『パリで休日を』

(8)


よりによって この絵とは。
おじさんの描いた絵はまるでフォーカスやフライデーの写真のようだ。 どう見たってハヤテと蘭世・・・
まさに、ふたりのデート現場を撮した”証拠”である。

「あんまり初々しいお二人さんだったから 思わず描いたんだそうだ。昨日スケッチして夜に彩色したらしい」
横から、カルロの通訳が入った。声はそれでもなお至極淡々として。
そのカルロの声に 蘭世はハッと我に返った。
「この絵はそれに描かれてる男が買っていくらしい。その前にお前に偶然会えたから見せたんだそうだよ」
「・・・あのっ これはっ・・!ダークっ」
思わず声がひっくり返って裏声になる。
どうしよう・・どうしたら?!
(こんな絵を見たらダークは絶対嫌だよね・・・!?)
「おじさんっダメなのその絵はっ!」
蘭世が絵を伏せようと顔を真っ赤にしておじさんの手元へとびつこうとしたとき、
カルロは はっしとその両肩を掴んで蘭世を制した。
「ダークっ」
思わず彼を見上げるもカルロのサングラスをした横顔は なお表情が判りづらい。
そして、カルロは店主の前に一歩踏みだし 突然フランス語で話しかける。
それに対して店主のおじさんは困惑顔になり・・何やら返事をしている。
カルロは店主となにか交渉をしているようだ・・

『良い絵だね・・この絵を私に譲ってくれないか』
『いやぁ兄さん、残念だがもう買い手はついているよ。諦めてくれ、
 わしもこの絵の若いのにあげるつもりで描いた奴なんだ。』
『その値段の2倍は払う』
『困ったなあ兄さんはもう・・1時間後に若いのが買いにくるんで・・そいつに何と言えばいいかわからんし』
『こちらの娘の連れ合いが買っていったと言えば ちゃんと判ってもらえる。判った。10倍にしよう
 そのうちの半分でも違約金として彼に払えばいい』

この言葉でokとなったらしく、おじさんはカルロの差し出した現金と引き替えに、カルロへ絵を
渡したのだった。

「えっ なんでっ ダーク・・その絵・・買っちゃったの?!」
フランス語が判らず蘭世はカルロとおじさんの会話にただおろおろしていた。
それが突然 その絵がカルロの手に渡り 蘭世はさらにパニックだ。
カルロの表情はサングラス越しでやっぱり表情がよく判らない・・・
笑みを浮かべているようにすら思えて、蘭世はひたすら困惑し そら恐ろしい気持ちさえしてくる。
「サンドイッチと飲み物はもう買えた。さあ この絵の場所へ行こう」

絵を小脇に抱えたカルロは、その絵と同じく教会の階段に蘭世と並んで
・・スーツが汚れるのも厭わずに・・腰を下ろす。 
そして悠然とサンドイッチをほおばり始めた。
蘭世は心配でどぎまぎしながら 彼の横で 敷いて貰ったハンカチの上にちょこんと座っている。
彼に手渡されたサンドイッチも、喉を通っていかないのだ。
(ダークはこの絵について何を考えているの?・・そして どうするつもりなの?)
聞きたい。でも 怖くて聞けない・・・・

店でのひと騒動のせいか、日はさらに西へ傾いていた
辺りは黄昏。一層紫の色彩がロマンチックに空気を、街を染め上げている。
そこはすっかり恋人の街。

蘭世がふと周りに視線をなげると あることに気づいた。
辺り一帯はアベックで一杯だったのだ。
そして 彼らは甘く寄り添い 口づけを交わしている者たちも・・・。
そう、ここは恋人の街だ。
そう思い知ったとき、蘭世の全身が震え始め・・その目から涙がこぼれ始める。
その様子にカルロも気づき、ミネラルウォーターを飲む手を休める
「どうした?」
「ダーク・・・っ」
蘭世は俯いたまま、涙で喉に詰まる声を絞り出す。
「私ったら・・・ごめんなさい・・・こんな街で ダーク以外の人といたなんて・・
 私 自分が許せないよ・・どうしよう・・・!」
その言葉と同時に 泣きじゃくり始める。
涙が幾粒も、膝の上に置いた手の上に落ちて零れていった。
「ランゼ」
「でもっ!」
蘭世がふいにカルロへ振り向いた。それは涙を一杯ためた目で・・
彼女なりに 目をつり上げて。
「でもっ、なんで・・私、こんなに悪い子なのに どうしてダークはもっと怒らないの?
最初は”妻の自覚”なんて言ってくれたけど 今はぜんぜんっ・・」
ひっく、ひっくと 嗚咽が言葉の間に何度も入り始める。
「あんな絵をみたって 平気な顔でっ おまけにその絵を買ったりまでしてえっ・・ 
 わたしっ ダークの考えてることがわかんないもの!」

急にカルロと蘭世の間にある距離が縮まった。
カルロが蘭世の肩を片手で引き寄せたのだ。

蘭世が”あっ・・”と思ったとき 視界が一瞬ぼやけ また像を結んだ。
・・・それはカルロの瞬間移動、だった。





カルロが蘭世を連れて瞬間移動した先は・・・それは、やけに見晴らしの良い場所だった。
鳩たちが縦横に舞い、風が先程よりも勢いを増している。足元は・・・・何故かでこぼこと不安定。
ふと振り向いたとき 蘭世はぎょっとした。なにやらおどろおどろしい翼の生えた怪物の像があったのだ。
「ひゃっ」
「それはガーゴイル・・いや、シメールとか言ったかな。建物の守り神の像だ」
そして足元を見れば・・・遙か下に、人影が そして街がミニチュアのように見えている!

そこは、教会か何か とても高い建物の屋根の上、だった。
階段の上に座っていたそのままの格好で、屋根の上に座っているのだ。

「おっ・・・おっこちちゃう!」

「大丈夫だ・・不安なら私につかまっていなさい」

蘭世は今まで泣いたり怒っていたりしたことも吹き飛んで 一心にカルロへしがみつく。
「こわいっ たかいっ 落ちるうっ」
そんな慌てた蘭世をみてカルロはくすくす笑い出す。そして・・サングラスを外した。

「・・落ち着いて見てみなさい 良い景色だ」

カルロの金色の髪が 強い風になびいていく
風に目を細めたカルロの視線の先に 蘭世もおずおずと目をやってみる。

「わあ・・・」
 夕刻の パリ。黄昏・・・
眼下に広がるアンティークな街並みは ことごとく夕刻の色に染め上げられて。
空にいまだ残る薄い青と 夕刻の茜と 夜の藍が 絶妙にパリ全体を覆う空気を彩っている

蘭世は、しばしその景色に心を奪われていた。
昨日・今日のハプニングも一瞬で忘れてしまうくらい 清々しい景色だった。
カルロもリラックスして葉巻に火をつけ 紫煙をくゆらしている

しばらくして、蘭世は心の中でぽつりとつぶやいた。
(やっぱり こんなとっておきに素敵な風景は ダークと一緒に見たほうが嬉しいな・・)
そのとき。

蘭世の目の前に長方形の物体が ふわふわと現れその視界を遮った
「・・あっ!」
それは、カルロが購入した ハヤテと蘭世の絵だ。
カルロの念力で、それは宙に浮いているらしい。
「ダーク?」
心穏やかでいられなくなり、蘭世は隣のカルロに呼びかけるが カルロは平然として
葉巻の火をもみ消しているところだった。
そしてキャンバスは自分たちよりも二メートルほど離れた空中で静止した。



つづく




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