『パリで休日を』

(3)

「ボスがおられない間に羽を伸ばされるのは結構なのですが せめて私どもにだけは行き先を
言ってからお出掛けになって下さい もしも奥様の身に何かあったらボスに申し開きが立ちません」
「〜〜〜」
ベン=ロウの次に目つきの悪い 古参の部下のひとりが蘭世の帰りを待ちかまえていた
ヒゲを蓄えた口元をへの時に曲げ腕組みをして 蘭世の前に立ちはだかったのだ・・
ちなみに、ベンはカルロとともに会議へ出席していたので今ここに姿はない。

モンマルトルの丘から文字通り”飛んで帰ってきた”蘭世は 夢中でただ”家”に帰りたかったのだが
仏頂面で立っているその部下と目があってようやく、部下の人たちに黙って出てきてしまった事を
思い出したのだから蘭世も迂闊である。

蘭世、絶体絶命のピンチ・・・というのは 実はおおげさで
実際のところ蘭世の動向は全て密かにリサーチ済みだったようで
蘭世が覚悟していたほどには激しく叱咤されることもなく そして現場に混乱は見られなかった。

「こっそり尾行してただなんて・・・ひどーい!」
そんなことをつい叫んでしまう。
「見てたんだったら 声かけてくれたらいいのにぃ」
そう言ってぷうっと膨れ面になるのだが、部下の方はあくまで冷静だ
「私どもの最重要事項は貴方様の身の安全を図ることですが、プライベートにまでとやかく口出しを
する権利はありません」
「そんなぁ・・」
でも蘭世はそこで折れた。密やかにでも居場所が分かってもらえていたのだから 身の安全は確かだったのだし
そして お陰で部下達にどやされずにすんでるんだから。
だがそんなことで安心していてはいけない。部下達に蘭世の”デエト”がばればれだったという
事なのだ。
(でもばれてたのね どうしよう、どうしよう・・・)
蘭世は顔を青ざめひきつらせる。
部下の人たちは 私の行動もダークに知らせてしまうんだろうか・・・

だが それはどうやら要らぬ心配のようで
部下で今回蘭世の付き添い役となった彼は今までの経験からして 上司やその取引先の者達が
パートナー以外の異性と親密な交遊を重ねるという現場には何度も出くわしており、
今回のこともさほど驚いたりはしない。

そして、彼はカルロに忠誠を誓う者で 蘭世が「ナイショにしていてお願い!」と言う前に
「今回のことはボスには報告せずに置きますので 奥様もお話になりませんよう」
「・・・いいの?!・・本当に?!!」
「ボスのお心にいちいち波風を立てるような無粋な真似はいたしません」
部下もすっかり心得ていたようだ。

蘭世の方はもうそれは大変な過ちを犯したと思っているのだが
部下である彼にしてみればおままごと程度の事で話にもならない。
だが我が敬愛するボスの、蘭世に対する熱の注ぎようからいって 些細なことであっても
誤解を招きそうな事象は伏せておくのが部下の勤め・・と 考えていたのだった。

かくして蘭世は部下の壁はあっけなくクリアした・・というか向こうから折れてくれたのだった。



幸いなことに今日の夕食は一人でとることになっていた カルロはまだ帰らない。
気分が昂揚しすぎていて そわそわとおちつかず食べ物が喉を通っていかない。
昼食が遅かったから?
そうも思ってみたけど いつもの蘭世だったら昼が遅かろうと夕食は問題なく食べられるのだと
自分で気づいてそれを否定した

部屋でひとり摂る味気ない夕食を 蘭世は半分ほどで残してしまった

身繕いを一通り終えると 蘭世は広いダブルベッドに 倒れ込むようにして突っ伏する

なんでこんなに心に引っかかるのだろう
旅の記念だと思って知らんぷりをすればいいのに
大きく深く息を吸い 思わずふうーっ と深いため息をつき 寝返りを打つ

なんでこんなにドキドキが終わらないの
今日の出来事が鮮やかに心に甦ってくる

「もっと君と話がしたいんだ」

そう言われた途端 蘭世はとんでもない過ちをしていたことに気づいた
カルロという人がありながら 若者に対して結果として思わせぶりなことをしてしまった
そして それと同時にその若者の言葉は 蘭世に何か不思議な昂揚をもたらした

(なんだろう なんだろうこのドキドキ・・・)

爽やかな笑顔が また頭に浮かぶ
アロンや学校の男子学生には覚えたことはないこの感覚
どこかで・・と思えば
(真壁君と話をしたときの・・・?)
でもあの若者は真壁俊とは全然違う。ルックスは同じくらいに男前だが 愛想もいいし
無邪気で快活で躍動的で・・・

そこまで考えたとき 蘭世はがばっ とダブルベッドから飛び起きた。
(いやだ 私 ダークという人がいるのに なに考えてるんだろ)
ダークほどの素晴らしい男性が側にいるというのに 他に何があるというの?

蘭世は思わず自分自身を抱きしめる
(ダーク 早く帰ってきて・・・!)
早く帰って 私を抱きしめて。

そんなことを考えた次の瞬間 また他の考えも浮かぶ
「だめだわ。」

ダークにとって悪いことをしてるのに ダークに助けなんか求められない・・・

そう思ったら 今夜もカルロと共に眠るはずの その場所にいることさえ申し訳ないと思えて
蘭世はダブルベッドから滑り落ちるようにして降りた

どうしよう どうしよう。

蘭世の思考回路はパンク寸前。
(もうだめ・・・今日は寝よう)
かくしてオーバーヒートしてしまった蘭世は とにもかくにもカルロに「先に寝ます」と
メモ書きを残して ふらふらとした足取りで簡易ベッドに向かい・・そこへ潜り込んだのだった






翌朝。


蘭世がぼんやりと目を覚ますと・・・

「おはよう」

朝一番に聞いたのは カルロの声 そして一番に見たのもカルロの翠色の瞳・・
カルロはベッドの縁に腰掛けて こちらを覗き込むようにしていたのだった。
窓から差し込む朝の淡い光で カルロの髪が金色に光って見える
逆光で しかも目覚めたばかりでその顔はぼんやりと見えていたが
どこか心配そうな表情で。

「ずっと・・そこにいたの?」
「いや・・たまたま少し前に座っただけだよ。残念ながら」
そう言って彼はくすっと笑う。
「一人で眠るにはキングサイズのベッドは広すぎたよ・・ゆっくり眠らせては貰ったが」

「おはよう・・おかえりなさい!」

蘭世はいっぺんに目が覚め がばっと飛び起きカルロに飛びつき抱きついた。
(やーん 待ってたのよう〜)
おはようのキスを交わすと 蘭世はぎゅ・・とカルロに再び抱きつく。
胸にぴったりつけた耳へカルロの心臓の音が聞こえてくる。
(・・・えへへ 私 赤ちゃんみたい 安心する・・・)
カルロは 自分の帰りを心から喜んで無邪気に甘えてくる蘭世に一層愛しく思い 
そっと長い黒髪を撫でる

「具合はどうだ?」

目覚めたときのカルロの心配げな表情と自分が昨夜残した書き置きを思い出し、蘭世はハッとする。
そうだ 私・・・
昨日は。
これ以上カルロに触れていると きっと心の動揺が伝わってしまう。
「えへ。お腹痛いの忘れてた〜」
おどけながらぱっと身を翻して 蘭世はさりげなく窓辺へ向かう。
「忘れてたのなら・・」
「うん、大丈夫!心配かけてごめんね」
そう明るく言って蘭世は窓の外にある空を見上げた。
「今日もいい天気になりそうね!」
「・・・」
カルロはそれを静かな瞳で追っていく
「朝ご飯食べたら・・遊びに行こうね!」
「そうだな。」
そしてカルロは穏やかな瞳で ふうっと安堵の吐息で口元に笑みを浮かべる。




つづく




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