8)
ランゼは 氷のように凍てつく水の中を漂い 必死になって手足をばたつかせている
(う・・海で泳ぐなんて 初めて・・・)
”苦しい。”
水中も、空も夜の闇の黒。
四肢は体温を奪われ とっくに感覚が無くなっている。
泳いでいると言うよりは 溺れもがいているというのが正解。
(Zさん どこ・・・?!)
気が付けば 自分の手を引いていた若者の姿が消えているではないか。
ランゼは途端に戦慄する。
(うそっ はぐれちゃった・・・?!)
途端に ランゼの泳ごうという意志が急速に萎えていく。
(どこへ 行ったらいいの・・・)
ああ、どうすればいいの。
ダーク、お願い、助けて・・・!
そう思い ランゼは空に手をさしのべる。
(!)
すると 突然その手はぐい、と引き上げられ・・ランゼは突堤の上へ釣り上げられ・・
そこへ身を横たえられた。
「ごほっ ごほっ・・」
したたかに飲んだ水を、四つん這いになったランゼは苦しげに咳き込み吐き出す。
そこへ 冷たい海風が吹き付け・・身体の先から凍ってしまうような気がしてくる。
「さむいだろう? お嬢さん 濡れた服は脱いだ方がいい」
「・・・え・・」
聞き覚えのあるその声にハッとし 顔を上げると
長い銀髪のオッドアイが 彼女の側に座り込んでこちらを見ていた・・・
「きゃあああああっ!!!!」
ランゼは思わず悲鳴を上げる。
◇
「・・ゼ、ランゼ!」
「・・・あ」
ランゼが気が付くと・・・
そこは冷たい水の中ではなく 温かい湯の ぬくもりの中。
そして
目を閉じたまま悲鳴を上げる彼女を揺り起こそうとした 大きな腕と・・。
はっ と目を開けば
涼やかな、翠の瞳がこちらを心配そうに見つめているのが視界に映った。
(夢・・・)
意識が像を結び始める。
今、ランゼは一糸纏わぬ姿で・・カルロも同様で。
カルロはランゼを抱えてバスタブの湯に その身を浸していた。
そのバスルームに ランゼは見覚えがあった。
(今、私は屋敷へ帰ってきた・・の・・?)
「・・・夜の黒海は冷たかっただろう」
「あ・・ダー・・ク・・・!」
ランゼはカルロにそう問いかけられた途端・・
ザッ・・と水音を立て ランゼは身を起こし細い腕でカルロにすがりついていく。
「Zさんは?!伯爵は??!」
(自分のことより まず”仲間達”か・・・)
カルロは苦笑する。
「”Z”とかいう男は無事で、念のため病院にいるよ 伯爵のほうは はぐれてしまったが
彼のことだからおそらく大丈夫だ 」
「そう・・・」
(伯爵の心配か・・?)
釈然としないランゼの表情に、カルロはまた苦笑い・・
「私はランゼが無事であればそれでいい。だが こんなに 私を心配させて・・」
「あ・・」
その彼の言葉に ランゼは ハッ と 我に返り・・・
「ダークぅっ!!!」
緊張の糸が切れたのだろうか。
突然 わあっ と ランゼは大声をたてて泣き出してしまった。
「わあああああん・・・! こ・・・こわかったぁ・・・!!」
彼女の頬を 湯ではないものが 幾筋も 幾筋も流れていく。
「・・・」
カルロは早速文句の一つでも言いたかったのだが。
いつも以上に すっかり子供に変化し 泣きじゃくるランゼを
彼は黙って抱き寄せていた。
◇
海に浸かりトンネルを彷徨い ポンプ室の片隅にうずくまって埃だらけになった
ランゼの制服は使い物にならなくなった。
そして、体中泥と海水と埃まみれだったランゼも 全て綺麗に洗い流して清め
真白なバスローブに包まれ 暖かな部屋でベッドに身体を横たえた。
時間は 夜明け前。
ブランデーが少し入った温かいミルクを 白いマグカップで。
カルロがそれをランゼに差し出すと、彼女は身を起こしてそれをそっと受け取った。
「ありがとう・・・」
かぐわしい香りのする白い湯気に ランゼは 緊張で固くなっていた心が
ゆっくりほぐれていくような心地がしている。
「ランゼ・・」
ベッドの縁に腰掛け カルロは葉巻に火をつけた。
彼の長い人差し指と中指に軽く挟まれた比較的細身のそれに紅い火が灯る。
それを吸い・・ふーっと ため息と共に細い紫煙が吐き出された。
「ランゼ。私は お前に 今回の顛末について 事実を聞く権利があると思うのだが」
「・・・・」
ランゼは小声でごめんなさい、と言い俯いた。
「わたしって なんでも首を突っ込んで ほんとに ダメな性格・・・」
カルロは黙って そのランゼの様子を見つめている。
「では質問だ、ランゼ。いつからカミーユに化けていた?」
「知っていたの!?」
「今夜気づいたところだ・・私も迂闊だった」
「・・」
ランゼは、NATOに顔合わせした初日と 間の数日、そして伯爵を捕まえに行った昨日に
カミーユに変身していたと 白状した。
「何故カミーユに全てを任せておかなかったんだ?特に昨日からは
とても危険だっただろう」
「危険・・だと思ったから 余計 私が行った方がいいと思ったの」
「ランゼ・・!」
”・・・私がファミリーのために出来ることといったら これくらいだもん”
ランゼのコピーが語った言葉を カルロは思い出す。
苦々しい思いで カルロは葉巻の火を灰皿でもみ消した。
「ランゼ、私の部下達を見くびるな 新人だって訓練を積んだ精鋭だ」
横を向いていたカルロが 上体をひねってランゼに向き合う。
”ああ、私は反対だ。部下達の命を守るのは 私の役目だ。
しかもそれは本末転倒だと思わないのか!?部下達のためにお前の命を犠牲にするなど許さない”
(その台詞は私がコピーのランゼに言った言葉・・・)
「お前を護るために 私と部下達が居るんだ それなのにお前が進んで危ない橋を渡るなんて・・
しかも人間である部下たちにはわからない方法で飛び出して行かれたら お前を護ることすら出来ない」
「それは!」
「自分一人で全て解決できると思ったのか?この私だって間一髪で気づいたんだ
もし気づかなかったら今頃おまえたちはどうなっていたことか」
「う・・」
ランゼは言葉に詰まる。
「お前が大人しくしていても 解決できた問題だ」
「ダーク!」
ランゼは思わず空のマグカップをブランケットの上へ放り出し カルロの方へ身を乗り出す。
「おとなしく・・なんか していられなかったの。」
その目は 真剣で それでいて すがるようで・・・
「石を探すことになったのは 私の責任だもの。私のせいで カミーユを危ない目に合わせて
自分は部屋でじっとしているなんて そのほうが きっと 今よりずっと辛い」
「だが・・!」
「でも・・!」
二人の声が 重なる。
重なったことに少しお互いに躊躇し・・一呼吸の沈黙が生まれる。
次に口を開いたのは、ランゼ。
「でも きっと それって 私の自己満足だけよね・・・結局 ダークに一杯迷惑かけちゃって
本当に・・ごめんなさい・・・」
そう一言言って また ランゼはうなだれた。
「しおらしいんだな」
「?」
ランゼはカルロに何か皮肉を言われるのかと思い ドキッとし 身を固くした。
だが 彼の表情は 思ったより穏やか・・
「お前のコピーは 癒しの石を持ち歩くことについて 私が咎めたら
自分が部下達の命を守るんだって いきまいていた」
「あ・・・」
「有無は言わせないって 顔をしていた」
そう言って カルロは口元で少し微笑む。
皮肉と言うよりは・・少しのからかい。ランゼは照れて 弱々しく微笑む。
「ナハハ・・私よりもしっかりした コピーかな」
「だが、結局お前はカミーユを護ったのだろう?」
「・・・うーん・・・途中で失敗しちゃったみたいだけど・・・・」
照れ笑いと苦笑いを混ぜた彼女の顔に、カルロはクスッ と笑ってポンポン、と頭を軽く叩いた。
「随分精巧なコピーだった」
「あっ 私は本物だからね!」
「・・・はいはい。」
「ランゼ。”癒しの石”を持つ理由は コピーの言い分と同じなのか?少々ややこしいが・・・」
その言葉に ランゼは上目遣いになってカルロを見上げる。
「ん・・・ごめん・・」
ふーっ と カルロの口からため息が漏れた。
「ランゼ。お前が部下を護りたいという気持ちも 自分の責任で石を取り返したいという考えもわかる。
だが 忘れないでくれ」
カルロの長い腕が ランゼを引き寄せ すっぽりと小さな身体を包み込む。
「おまえは 一人じゃないんだ。」
そう言いながら カルロは乾いたばかりの しっとりした髪の頭に頬を寄せる。
シャンプー香りが 心地よく香る。
「お前の 前向きな気持ちは 大事にする。だが この私が居ることを忘れないでくれ
私は お前の夫なんだ。お前の問題は 私の問題でもあるんだ。」
その言葉に ランゼは ハッとさせられる。
「どんなことでも構わない
これからは私に お前と一緒に 問題に向き合わせてくれ 何でも相談して欲しい・・」
「一緒に・・・」
「そうだ」
「そうよね・・ごめんね・・・ほんとに 突っ走って ごめんなさい・・・」
ランゼの目から ぽろりと 涙が零れた。
ランゼは 大きな そして”懐かしい”腕の中に包まれ 安堵する。
(ああ やっぱりここが 私の場所なんだわ・・・)
自然に 細い両腕は 彼の身体を抱きしめる。
そのシチュエイションに つい一瞬ランゼは 部下Zと暖をとるために身体を寄せた事を思い出してしまう。
そして やっぱり違うんだと 気づく。
自分が抱きついて安堵できる場所は まさに ここなのだと・・・。
そんな心の動きが カルロに伝わり 彼は少し苦笑・・・
いつも余裕綽々のカルロだって 思い出したくもない場面。
(あれは 仕方のないことだ)
そう思ってみても 気を取り直すのに 少し時間がかかるな・・・ならば。
「そうだよ ランゼ。お前の居場所は Zのではなく 私の腕の中だ」
「あっやだ・・!聞こえたの!?」
その声を聞いてランゼは身体を離し 真っ赤な顔でカルロを見上げる。
「至近距離で大きな声で 考えないでくれないか・・・それに私がお前達の第一発見者だ」
「あれはっ その・・とっても 寒くて・・・しかたなかったのよぅ・・」
ランゼは困り果てて もごもごと口元でつぶやく。
「わかっている。私の言ったことを覚えていたんだな だが」
「頭でわかっていることと 感情で納得するのとは 別問題だな」
「きゃあ!」
そう言ってカルロは 蘭世を押し倒すのではなく・・
その膝の上に俯せに引き倒した。
「なあに・・きゃあんっ!!!」
ぺしん。ぺしん。
「少佐にZ君を引き渡したとき、彼に教わったんだ。
”言うことを聞かない女は こうしてしつけろ” ってね」
そう言いながら、カルロは膝に抱えたランゼのお尻を叩いた。
まるで 小さな子をお仕置きするみたいに。
「やあーん!いたい〜」
ぺしん、ぺしん。
がっちりと抱えられて、ランゼは逃げることもできない。
「ごめんなさいって 謝ったじゃない〜!!」
「ランゼ、覚えているか?勝手に動き回ったのは これで2回目だよ
頭だけじゃなく身体でも覚えていて貰わないとな」
ぺしん、ぺしん。
「やあん もうしません〜!!ごめんなさいー!!!」
「もう!ダークの意地悪!!」
しばらくして、カルロのお遊びな”お仕置き”が終わると
ランゼはベッドに這いだし ブランケットに頭から潜り込んだ。
お尻を叩かれた恥ずかしさと そして膝から逃げようと暴れて思った以上に体力を使ったこと
両方からだ。
くすくす、くすくすと カルロは笑っている。
「私は今から事後処理に行って来る。お前はここで休んでいなさい」
しばらくして ブランケット越しに カルロの声が聞こえてきた。
”事後処理”
その言葉に、ランゼはハッとし ブランケットから頭を出した。
見れば・・カルロはもう着替えを始めており、スラックスとワイシャツ姿で
ネクタイを締めているところだった。
「私も行く・・!」
「大丈夫だランゼ。病人はおとなしくしていなさい」
ベッドから飛び降りてこちらへ小走りに向かってくるランゼに カルロもネクタイ姿で歩み寄る。
「病気じゃないもん!もう大丈・・っ」
大丈夫だもの、と言おうとした彼女の両肩をとらえ その唇をカルロはすかさず唇で塞いだ。
「・・・」
「お前を連れていったら 寝かせて置けと 部下達にもNATOの皆にも どやされるよ。
私を愛しているのなら大人しく寝ていなさい」
「・・・はい・・愛して・・マス・・・」
「では夜までに回復しておきなさい」
「・・・え・・・」
言葉だけではわからない。
カルロの艶やかで悪戯っぽい笑顔が その意味を教えていた。
「はい・・・行ってらっしゃい・・・」
顔どころか体中真っ赤にして ランゼは照れながら小さく手を振り
カルロを見送った。
つづく
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