか インパクトのある話をしなければ・・・)
部下Zの精神はギリギリまでおいつめられており 頭に浮かぶのは 先程甦った記憶のことばかり。
もう 正しい判断をする余裕などは とっくにない状態・・
しかも 黙って抱き合っていると 自分の方が”おかしく”なりそうだった。

「ランゼ君 落ち着いて聞いてくれないか」
「?」
「僕は・・・1年前の記憶が戻ってしまったようだ」
「えっ」
「僕がドイツ語の先生をやったこと、そして君が僕を不思議な力で助けてくれたことを 思い出したんだ」
ランゼは目を見開く。やはりそれは 相当にインパクトがあったらしく ランゼも
眠気が吹き飛んでしまった。
「Zさん・・記憶の封印が 解けたのね・・・」
「申し訳ない・・黙っていれば良いんだけど やっぱり君にはどうしても聞いて欲しかったんだ」

「せん・・せい・・」

「だから・・というわけじゃないけど 君のことは助けたいと心から思うよ」

そこから、部下Zは気を紛らわすために さっき甦ったばかりの1年前の思い出話を始める。
「さっき君を抱き留めたときに 図書館で大きな脚立から落ちてきた君を思いだしたんだ」
「そうだったの・・・」
そうやって、二人は 寒く長い夜を ぽつん、ぽつんと語り合いながらしのいでいった。

人肌のぬくもりで 部下Zは次第に落ち着きを取り戻す。
隠れてから 既に数時間が経過していた。
胸の中にいるランゼは いつしか安らかな寝息を立て始めている。

(これならば 休憩も兼ねて少し眠っても大丈夫だろう・・か・・・?)
すでに夜中。
追っ手の気配も無い。
(だけど 眠るわけにはいかないんだ 万が一に備えなければ・・)
なのに。
ランゼの寝息に誘われるようにして 部下Zの瞼が重くなっていく。
”眠っては・・だめ・・・だ・・”
(僕は 僕はこの女(ひと)を 守り通さなければ・・・)
思いとは裏腹に。
次第に部下Zはランゼを大事に腕に抱きかかえたまま ずるずると眠りの淵へと滑りゆく。

部下Zが意識を手放したのと入れ替わりに・・
夜の闇がふいにわだかまり それが人間の形を成す。
倒れ込んだ部下Zとランゼの足下に 人影が現れたのだ。
それはドアから侵入したわけでもない。

(・・・意外としぶとかったな 大した心がけだ)
ランゼと部下Zに”眠り”の術を施したのは この闇の住人・・・ダーク=カルロ。

彼の綺麗に磨かれた黒い革靴のつま先がわずかな光を集め 鈍くつややかに反射している。
コツン、コツンと 歩くたびにその靴音が天井の高いその部屋に響く。
暗闇に小さく紅い光が灯り・・そこから紫煙がゆっくりとたちのぼる。
その人影は 少し苦笑して。
 あられもない格好でしっかりと抱き合い気を失っている二人を静かに見下ろしていた・・・

窃盗団を制圧するのには 彼一人の力で十二分だった。
殆ど武装解除(・・・能力で彼らの武器を全て破壊して・・)させ、全ての扉を開け放ち
少佐達が駆けつけたのを見届けると現場を引き渡し(勿論”彼”が皆の前に姿を現す事はない)・・
彼は彼女を迎えに行ったのだった。





部下Zが目を覚ました場所は 病院のベッドの上であった。
「あら・・気がついたのね」
ベッドに付き添っていたのは、部下Gであった。
部下Zは気を失う前の事を思い出し・・飛び起きる。
「G先輩!ランゼ君は?!」
「カルロ家から無事ですって連絡が入っわたよ・・・ご苦労だったわね」
それを聞き 部下Zは、心からほっ、と安堵の吐息をついた。
にこやかな笑みを部下Gは後輩Zへ向ける。
そして、例の窃盗団も制圧完了したことも彼に告げた。
だが、例のマイクロフィルムが伯爵と共に消えていることは 敢えて彼には告げない・・

そして、部下Gは席を立つ。
「お医者様に気がついたと知らせてくるわ。
 思ったより元気そうね・・でも事後処理は私たちに任せて、ゆっくりお休みなさいな」

「先輩、夜通し付いていて下さったんですね ありがとうございます・・・」
「いいのよ、ここに到着したのも真夜中だったから 数時間の事よ」

男性なのに女装が得意な部下Gは女性顔負けのキュートな笑みを残しその部屋を立ち去った。

(・・・)

ひとりきりになり、部下Zは ランゼと二人逃げ回ったことを思い起こす。
 身体の体温を保つためとはいえ 暗闇に隠れ彼女と素肌を寄せ合ったことは
彼にとって(白状してしまえば)夢のような出来事だった。
そして 本当に”夢”だったかのように事実とは思い難くなってくる・・・
(だけど 確かに彼女は この腕の中にいたんだ)
腕に、彼女の柔らかい身体の感触が残っている。
思わず部下Zはその記憶を辿るように 自分の腕に肩から指先へと順に触れていく。
そして、若い彼は つい顔を赤らめる・・・
”カルロ夫人に惚れるなよ Z、お前ならやりかねん 旦那はマフィアのボスだ
 命がいくつあっても足りないぜ”
そんな先輩の横やりなセリフを思い出し苦笑する。
(ああ、少佐、僕はまだまだ半人前です キュートな人妻に惑わされています・・)
そして。
(前回は記憶を奪われたけど・・・)
今回は、甦った記憶も 今回のことも しっかり頭に残されている。

カルロ氏やランゼの正体については 口外するつもりはない。
その決意と引き替えに 頼むから この記憶を取り上げないで欲しいんだ・・。


部下Zは窓の外を見上げる。朝の透明な空気が薄い青に染まっている。

彼女の微笑みを、健気な行動を 覚えておきたい。
例えそれの全てが 他の男のものだとわかっていても・・・。


つづく


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今回のラストは助け出された後のZ君でしたが 
次回はカルロ様の元に戻った蘭世ちゃんの事から始まります・・・

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