『パリで休日を』

(6)

「こんなところでどうしたんだ、ランゼ。」
「ダーク・・!」

蘭世にとってそれは救いなのか、それとも新たな危機なのか。
ハヤテと名乗る若者の誘いを断る手だてがうまく見つからず困っていたので
それを振り切るにはカルロの登場はまさに救いの手。
だが、カルロにハヤテを見つけられてしまったからには、昨日のことを説明しなければならないだろう。

「なかなか帰ってこないから、心配したよ」

カルロの声はあくまでも普通のトーン。
穏やかなのがかえって蘭世の心には重く響く。
ダークはもう何か感じ取ってしまったのかしら。
それとも まだ?この穏やかさは心からの・・・・?

「待たせてごめんなさい、ダーク」
カルロは そうひとこと詫びた蘭世と”いいよ”という感じで挨拶の軽いキスを交わす。

(・・・)
ハヤテのほうは、蘭世のそばに突然長身の欧米人が現れてひるんでいた。
やっぱり、蘭世と同様・・否、それ以上に一般人ではない雰囲気が匂う。

蘭世ひとりにだったら”今しかもうチャンスはない”という思いも手伝って 必死になって
彼女とのつながりを保とうとがんばっていたのだが。
今、僕の目の前で 蘭世は長身の欧米人と「キス」をした・・。
「キス」というのは日本人である若者ハヤテにとって”挨拶”以上にインパクトがあるし
それにくわえて 男が現れてから そのふたりの間にある空気の密な感じで、
このふたりの関係がなんとなく感じ取れる。
蘭世ちゃんもこの男の登場でホッとしているように見える・・・
しかも この男、さっきから言葉を聞いていれば欧米人なのに日本語が妙に上手い。
蘭世がフランス語を話せなくても(カルロはフランス人ではないのだが)不自由しないはずだ。
(ひょっとして 蘭世ちゃんの好きな人って・・この外人さんかよ)

「ランゼ、こちらは?」
サングラス越しに 金髪長身の男の視線がハヤテへ投げかけられる。
ハヤテの足が思わず一歩、後ろへ下がりそうになる。
だが、ハヤテは押し留まり、握手の手を差し出した。
『はじめまして、ムッシュ。』
そうハヤテはフランス語で挨拶したのだが・・
「心配しなくても私は日本語は自由に操れる。そしてここがフランスで私が欧米人だからと言って
 フランス人とは限らないのだよ、君。」
そうカルロは切り返し、握手の手は出さない。
この返答で やはりこの金髪長身の欧米人は自分に対してあまり良い印象を持っていないのだと
若者は感づいた。
サングラスに表情は隠されているがその男がこちらを向くと えもいえぬ威圧感を感じる
・・きっとこの人は蘭世ちゃんのそばに僕が居るのが嫌なんだろう・・。
「すみません・・失礼しました」
ハヤテはおずおず・・と 握手に出した手を引っ込める。

「あのあのっ あのねダーク。」
蘭世はカルロのとげとげしい雰囲気に気づき、慌てる。
やっぱりダークは何かを気づいている。蘭世はこれ以上昨日のことを黙っていることは良くないと悟った。
「このひとはね、フランスにホームステイしていて、昨日私にフランスの観光案内してくれたの」
「観光案内?」
カルロが首を傾げたのを見て、ハヤテが慌てる。
「あのっ 僕がルーブル美術館への道が判らなくて 迷子になったのを道案内してくれたんです。
 それでそのお礼に、少し美術館の中を案内しただけで・・」
蘭世ちゃんに助け船を出さなければと、つい、思ってしまったらしい。

「ふうむ・・」
カルロが腕組みをし、あごに手を添え考え込むような仕草をする。
「ルーブル美術館の場所が判らない君が 美術館の案内を?」
「僕、方向音痴で・・今までは誰か連れと一緒に来てたんですけど 昨日はひとりだったんです
 それで道に迷って・・・でも館内は得意ですから」
なんで僕は言い訳して居るんだろう・・
ハヤテはまるでバイト先の上司に怒られているような気分になっていた。
そして。
金髪の欧米人は(多少は)納得したような空気で 口元に笑みを浮かべていた。
「美術館内を・・ね。それは私の”妻”が君に大変世話になったようだな。礼を言うよ」
つま。
こころなしかハヤテには その男が「妻」というところを強調したように聞こえた。

「あ・・奥さん でしたか・・・すみません!失礼しましたっ」
ハヤテはカルロに向かって がばっ と頭を下げた。

結婚しているなんて。
ハヤテはおおいにうろたえた。
彼女はこんなに若くて小さいのに 信じられないが・・・
とにかくゲームオーバーだ。
しかも なんとなく いや完全に分が悪い。相手が悪すぎる・・・・そんな気がする。
ハヤテはそういう空気を読むのは それなりに敏感な方らしい。

「私はお嬢様ではない」と何度も言った蘭世の身の上をあれこれ真剣に想像していたハヤテは
「年老いた大富豪の妾さん」・・なんてパターンもちらりとあげていたのだが
とんでもない。
”若手の実業家・・もしくはとある貴族の御曹司・・に見初められた玉の輿お嬢さん” てところだろうか。

カルロは一歩前に出て、穏やかな声でハヤテに声をかける。
「いや、ランゼもはっきり言わないのが悪い・・どうだね、君、今から少し一緒に食事でもどうかな?
 昨日のことも是非聞いてみたい」
そんなの、蘭世ちゃんとふたりで針のむしろに座ってみろと言われているのと同じにしか聞こえないじゃないか。

「いえっ、僕はこれから用事がありますので、遠慮します」
「そうか。それは残念だな・・」
「失礼しました!」

ハヤテは再び一礼すると、蘭世に挨拶するいとまもなく”脱兎のごとく”駆け出していった。


ハヤテの姿が見えなくなって。

「・・・」
やがてカルロは無言でサングラスを外しながら深いため息をつき、俯いたまま
反対の手で髪をさらりと掻き上げた。
そんな仕草は はた目にみればとても男の色気溢れて ときめくものなのだが
今の蘭世はそんな様子を見るほどに胸が締め付けられ・・・恐れを抱いてしまうのだ。
カルロにため息を付かせているのは 自分がしでかした事、なのだから。

「ダーク・・・ごめん・・なさぃ・・・」



つづく




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