『もうひとつの・・・』:


9)


月明かりだけの薄暗い部屋。
唇を重ね カルロと蘭世の ひとつになったシルエットが 黒く浮かび上がっている。
(ん・・・)
蘭世は初めての経験に心を震わせ じっ・・と動かずカルロの柔らかい口づけを受け入れる。
ファーストキスに戸惑う思いが見え隠れし、蘭世は思わずすがるようにカルロのシャツを握った。
カルロは 自分の想いを伝えようと心を込めて唇を重ねる。
白く細い首筋に両手を添わせ、引き寄せるようにして 更に深く口づける。
(あ・・・っ)
しどけなく開いた歯列を割って カルロは自らの舌を滑り込ませ彼女の舌へと絡め合わせた。
さらなる未知の体験に、蘭世はビクン!と身体を震わせ握っていた手へ更に力がこもる。

この娘に触れるほどに、唇を合わせるほどに。
偶然の出会いが運命としか思えなくなってくる。
心の奥にある何かが 確かにこの娘なのだと 彼に訴えかける。
カルロの心に 熱い火が灯り始めていた。

首筋に添わせていた両手が デコルテを愛でるように滑り降りていく。
両腕で蘭世を抱きしめる仕草の中で・・カルロはさりげなくドレスの肩紐を撫で落とし
ファスナーに手を掛ける。
実に密やかな動きで・・蘭世の真っ白なドレスはさらり、と彼女の上半身から滑り落ちた。
ドレスに代わり、シルクの白いビスチェが蘭世の細い身体を官能的に彩っている。
(えっ!?)
だが・・
蘭世はキスに夢中になっていたのだが、さすがにそれに気づく。
・・そして、慌ててしまう。
ムードに酔い、そして”好き”だと思い 口づけを交わした。
だが、今の蘭世にとっては”その先”のことは思いも寄らないことだった。
そして蘭世は、カルロが”その先”を今、蘭世に求めている事に気づき戦慄する。
蘭世はカルロにあこがれにも似た想いは抱いているが、”男と女”として彼に
向き合うほどには その気持ちは育ってはいなかったのだ。
「カルロ様っ・・だめですっ」
蘭世は唇を離し、真っ赤な顔をして慌てて身体から落ちたドレスを引き上げようとする。
だが。
(シュンの事は その胸からすっかり消し去ってしまおう)
カルロにはすでに、決意にも似た想いが宿っていた。
想いの振り子は・・留まるのではなく 進む方へと振り切ったようだ。
「怖がらなくていい・・ランゼ」
(お前は必ず 私を選ぶ・・・。)
カルロは蘭世の細い両肩を軽く掴むと、首筋に唇を寄せる。
そして覆い被さるようにして蘭世をベッドへと押し倒していったのだった。
(あっ・・!)
カルロが唇を寄せた場所から、楽園の片鱗とも言える甘い痺れがわき上がってくる。
「きゃあっ」
その不可解な感覚に、蘭世は一層恐れが募り短い悲鳴を上げた。
「いやぁっ・・怖い・・!」
その言葉に気づくと、カルロはいちどスッ・・と唇を首筋から離し 蘭世を両腕に包み込んだ。
慌てては、いけない。
まだまだ若い娘だ、ままごとのような恋愛しかしたことがないだろう。
未知の体験におびえるのは無理もない。
だが・・男と女が親密になるにはこれが一番の手段であることは自明の理だし
知ってしまえば ・・楽園が待っている。
「ランゼ。愛している・・お前の瞳に映るのは 私だけでいい・・」
カルロの脳裏にシュンと談笑する蘭世の様子がフラッシュバックする。
そうだ、私はランゼにシュンのことなど早く忘れさせてしまいたいのだ・・。

カルロは蘭世の手首を掴み・・そして離さない。
「はなして おねがい!」
蘭世は泣き声になりながら、カルロへ訴える。
(きゃ・・!?)
その時蘭世が見た、夜目にも映えるカルロの表情は・・獲物を狙う豹のような・・”男”の顔だった。
蘭世は決定的に身の危険を感じ、なおカルロの腕の中から、そしてベッドの上から
逃れようと更に激しく身をよじった。
「はっ・・はなしてえっ!」
だが 蘭世がいくら強く抵抗しても、日頃鍛えている男の腕には抗いようもない。
カルロの方は さして力を入れている様子もなく 蘭世を悠々と押さえ込んでいるのだった。

(もう ダメ・・・!)

蘭世はついに 決意した。

勿論このままなし崩しに抱かれるつもりはない。
蘭世は突然 抵抗する事をやめて体中の力を緩める。
「?」
(大人しく 抱かれるのか・・?)
激しい抵抗から一変して大人しくなり カルロは訝しく思ったが構わず
再び細い首筋に唇を寄せ始めた。
だが。

「カルロ様 ごめんなさい!」

蘭世の瞳が 魔物のそれに変わる。

「かじっ!!!」

蘭世は、カルロの首筋に吸血鬼の牙を突き立てたのだった。

蘭世はただの吸血鬼ではない。
噛みついた者の姿を吸い取るモンスターだ。
蘭世はカルロの姿に変身し・・カルロ自身は変身した蘭世の膝の上へ突っ伏し
気を失って倒れ込んでしまった。

(ごめんなさい カルロ様・・・)
・・・カルロの上に、カルロが突っ伏し倒れている・・・。
カルロになった蘭世は んしょ、んしょ と声を掛けながら身体を横にずらして
うつぶせて気を失っているカルロの下から脱出した。
そして、ベッドから降りて そ・・っとブランケットをカルロへ掛ける。

(私・・・わたし・・・)
蘭世はベッドに眠るカルロの横顔をしばらく見つめていた。
そして ふう、と蘭世はため息を一つついた。

(さあ、とにかくこの場を離れよう・・帰っちゃおうかな)
蘭世はカルロの姿で廊下に出ようと扉を開けた。
その途端である。
黒い筒のような形の金属がこちらに向けられていることに気がついた。
それは・・銃口。そして、黒ずくめの男。
「きゃっ・・!」
黒いスーツを身に纏った、細く冷たい瞳の男が銃をこちらへ突きつけてきたのだ。
「部屋へ戻れ」
そして(カルロの姿をした)蘭世はぐいぐいとその男に部屋の中央まで押し戻されたのだった。
その男のうしろからさらにカルロの部下とおぼしき者達が数人部屋へ侵入してくる。
「蘭世様ですね。どういうことか説明していただきたい」
「あなたは 誰!?」
(カルロの姿をした)蘭世は、おびえた顔でその男へ問いかける。
「はじめましてでしょうか 私はダーク様の側近 ベン=ロウです」
そう言いながらベン=ロウはドアへ近づき・・それを閉めた。
「一体どうして!?」
蘭世は驚きを隠せずに・・声を張り上げる。
「ダーク様のお顔で女言葉を使うのはやめて下さい。品位が汚れます」
淡々と不満を述べるベンに、蘭世は一瞬ひるむ。だが 引き下がるわけには行かない。
「ごめんなさい・・でもっ なんで私が蘭世だとわかったの!?」
「失礼ですが部屋の中をずっと窺っておりました」
「えっ!」
「蘭世様もエスパーだと伺っておりましたから、万一我らのボスに何かがあっては一大事ですので」
ベンはカルロが蘭世を押し倒したところも全てつぶさに見ていたに違いない。
(ベンさん・・・すけべっ)
マフィアのボスともなると、プライベートは有って無きに等しいのだろうか・・
目を白黒させていたランゼは、ふ、とある とんでもない事実に気がついた。
「じゃあ、私が変身するところとかも 見たのね・・・?!」
おそるおそる尋ねた蘭世に、ベンは黙って頷いた。
(やっぱり・・・!)
蘭世は人間に・・カルロの側近に、変身を見られてしまったのだ。
(カルロの姿をした)蘭世はベンに尋ねる。
「私がこわいとか・・思わないの?」
「そうですね。腰を抜かして叫びだしたい気分なのですが、ダーク様の無事が確認できませんと」
そう言うベンは無表情で淡々としており・・・どう見ても腰を抜かしているようには見えなかった。
そしてベンは銃を持つ部下達に蘭世を取り囲ませてから、ベッドで眠るボスの元へ走る。
そして、並ぶ部下達の向こうから、蘭世へ声を投げてくる。
「ダーク様は気を失っておられるのか?」
「はい・・そうです」
「どうすればダーク様は気がつかれるのか?」
「えと・・あの」
蘭世は少し考える。
「えっと・・・私に胡椒を 下さい」
「なに?」
「胡椒なの、こ・し・ょ・う。」
ベンはいったいどうするつもりなのだろう・・と
訝しく思いながらも部下を厨房へ走らせ胡椒の瓶を調達してきた。

ベンに変身を見られてしまった。
蘭世もここまできたら もうやけっぱちである。
蘭世は胡椒を受け取ると、片手でパチン と蓋を開け 豪快に自分へ振りかけた。

「はっくしょーん!!」

これまた豪快な煙と共に蘭世は元の姿に戻ったのだが。
(・・・はっ!)
床の上に現れたのはビスチェ姿の蘭世だった。
パーティで身につけていたドレスはカルロがとっくに脱がせていたのだから
当然である。
「きゃああ!」
蘭世が思わず悲鳴を上げると、ベンは大きな声で部下達に号令を出す。
「まわれ右!」
すると、一斉に部下達は慌てて蘭世に背を向けて立ち並んだ。

なお、どうして良いか判らずに蘭世は顔を真っ赤にして座り込んで小さくなる。
下着姿では 身動きもできない。
(やーん!!)

そのとき、ふわり・・と大きな布が蘭世の身体を部下達の目から覆い隠すように
舞い降りてきた。
起きあがったカルロが自分の上着を蘭世に掛けたのだった。
「ベン お前達はここへなにをしに来たのだ?」
「ダーク様・・!」
ベン以下部下達は一斉にボスの登場に畏まる。
「この娘がダーク様に危害を加えましたので 取り押さえたところです」
「何を言っている?」
ボスの言葉にベン=ロウは訝しく思う。
「ダーク様はなにも覚えていらっしゃらないので・・?」
蘭世はハッとしてベン=ロウへ叫ぶ。
「お願い!ベンさんっ 言わないで!」
しかし。
ベン=ロウは非情にも自分の目で見たことを冷静かつ客観的にカルロへ伝える。
「信じがたいかと存じますが、ここにいる皆がその変身を見ております」
さすがのカルロも驚きを隠せない表情で蘭世を見やった。
「それが・・お前のエスパーとしての力なのか?」
以前、カルロは彼女の父親である望里の身体を、
ピストルの弾が素通りしてしまうを見た事があった。
そして、望里は娘の蘭世も、同じく”エスパー”であると言い放ったのを覚えていた。 
蘭世は観念して・・コクン、と頷く。
「こんな 気持ち悪い子で ごめんなさい・・・」
蘭世は再び座り込み うなだれる。
人間に正体がばれてしまった。しかも、カルロにも・・!
(どうしよう・・おとうさんおかあさんに怒られる!ううん、それだけじゃないかも・・)
魔界にそれが知られたら、自分も、そして両親も何事も無くは過ごせないんじゃあ・・!?
そして。折角さっき自分のことを”愛している”と 言ってくれたのに。
でも、普通に考えたらどうしたって気味悪がられて前言撤回に違いないのだ。
その事が何よりも蘭世をがっかりとさせるのだった。
「ランゼ・・!」
カルロは俯き座り込む蘭世の前に片膝をついて座った。
「ランゼ、顔を上げなさい」
カルロの右手が蘭世の頬に そっと触れてくる。
「・・!」
おそるおそる見上げたカルロの表情は・・懐かしい人を見つめるような優しい表情だった。
「私はずっと 仲間を捜していたんだ。」
「・・・仲間?」
「そうだ。エスパーである女性を 私は探し求めていた。」
カルロは自分もエスパーで、代々力を持つ者がこの家に生まれていること、そして
強い力を持った者が家を継いでいることなどを語った。
「おまえしか いない。そして お前でよかった・・・!」
嬉しそうな表情のカルロだが、蘭世の方は すぐに はいそうですかというようには
心は動いていかない。
「・・私のこと ヘンだとか思わないの?」
「私やベンだってエスパー能力の持ち主だ」
「うーん でもね カルロ様・・・」
(私は エスパーと言うよりは 人間じゃないんだけどな・・・)
蘭世は本当のことを言いそうになり 慌てて口をつむる。
カルロは微笑んで、黙り込んだ蘭世を見つめる。
「ランゼ・・勿論家のためにも・・とは思うが、それ以上に私のお前への思いは真剣なんだ」
蘭世はその言葉に鼓動を弾ませる。だが・・再び不安げな瞳でカルロを見上げた。
「どうして・・?」
その問いに、カルロは悪戯っぽく笑い返す。
「私にも わからない・・不思議だな」
そのとき カルロの心には”運命”という言葉がよぎっていた。

そして、カルロはポンポン、と軽く蘭世の肩を叩いてから立ち上がった。
「今日は送っていこう」
部下達も部屋へと割り込んできたし、カルロ自身の気分もそがれたようだ。


帰りの車のなか、またカルロに迫られるのではないかと蘭世は内心ドキドキと
緊張していたのだが・・カルロの方は至って紳士で 蘭世が拍子抜けするほどだった。
勿論カルロのそんな様子に 蘭世もほっとしていたことは確かだったのだが・・・。

やがて車はエトゥール家の前に到着する。

「えとあのっ・・」
「?」
車を降りる前に、蘭世はつまりながら ・・言うのをどうしようか迷いながらも
言葉を発した。
部下がドアを開けようとしていたが、カルロがジェスチュアでそれを一時止めさせた。
「・・・」
「今日はパーティではあまり一緒にいられなかったが・・それでもランゼと時を過ごせて良かった
だが・・無理強いをして済まなかった」
蘭世が礼を述べる前に、カルロはそう彼女に告げた。
カルロに押し倒されたが拒否したことを思い出し、蘭世は一気に顔が赤くなる。
「その・・・噛みついてごめんなさい」
「ランゼが謝らなくていい。謝らなければならないのはこの私の方だ・・お前の気持ちを無視していた」
カルロはシュンの存在に浮き足立った自分を心の奥で自嘲していた。
蘭世のほうは・・無理矢理押し倒されたこともショックだったはずなのだが、それ以上に
ベン達に変身を見られてしまったことが気にかかって仕方がない。
しかも、カルロにもそれを知られてしまったのだ。
「・・・」
蘭世は気になっていたことをもういちど口にした。
「やっぱり・・私のこと 気持ち悪いって 思ったでしょう・・?」
「ランゼ。」
カルロは静かに首を横に振る。
「私は今でも お前を愛しく思う気持ちに変わりはない。」
「・・・私が エスパー だから?」
「ランゼ。」
カルロの大きな手が蘭世の頬にそっと触れる。
「お前がエスパーであって嬉しい。だから一層愛しくなった。そういうことだ」
「カルロ様・・・」
蘭世は頬に触れる手のぬくもりを心地よいと思った。
そして・・いちど大きく息を吸い込み、思い切ってそれを口にした。
「私も・・・カルロ様のこと嫌いじゃない。たぶん・・好き。」
(ランゼ・・・!)
「でも、まだ その先は その・・心の準備が 出来ていなくて・・ごめんなさい・・・」
思いがけない蘭世からの素直な告白に カルロは思わず彼女を引き寄せ抱きしめた。
(ひゃあーっ)
大きな腕に包まれて 蘭世は照れて再び顔を真っ赤にさせる。
「ランゼ、ありがとう・・そして 私はお前のことを待とう。だが」
「え?」
”だが”の言葉に思わず蘭世は少し身体を離し顔を上げる。
「おまえの唇は もう私の物だ・・」

再び唇が重なる。
一層甘く深く、長い口づけ・・・。

蘭世がエトゥール家の玄関に立つのは もう少し後のようだ・・・

つづく


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