『パリで休日を』

(7)

無言でため息を付いてサングラスを外し髪をさらりと掻き上げたカルロの その表情は
困ったような様子で。蘭世には怒っているようにも見えて・・・
そして、彼らしくもなく
「・・やれやれ」
そんな短いつぶやきが漏れる。

「ダーク・・・ごめん・・なさぃ」

消え入るような声で 顔を真っ赤にして俯いて 蘭世は謝った

カルロは視線を下に落としたまま口を開く。
「・・・私はランゼが昨日ここへ来たと言うことは聞いていないな」
「ごめんなさい!」
蘭世は声のトーンをあげて さっきのハヤテよろしくカルロに向かって勢いよくペコリと頭を下げる。
「・・・ごめんなさい・・とても言えなかったの・・・ダークに申し訳なくって・・・」
「・・・・あの男と一緒にいたことが、か」
「うん・・デートしてるとかそんな気持ち全然なかったの。でも 間違ってたよね 私・・
 ・・・ごめんなさぃ・・・」

カルロは禁煙の館内で葉巻に火をつけることも出来ず 苦々しい顔で口元を片手で覆っている
「まったく・・・」
未だ彼の視線は蘭世へは戻ってこない。

カルロが、珍しく 蘭世のことで怒っている。
そう思うだけで蘭世はすまなさと・・正直に言えば恐ろしさとで両肩には力が入り 
口元をぎゅっと結んで頭を垂れて立ちつくしていた。
そして、カルロはなおも淡々と。
「・・ランゼは もうすこし私の妻だと言うことを自覚してもらえないだろうか」
「う・・・」
そうだ。
若者の誘いをきっぱりと断れば良かったのに。
「既婚者だと言えばきっとあの若者も無理強いはしなかったはずだ」
痛いところをつかれ、蘭世はさらに小さくなる。
「ちょっとだけ って思ってたら・・」
「ランゼ」
カルロは蘭世に一歩近づき、細い両肩に手を置いた。
「ちょっとだけ、 なんなのだ?」
翠の瞳がいつもより厳しい光を帯びて真っ直ぐに蘭世の瞳を射抜く。
「誘惑に負けるときや身を滅ぼすときの入り口なんて大抵そんなものなんだ、ランゼ。
 最初に毅然とした態度をとらなければだめだ」
「誘惑だなんて・・!」
蘭世はハッとなり頭を横に振る。
「ダーク以外の人とデートしようなんて少しも思ってなかったの。ただダークと一緒に美術館へ行く前に
 下見というか 予習がしたくて・・」
「・・・」
ここでカルロはがっくりと肩を落としうなだれる。
「そんなこと あの若者とでなくてもいいだろう?・・・うちの部下だっていくらでもお前に付き合うはずだ」
「う・・・そ・・うだけど」

偶然と成り行きと不用心。
全てはそこに。

「・・・もういい、ランゼ」
もう いい、はずのないカルロが そう言って顔を上げた・・その顔は少し疲れたような表情で。
蘭世の肩に置いた手を引くと サングラスを胸元から出して再びかけようとしたのだが・・
何かを思いついたようで、それを胸元のポケットへ再び戻した。
「ランゼ、あの若者とどんな美術品を見たんだ?」
「・・え」
突然の質問に、蘭世は頭がついていきそこねた。
「ルーブル美術館の、どこを見て回ったんだ?おまえたちが辿ったルートを 私にも案内してくれないか?
 ・・とても興味がある」
その申し出に、蘭世は驚いた。
「でもそんなっ いいの?」
奥さんの浮気した場所を ひとつひとつ確かめたいのだと。そんなことしてどうするの?
蘭世は耳を疑ったのだが・・
カルロはニッ と笑うばかり。
「他にもどこか行ったのかい?ランゼ、私にも案内してくれ・・お前の見聞きしたものは 私も全て
 知っておきたいんだ」





カタタン コトトン カタタン コトトン。

夕刻。
蘭世は今 カルロと共にメトロ(フランスの地下鉄)に乗っていた。
列車の入り口の側で カルロは腕組みをして立っている。蘭世はそのそばにぎこちなく立ち、
手すりにつかまって景色のあるはずもない窓の外へ遠慮がちに視線を向けていた。
メトロは近代化が始まった頃の設備をそのまま大事に使っているようで 全体的に古ぼけて色褪せた印象。 
天井も低く 小さな車内。
幸いその便はさほど混雑してはおらず、どの座席もがらん・・と空いている。

その ともすれば薄汚い・・と形容されても仕方のない駅の風景に カルロと蘭世の姿は馴染まず
他から浮いて見える。
少なくとも蘭世には、カルロは・・カルロの白っぽい銀色のスーツに蝶ネクタイ は
その場に不釣り合いだと心から思えた。
(たぶん ダークもメトロに乗ったのは 初めてよね・・?)
彼が乗って相応しい列車といえば やはりユーロスターの1等客席くらいだろう。
それでもカルロと蘭世、ふたりとも無言でメトロに揺られている。
いつもなら彼女を腕に抱き寄せて離さないカルロが 電車の壁にもたれて じっと腕組みをしている。
蘭世の方もうしろめたい気持ちが一杯でそのふたりの間にある距離を今縮める勇気はなかった。
そして、蘭世は刑事に犯行現場まで連行されている犯罪者のような気分になっていた・・・。

「お前が昨日見た物を私にも案内して見せてくれ」
カルロにそう言われてルーブル美術館のドノン翼をカルロに案内したときは一緒に腕を組んで
作品を見て回ったけど、蘭世はとても昨日のようにきゃあきゃあ興奮する気持ちにはなれなかったし 
カルロの方だってきっと美術品を見ているようでも 心はそこにあったかどうかは 怪しいものだ。


ルーブル美術館を出たのは閉館間際18時。
夕食もとらず メトロに乗り、ケーブルカーに乗り換えて やはり モンマルトルの丘へと
蘭世はカルロを案内する。
初めはメトロやモンマルトルの丘についてはカルロには黙っていようと思ったのだが
カルロのうまい誘導尋問で 蘭世はぽろりとモンマルトルの丘についても話してしまったのだった。


夕日に照らされるモンマルトル。
真夏のフランスは日が落ちるのが遅い。
とっぷりと日が暮れるのは22時のことで まだまだ時間はある。

蘭世はハイヒールで ぽつりぽつりと 石畳の坂を カルロと共に登っていく。
周りにはキャンバスを立てかけた画家達の店や おみやげ物屋、カフェなどが軒を連ね
昨日と同じく活気に満ちあふれている。

少し違うのは、ハヤテと来たときはまだ日も高く レトロな街並みは明るい太陽の日差しに照らされて
とても生き生きと鮮やかな印象だったのだが カルロと来た夕刻の今、店の軒にかけられた極彩色の
タープでさえも なんとなくオレンジ色から黄昏色へと徐々に移り変わっているところだった。
風も涼しくなり、肌に心地よい。


「ここで昼食を?」「うん・・そこの階段に座って食べたの」

今はすでに夕食の時間。
そこでカルロは昨昼のハヤテと蘭世と同じようにサンドイッチを買って食べたいと言い出す。
サンドイッチ屋は夕刻も賑わっていて カルロと蘭世は多少の順番待ち。
「・・・」
順番を待っている間に、蘭世はどぎまぎしながらカルロの表情を探ろうと彼をそっと見上げた。
カルロは相変わらずサングラスをかけており はっきりとした表情は判らない。
だが、彼の雰囲気はどうも蘭世にあてつけてやろう・・というピリピリした感じではなく
どちらかというとリラックスした様子に見えるのだ。
(ダークは一体何を考えているのかな・・・なんだかわかんない)
カルロは今の状況をゲームのように楽しんでいる感じですらあった・・・。

蘭世はカルロから視線を外し 店の横へなんとなく視線を投げる。
サンドイッチ屋の隣りに 店主自らが描いた絵を売る店があった。
それはこの界隈ならどこにでもある店で オープンな店構えの中に所狭しと絵が並んでいる。

(・・・)
何となく蘭世はその店を見やっただけだったのだが。
突然、店主らしき男と目があい、蘭世は驚いた。
灰色の口ひげを沢山蓄えた人なつこそうなそのおじさんはなにやら蘭世に話しかけながら
こちらへ近づいてくるのだ。
フランス語なので内容は判らないのだがニコニコしながら近づいて、握手なんか求めてくる。
「はあ・・どうも」
蘭世は訳が分からず とにかく握手を返すと、おじさんはぽんぽん!と勢いよく蘭世の肩を叩いてから
いちど店へ引っ込んでいった。そして少しするとまた奥から笑顔で出てきた。
今度は両手で40センチ四方ほどの油絵のキャンバスを抱えている。
そして おじさんは嬉々として蘭世の目の前にその絵を差し出した。その絵は・・・

「!」

蘭世はその絵を見た途端 一斉に血の気が引く思い・・・というか本当に眩暈で倒れる寸前。
それは階段の途中で 蘭世とハヤテが仲良く並んでサンドイッチをほおばっている絵だったのだ。
よりによって この絵とは。
まるで一昔前のフォーカスやフライデーの写真のようだ。 どう見たってハヤテと蘭世である。
まさに、ふたりのデート現場を写した”証拠の”絵。

なおもニコニコおじさんは色々話しかけてくるが蘭世はフランス語なんて判らないし
それ以前にすっかり硬直してしまって何も耳には入ってこないのだった・・・


つづく




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