『パリで休日を』

(4)

朝食も終わりに近づき、カルロは紅茶を、蘭世はオレンジジュースを飲んでいた頃。
この時点でカルロはまだラフなシャツを羽織り くつろいだ雰囲気。
蘭世もゆったりめのワンピースを着ていた。

「部下に聞いたんだが・・昨日はひとりで外出したそうだな。」
「えっ・・うん!そうなのよ〜」

”一人で外出。”
そのカルロの一言に 蘭世は心臓がひっくり返りそうになる
(っこのー ジョンさん黙ってるって言ってたのにぃ)
蘭世は心の中で怒りの拳を握ってしまう。

「本屋へ行ったと聞いたが」
どうやら部下は蘭世のデエトは伏せても単独で外出したことは報告したらしい。
・・・勿論このときのカルロの口調は至って穏やかで 世間話レベル。
蘭世はそれに気づき、普通に会話を続けた。
「うん・・あのね、今日行く美術館の下調べしようと思ったの」
「下調べ?」
カルロはその蘭世に似つかわしくない台詞に目を丸くし、何気なく新聞に落としていた視線を
思わず蘭世へ戻していた。

でも蘭世はそう真剣に思って外出したことは確かだ・・・少なくとも出発直後の気持ちはそうだった。
そして あの若者に付いていった動機とて 同じ事なのに。

「だって・・ダークが興味あるもの、私も頑張って勉強してみたくて」
「・・・そうか」
絶対に隣には並べないことは判っている。
でも、だからといってなにもせずぼんやりしているのは・・・いやなんだもの。
カルロは蘭世の真剣な瞳を見て、満足そうな笑みを浮かべる。
「勉強・・とは思わなくて良いよ 美しいものを美しいと素直に感じ取る心が有ればそれでいいんだ」
「・・っそうよね!」
蘭世はまたここでどきんとする。
あの若者の言った台詞と カルロの今の台詞とが 殆ど同じ・・・
意外なカルロと若者の共通項のようなものを見つけて蘭世は感慨深く思う
(ちょっと似た雰囲気があったかしら・・だから惹かれた?)
いえいえそんな。
似てもにつかないわよと頭の中で速攻訂正をする。
(まさかダーク、ほんとは昨日のこと知っていて私をいじめてるんじゃないよね?)
そんな勘ぐりまでしたくなってくるがそれは被害妄想だろう。

「ではランゼ、なにか見てみたい作品は見つかったかな」
「ええとぉ・・・それがあんまり・・」
「そんなことはないだろう?」
「うーん・・」
よせばいいのに。
勉強したい、下調べをしたんだと言った手前、何か言ったほうがいいかな。
でも必要以上に「実地で勉強」してきた蘭世は 下手なことを口走りそうで・・それは避けたい。
どうしよう何を言えばいいのと頭の中がぐるぐるとロックンロールを踊ってしまう
(嗚呼こんなに気を遣わなくちゃならないんだったら、あの人に付いて行くんじゃなかった〜)
そんなことを思っても、あとのまつりである。
蘭世はふと、美術館の正面に飾ってあったポスターの写真を思い出した。
「あっ・・そうだ。硝子で出来た大きな白鳥が見たいな」
それは虹色に輝いて、水面に浮かび翼を大きく広げた優美な姿であった。
『この硝子の白鳥、本物の白鳥と同じサイズなんだよ』
そう若者がポスターを見ながら説明してくれたのだが、時間切れで見ることが出来なかった物だった。
蘭世は何気なく言ったのだが、カルロのアンテナの どこかに引っかかってしまったようだ。
「・・・ランゼ、その白鳥をどこで聞いたんだ?」
「え?」
カルロは少し驚いた顔になっており、蘭世はその表情に動揺・・
(私、何か変なスイッチを押した?)
「それはルーブルの期間限定の小さな個展で、あまり宣伝していないものなんだ。私の知り合いが
開いているものだから今日見せようと思っていたんだが・・・」
蘭世は確かに”変なスイッチ”を押してしまったらしい。
「期間限定だからガイドブックにも載っていなかっただろう?彼も掲載していないと言っていたし」
セレブ、恐るべし。

「ええとあのあの・・どこでだっけ」
蘭世は両手にオレンジジュースのグラスを抱え込んだまま言い訳を一生懸命頭の中で探し回る。
「・・そうそう!本屋のおじさんがパンフレットで教えてくれたの!」
「・・・そうか」
カルロは瞳を伏せ新聞を机の上に置くと、そばにあった葉巻入れから一本取り出し・・火をつけた。

「しかし奇遇だな・・私が見せたいと思った物をランゼも見たいと言ってくれて嬉しいよ」
「そうね!今日がますます楽しみになってきた〜。」
蘭世は自分の体中から一斉に冷や汗が流れたのを感じた。
今日の美術館行きは よっぽど気を引き締めなければならないと 蘭世はここでいやというほど
気づかされてしまった・・・
何しろ、 相手は”カルロ”なのだから。





「無心、無心・・・っと」
無心で美術館へ行こう。
カルロに見透かされないように。
蘭世は身繕いをする間中、そんな言葉をつぶやいていた。

昨日は歩いていった道を、今日は黒塗りの高級車でカルロと共に行く。
ルーブル美術館へはアッという間の距離であった。
昨日は道に迷ったせいもあるが、とても遠く感じたのに。

かくして蘭世は ルーブル美術館の門を再びくぐった。
今度は、カルロと。そして数名の部下を従えて・・・

「今日と、明日、ゆっくり見て回ろう。
 まずはリシュリュー翼とシュリー翼から・・有名どころは明日にしよう」
「うん!」
カルロの無意識な提案で、蘭世は昨日見ていない展示を見ることになった。
(なんとか今日は、失敗せずにすむかしら・・ううん
 昨日見た絵で今日は見ていないのに良かったよねなんて言ったらそれこそ大変!)

下手なことは言うまい。

そう誓って 緊張に背を強張らせ一歩ルーブル宮殿の中に踏み出すのだ。
「ランゼ大丈夫か?そんなに堅苦しく考えなくていいんだよ」
「えへへ・・そうでした」
蘭世の緊張は別の所から来ているのだが カルロはそれを美術館に対する緊張だと
受け止めていた。カルロは彼女をリラックスさせようと ポンポン、と背を軽く叩くのだが
蘭世にはそれが余計プレッシャーだ・・・
でもそれは、彼女の責任に他ならない。どこへも言っていくことが出来ないのだ。

「個展の白鳥の方だが、作者の都合があるから、もう少し後で行こう」


「うわぁ・・・きらびやか〜」
そして ”ナポレオンのアパルトマン”の豪華なシャンデリアを初めとした内装に目を心を奪われ
優しいオランダの絵画やフランス中世の迫力有る宗教画 ギリシャの彫刻など
色々と見て回る。

そして ついに美しい硝子の白鳥にご対面と相成った。
「わわ・・すごい!」
ポスターの写真で本物の水だと思っていた部分もガラスで出来ており 蘭世はひたすら驚く。
『気に入って下さったようで・・光栄ですよマダム』
黒スーツに蝶ネクタイを締め 黒い髭を蓄えた人物がこの硝子でできた像の作者だった。
フランス語の判らない蘭世は、カルロに通訳をして貰いながら挨拶を交わした。
蘭世は自分の抱えている問題も吹っ飛ぶくらい 心からその白鳥が綺麗だと思えていた。


硝子の白鳥に別れを告げたあと、カルロと蘭世は館内のレストランで食事をとる。
「・・ちょっと失礼」
お化粧直しとトイレを兼ねて 蘭世は席を立った。
レストランを出て 通路向こうへと進む。

ひととおり化粧直しなど終わり、化粧室から出て 再びレストランへ向かう。
そのとき。

「・・・ねえ君!」

遠くから近づいてくる声 そう、聞き覚えのある声に 蘭世は思わず立ち止まる。
振り向いたとき、全身の産毛が逆立つような感覚におそわれた。

「・・あ」
「おーい!」

笑顔で走りながら手を振り こちらに向かってくるのは・・・
昨日出逢った、あの”若者”であった。

つづく




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