パラレルトゥナイト零れ話 『Z(ツェット)』



(6)



『マラー・ベブース・・・』
不思議な言葉と共に蘭世から口づけを奪った男は
召使いの女2人を呼び寄せるとその部屋から出ていった。

(・・・わたしにはカルロ様がいるのに・・・ひどい!)
ショックのあまり体中ががくがくと震える。
涙がぽろぽろ零れ落ちる。
再びあの男の香水が蘭世の身体にまとわりついていた。
それを感じるたびにめまいが起こる。
その香りはある人物をも思い出させる物だったが
今は願っても遠い異国の空だ。
かつては安らぎだった香りも今は一瞬で不快な物に
変わってしまった。信じていたものに裏切られているような
おかしな感覚だった。

傷がまだ癒えずベッドに寝かされていた蘭世は
そこに腕を抱えて座り込んでいた。
(一刻も早く逃げ出さなきゃ・・・)
でも、どうやって?
出口を求める思考がくるくると蘭世の頭の中で廻る。

『さあ、身体をお拭きしますね。御髪(おぐし)も洗いましょう』
イスラム女のひとりが蘭世に声を掛けた。
唯一布で隠れていないその瞳は、人なつこそうだった。
そしてその言葉は・・・懐かしい言葉だった。
(・・・日本語!)
『日本語が、わかるの!?』
『はい。ルーマニア語でも大丈夫ですよ』

女達はベッドの周りにカーテンを張った。
湯を用意し、蘭世の服を取って身体を拭き始めた。
緊張を強いられる日々に、一瞬の安らぎ。
「まあ、お嬢様は傷の治りがお早いのね」
「え?」
背中を傷に障らない程度に拭いていた召使いの女が
そう言って驚いた顔をしている。
「前に見たときは、ぱっくり傷が割れていたのに、もう塞がっているわ」
魔界人の治癒能力は半端ではない。
「前って、何日前?」
「さて、昨日だったかおとついでしたか・・・」
「え?あの・・・わかんないくらい前なの?」
「さて・・・ここでは過去のことも未来のことも皆アラーの御心のままです」
「?????」
どうやら文化的思想が違うらしいのだが。
蘭世には煙に巻かれたようにしか思えない。
「お嬢様が眠っていらした間、若旦那様がずっと付き添っておられました」
「若・・・って、誰?」
「先ほどの御方ですよ。皆そうお呼びしています」
「ここ・・って ツェットさんの家なの?」
「・・私には詳しいことは解りません」
(・・・・)
蘭世はさらに驚いて口をぱくぱくさせるだけだった。

蘭世はふと、さっきのツェットの言葉が気になり聞いてみた。
「ねえ・・・”マラー・ベブース”って なに?」
すると女二人は顔を見合わせ、クスクスと笑いだす。
「そうですわね、殿方にそう言うときっと喜ばれますわよ」
「お嬢様、それは、ご主人様か若旦那様にお聞き下さいませな」
「???」
妙な笑い方をされ、それに怪しげな返答だ。
蘭世は自分がなんだかとても変な事を
聞いてしまったような気がして思わず顔を赤くした。


「あらあら、もう立ってお歩きになれるのですね。丈夫でいらっしゃること」
・・・蘭世はさっきなんか逃げだそうと走り出したくらいだった。
あえなくツェットに抱え上げられてしまったが。
魔界人は並の人間以上に頑丈に出来ているのだ。
洗ってもらった髪の毛も乾き着替えた後、
蘭世はその部屋の唯一の窓へまっすぐ向かった。
大きくとられている窓は、外の明るい光を部屋一杯に満たしてくれる。
だが・・・どこにもちょうつがいらしい物はみあたらず、分厚いガラスが壁に
ぴったりとはめ込まれているだけだった。
眼下には、美しい中庭が拡がっていた。
目にもまぶしい緑。
様々な植物が植わっており、色とりどりの花が咲いている。
さながら植物園のようだ。
蘭世は思わずうきうきして女達に聞いた。
「ね・・綺麗なお庭ね!私、あのお庭を歩いてみたい!!」
そして、その台詞を言っている間に一つの名案が頭にうかんできた。
(そうだ!庭には、小鳥がいるかも!!)
”翼を持った”、小さな生き物・・・。
うまく捕まえて噛み付けば、きっと出ていける!!

「お嬢様、お部屋の外に出るのはご主人様か若旦那様の
お許しを頂いて下さいませ。」
「え?」
(部屋の外へ、さえも?)
おだやかな声での返答だったが、どこかきっぱりと断られた感じだった。
一瞬忘れかけていたが、やはり囚われの身なことには変わりないのだった。





江藤家の地下室。
黒いスーツの男が真っ暗で、湿っぽいその廊下を歩いていた。
壁にところどころ配された、ぼおっと灯る小さな明かりだけが頼りだ。
「ダーク様に黙ってきてしまったが・・・」
カルロは最近憔悴しきっている。
カルロは陣頭指揮をとって蘭世を捜索したいのだが
ボスという立場以上、それができない。
愛人ひとりくらい姿を消しても、マフィアのボスは動じてはならない。
他のファミリーに隙を与えてはならないのだ。
自分の手で探し出したいのに。
また平静を装い淡々と通常の取引をこなす。
これが一番カルロにとって強烈なジレンマとなり、
その心をすり減らすのだった。
ベン以外の者がいなくなるといらいらとした表情が顔を出す。
一人きりになると俯いてデスクチェアに身体を沈め
部下達の連絡をひたすら待つ。

蘭世が中東のどこかへ連れ去られたらしいと
ベンの部下が情報をつかんできた。
だが、その途端捜索が難航し出す。
こちらが火急だと言って情報を要求しても、
その地方の者達は”ファルダ(明日)、ファルダです”と言って
なかなか動いてはくれない。
のらりくらりとかわされているとしか思えない。
文化の違いが大きな原因だと思われるのだが・・・。
(私だったらそんな奴らは怒鳴り散らして銃で脅しているぞ・・・!!)
こうしている間も、蘭世はあの”ツェット”の腕の中だ。
あの、一度蘭世を自らの意志で連れ去ろうとした男だ。
(・・・何をやっている。手ぬるい!!)
その状況が一層カルロの神経を逆撫でるのだった。

カルロが自分で動き出そうとするのを何度も制止しているのは。
・・・この男、ベン=ロウだった。
「これ以上はダーク様が気の毒で見ていられない・・・」
ベン=ロウはあくまで冷静に状況を判断し、
ファミリーにとって最上の方法をカルロに提示し続けている。
蘭世が行方不明、と言うことにもファミリー全体に箝口令をしいていた。
よって江藤家にさえも伝えてはいなかったのだ。
(・・・だが、このままではダーク様がお倒れになってしまう・・・)

階段を上がり、天井を押し開けると。
ロビーで江藤家の面々がもめあっていた。

「僕やだ!絶対に行くもん!!」
「やめなさい鈴世。どうせカルロ様のところに転がり込んでいるだけよ。」
「だが椎羅、連絡ナシというのは・・・」
「あらああの子、婚約してから何回無断外泊してると思ってるの?!」
「あれはわしらがお見合いを強要したから数日いなかっただけじゃないか」
週末に帰らない蘭世を心配して家族がああだこうだと言い合っているらしい。
鈴世はルーマニアへ様子を見に行く!と地下室へ向かおうとしていたが
椎羅はやめときなさいみっともないだけよとそれを止めていたのだ。

「あっ!カルロ様のところのおじさんだよね!?」
ベン=ロウに最初に気が付いたのは鈴世であった。
「お久しぶりです。突然の訪問、お許しを」
そう言いながらベンは深々と頭を下げた。
カルロの腹心の部下が訪ねてきたと言うことは・・・
望里と椎羅は青ざめ、顔を見合わせる。
「やっぱりお姉ちゃんになんかあったんだ!そうだよね?!」
鈴世はベンに詰め寄った。
「・・・申し訳有りません」

ベンは簡潔に蘭世が行方不明である事実を伝えた。
「何故はじめっからうちに相談してくれんのか!
蘭世はカルロの婚約者である前にわしらの大事な娘だぞ!!」
望里はもうカンカンだ。
言葉を荒げベンに詰め寄る。
「申し訳有りません・・・」
ベンはただひたすら頭を下げ謝るばかりだ。
「あなた、こうしてはいられないわ!」
「・・・そうだ、想いが池へ行こう!!」
あわただしく江藤家は準備を始める。
「あなた!水筒に想いが池の水を汲んだ方がいいわ」
椎羅は望里に空の水筒を持たせる。
「ねえ、おとうさん!カルロ様も呼んだほうがいいよ!」
「・・・よし。じゃあルーマニア経由だな!」
ここでふと望里は気づく。
相手は人間とはいえ危険なマフィアだ。
「危ないから鈴世は留守番したほうがいいだろう」
「ええー!?」
一緒に付いて行く気満々の鈴世はむくれ顔だ。
「だめだよお父さん!おねえちゃんを探し出すのに
僕の勘とか狼の嗅覚とか、いるかもしれないでしょ!?」
最近狼に変身できるようになった鈴世は胸を張って抗議する。
・・・結局その熱意に負け、望里は鈴世を連れていくことになった。


ルーマニアは夜明け前だった。
カルロは独り執務室で何日目かの眠れない朝を迎えようとしている。
「・・・・」
窓辺に立ち白々と明けていく風景を、ながめるともなく見ていた。
視線を落とし、眉間に指をあて疲れ切った顔でため息をつく。

どんなことをしてもお前を見つけだすと約束したのに。
何故現実は、この”ボス”という立場は
私の想いを阻むのか・・・!

蘭世が無事であるらしいことは部下の報告で聞いている。
だが。
蘭世はあの男の側にいるはずなのだ。
「・・・ツェットの奴!!!」
思わず窓際の壁を拳で殴りつける。
<<お前の今度のお姫さん、実にかわいいじゃないか>>
そう言い放った男の、意味深な表情が頭から離れない。
いくら蘭世が魔界人で特異な能力の持ち主だと言っても
その細い腕であの男に抗えるはずがない。
蘭世の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
(・・・ランゼ!!)
ぎり・・・と歯ぎしりをする。
命は無事であったとしても。
(・・・もう抱かれてしまったかもしれない・・・)
カルロはつい、最悪の状況を思ってしまう。

ボスとしての立場がなんだというのか。
ランゼが今どんな思いでひとり異国の地で苦しんでいるか解っているのか?
(・・・もう、誰の制止も受けないぞ!)
足早にデスクへ向かう。
勢いよく机を手のひらで殴りつけた。
机は鈍い音をたてて机上のインク瓶を、スタンドを震えさせる。
素早く受話器を取り番号をプッシュする。
最前線の部下に連絡をとるつもりだ。
・・・”今から私もそちらへ向かう”、と。
最後の1桁を押そうとしたその時。
「カルロ!いるかっ」
「カルロ様っ!!」
ノックもせずに勢い良くドアが開いた。
「・・・お前達・・・」
「カルロ様!一緒にお姉ちゃんを迎えに行こう!!」
カルロは飛び込んできた二人を唖然としてながめている。
遅れてベン=ロウが戸口に現れた。
そしてボスに向かって静かに一礼をする。

望里と鈴世は走ってきたせいか息が荒い。
それでも望里はつかつかとカルロの前へ歩み出る。
「君には言いたいことが沢山あるが、とにかく今は
 蘭世のことが先決だ。さあ、一緒に来たまえ。
・・・蘭世を迎えに行こう」
カルロは驚きを隠せない。
突然やってきて、「探す」のではなく、「迎えに行く」
というのだから。
「・・・アテはあるのか」
「当然だ。私たちを見くびるんじゃないと、前も言っただろう?」
望里の目にもカルロはやつれて見えた。
「おまえさんも大分がんばってくれてるようだがね」
望里は励ますようにニッと笑う。
「さっ、カルロ様、僕たちについてきて!!」

望里と鈴世は、カルロを連れ立ち魔界の想いが池へと向かう。
棺桶に乗り、ジャルパックの扉へ飛ぶ。
そして、江藤家の地下室から魔界の想いが池へと急ぎ向かっていった。




つづく


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