4)
「気品があって影のあるハンサムで、ギャングのボスで金持ちで・・・
ああよかったねっフンフン!」
カルロ家の屋敷の一角で、望里はぷりぷり怒りながら大きな書棚のそばを歩いていた。
その部屋には望里の他に蘭世と、そして椎羅の姿もあった。
椎羅は門の外で望里たちの帰りを待っていたのだが、
望里が蘭世と屋敷の中へ案内されたときに同時に中へ入れてもらったのだった。
ちなみに、鈴世は祖母の(狼女である)羅々に臨時で永い眠りから起きてきてもらい
家で一緒に留守番をしている。
カルロは先程この3人に会いに来ていた。
だが、今はすでに退出していて姿がない。
カルロを見てめろめろになっている椎羅に、
望里はすっかり気分を害してしまっているのだ。
椎羅も蘭世も苦笑してその様子を見ている。
・・・
カルロがその部屋に入ってきたときは、彼の部下らしい男を一人連れてきていた。
部下は蘭世の検査結果が良好なこと、打ち身には応急処置をしてあることをまず告げた。
そして自動車にも傷はない事、粉砕した蘭世の自転車は弁償すること云々・・。
『えっ!そんなにもらえるの!?』
というような高額な慰謝料をカルロ側が支払う事を示され、
江藤家は目を白黒させる始末である。
そんなこんなでその場で”示談”があっという間に成立した。
『このたびは娘さんには不快な思いをさせてしまった。大変申し訳ない』
そう言ってカルロは深々と望里と椎羅へ向かって頭を下げていた。
それに対し、望里は”頭を上げなさい”
と言ってにっこり笑う。
『確かに事故には驚いたよ。だが蘭世のほうがおおかた道へ飛び出したんだろう?』
『・・・ぐっ、そうです・・・』
蘭世は小さくなって冷や汗をかく。
『こちらこそ、娘がご迷惑をおかけし申し訳有りません』
そう言って椎羅も頭を下げていた。
『蘭世も無事なようだし、わしらはこのへんで失礼しようと思うんだがね?』
『わかった・・・部下に送らせよう。
用意が出来るまでこの部屋で待っていて欲しい。準備ができ次第呼びに来る』
そう言われ、江藤家の3人はこの部屋で待っているのだが、またもや待ちぼうけを
食わされていた。
「それにしても遅いわねぇ・・・」
「うーむ」
暇を持て余し、椎羅はひそひそと話し始める。
「ねえ、門前払いだった割にはすんなり示談してくれたじゃない?」
「そうだなあ。」
最初は小さい声だったが・・・次第に声のトーンが上がっていく。
「こんなに良い条件で示談してくれるくらいだったら、どうして最初は私たちを
屋敷の中に入れようとしなかったのかしらねぇ」
「うーむ。わしらが エスパー、だとわかったから用心して
入れてくれたんじゃないかい?
・・・その、見くびれない、とかさ」
「じゃあ、もし私たちが普通の人間だったらどうなっていたのかしら?
・・・蘭世は ひょっとして・・・?」
そう言って椎羅は眉をひそめ再び声のトーンを落とす。
「あん?ひょっとして?」
望里はなんだかわからずにきょとんとしている。
「蘭世は証拠隠滅のために もう返してもらえなかったんじゃ」
遠慮のない爆弾発言に、望里は目を白黒させた。
「何を物騒な!椎羅。口を慎みなさい。
第一わしらにちゃんと連絡をとってくれたじゃないか」
「判らないわよ・・なんだかんだ言って蘭世の滞在を引き延ばそうと
するかも知れないじゃない。
だって、このお屋敷の一族のことは誰だって知っているでしょう?
・・・マフィアだって」
「マフィアだからって なんでそうなるんだぁ?!」
「だ、か、ら、証拠隠滅もかねて遠い国に売り飛ばしてしまうとか!
・・嗚呼、かわいそうな蘭世!!」
「ちがうもん!」
そばで聞いていた蘭世が思わず口を挟んだ。
「ちがうもんお母さん、あのひとそんな悪い人じゃないもん!」
「蘭世・・・?」
ムキになってそう言う蘭世に望里と椎羅は思わず顔を見合わせる。
「なんでそう思うんだい?」
「う・・だって」
蘭世は言葉に詰まる。
「だって、あのひと悪い人っぽくなかったもん!」
両親の手前、夜の庭で二人きりになったときのことなどどうも言いづらい。
それに・・蘭世は自分の気持ちをうまく言い表せずにいたのだった。
実は自分の心の隅にある不確かな気持ちも
まだ何なのかが自分でもよく分かっていないのだ・・・
(さっきのあの人の優しい表情、悪い人だ、なんて・・・とても思えないよ・・・)
蘭世の子供っぽい反論に夫婦はやれやれなあんだ・・とすこし笑顔を作った。
「まぁ、くだらない詮索はやめよう。もうすぐ帰れるんだから」
そう言いながら望里は暇をつぶそうと再び本棚の横を歩き出す。
壁一面にしつらえられた書棚には、様々なタイトルの本が所狭しと並べられている。
それをながめながら、ぶらぶらと歩いていく。
小説家である望里には、大変心惹かれる場所であった。
「・・・ん?」
望里の目に、1冊の古びた背表紙が映った。
(えらく年季の入った本だなあ・・)
望里は殆ど無意識にその本を手に取ろうとし、背表紙の頭に指をかけた。
その本を取りだし表紙を見た・・・その途端である。
「!?」
望里は愕然とした。
「椎羅!」
大声で椎羅を呼ばずにはいられない。
それもそのはず・・・
”魔界王家の紋章”が書かれていたからである。
望里は急いで本を開ける。
が、期待に反し・・・中は何も、何も文字が書かれてはいなかった。
「いったい 奴は 何者なんだ・・・!?」
それを ドアの影から盗み見る人影があった・・
少し開いたドアに背を寄せ、そっと中を窺っている。
人影は、望里が自分の懐へその古い本をしまい込むのまでしっかり見届けていた。
(・・・)
美しい金髪の前髪の奥、伏せた長い睫毛が見え隠れする。
長身のその男は・・・ドアからスッと身体を離した。
ついと顔をあげ、何事もなかったかのようにゆったりと歩き始める。
「・・・ボス。」
階段を上がってきた部下の一人が立ち止まり、男に頭を下げた。
「解放してやれ。だが・・見張れ」
「はっ」
部下とすれ違うと・・その男・・カルロは自室へ向かう。
(何者なんだ、か・・・)
身に纏っていたスーツの上着をさらりと脱ぐ。そして右手を軽く上げれば・・・
空中に浮いたハンガーが、生き物のように上着を迎えに来る・・
上着も宙に浮き、自らハンガーへとかかっていく。
カルロも、不思議な能力の持ち主であったのだった・・・。
カルロはソファに身を沈め足を組み、くつろごうとするが 何故か落ち着かない。
つい、今日の出来事に想いを馳せる・・・
(もうすぐ、あの娘がこの屋敷を離れていく)
ただの街娘のはずなのに。
単にハプニングで鉢合わせしただけだ。
それなのに・・・
カルロの心は不思議なざわめきを覚えていた。
(今は この屋敷から家へ返そう。だが・・・)
カルロはソファから立ち上がり、部屋の隅へ向かう。
チェストの一番上にある引き出しから小箱を取り出し、蓋を開けた。
中から現れたのは、古風な雰囲気のある指輪。透明な翠色の石がひとつはまっている。
カルロはそれをそっと指先で取り出した。
2階にある自室の窓から外を見下ろすと・・丁度前庭にある街灯の明かりの下に
娘の後ろ姿を認めた。
(・・・)
カルロの長い指先から、ふわり、と指輪が離れ宙に浮いた。
少し開けた窓の隙間から、それはすうっと流れ出すように外へ出ていった。
(見つけたのだ。おまえは 私の・・・私のものだ)
そうだ。
”私には他に好きな人がいます”
彼女は、そう言っていた。
だが。
好きな男がいようと、たとえ婚約者がいようとも関係ない。
私が、もう 心に決めたのだから・・・。
(今年の夏で16か・・・)
この国の、蘭世の通う学校では6月が学年末で、7,8月の長い夏休みの後9月から
新学期ということになっていた。
蘭世はこの秋から高等部へ進むことになっている。
まだ、あどけなさの残る少女。
だが、もうそのくらいになればボーイフレンドの一人や二人いても
おかしくないだろう・・・
娘は突然驚いて2,3歩よろめいた。
そして・・弾かれたようにこちらを見上げる。
(私に気づいたのか・・・)
頼るのは街灯のあかりのみであったが・・確かに、二人の視線は絡み合っていた。
娘の瞳はこちらへ何事かを語りかけてくるようだった。
その娘の右手薬指に・・先程の指輪が、光っている。
「らんぜぇー何をぼーっと突っ立っているの?早く来なさいよぉー」
「は、はーい・・」
少しためらいを残し、娘は車の方へ視線を戻して小走りに駆けていく。
娘が自動車へ乗り込むのを見届け、その自動車が走り出し木々の向こうへ
小さくなっていくのもカルロはずっと見つめていたのであった。
◇
(・・・・大変な一日だったなあ・・・)
蘭世が家へたどり着いたときは・・
すでに寝る時間をとっくに通り越し真夜中も近くなっていた。
ネグリジェに着替えた蘭世はベッドに突っ伏すように倒れ込み・・
ペンギンのぬいぐるみを抱えてころん、と転がり仰向けになった。
(う・・ん あいたたた・・・)
やはり手当をして貰っているとはいえ、急に体を動かせば打ち身がずきん、と痛む。
(・・・)
頭を巡らせドレッサーの上に目をやれば、今日貰った指輪が光っていた。
(今日の記念、ていうこと、かな・・・)
蘭世は今日出逢った”カルロ”という男性を思い出す。
(あのお屋敷の人達はコワイって聞いてたけど・・・そんなことなかったなぁ。
ただの噂だったのかなぁ)
ただ、やたらと男ばかりの不可思議な集団であることと、窓の外が見えない高級車、
そして昼なお暗い屋敷が・・・物々しい雰囲気であったことは鈍感な蘭世にも
感じられていた。
だが。
その屋敷の主人は冷徹であると聞いていたのに。
その主人であるらしい”ダーク=カルロ”が自分を見る瞳は・・・
(とっても、とても優しい目をしていたわ・・・)
つい、思い出す。
二人で外にいたときのこと。
蘭世の目が思わずうっとりと潤んでくる・・・
(なんであんなにシュン君にそっくりだったんだろう・・・)
シュン、という青年は蘭世のクラスメートだったが、ボクシング一筋のスポーツマン。
女性よりもボクシング・・という感じで蘭世はじめクラスの女子達の熱烈なアタックにも
実に素っ気ない。
(そっくりなのに・・・全然雰囲気が違うの・・・)
シュンと同じ顔をして、優しい瞳で自分を見つめる。
(それに・・・あれはっ なんだったのかしら!!!!)
あのとき、あとすこしで・・・彼と唇が触れ合いそうだった。
(きゃあ−−−−−−−−−っ/////))
蘭世は慌てて突っ伏し枕を頭にかぶる。
(あいたたた・・・)
突然動くとまた腰が痛む。
彼女はまだキスなどしたことがない。
今夜のあのとき、蘭世は”違う!”と思い、慌てて逃げてしまった。
だが、カルロが自分にキスをしようとした、という事自体は・・
何故か、蘭世には嫌だとは思えないのだった。
どきどきと胸の鼓動が高くなっているのに気づく。
(どうして キスしようとしたの・・・?)
自分の知らない世界が、すぐ足下で口を開けて待っているような気がする。
(ああだめ、だめよ蘭世!変な誘惑に負けちゃダメよ!)
あすはまた学校で”本物の”シュン君に会えるんだから・・・
ふいに冷静になり、蘭世は起きあがって枕を整え布団を被った。
(カルロ、という男の人に惹かれるのは、シュン君に優しくしてもらってるみたいに
思えちゃうからなのよ・・・。)
そんな風に、今の自分の気持ちを結論づけてみる。
(今日の事は、不思議な夢・・ということで心の隅にしまっておこう。)
そう思って蘭世は目を閉じてみる。
だが。
(・・・眠れないよぉ・・・)
とくんとくん。
不思議な、気持ち。
胸の鼓動の高まりが・・・おさまらないのだった・・・
つづく
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まだまだ、まだまだ続きますv
#Next#